とも同行の真宗文化

志賀・富来散策~13日(日)+12日七尾北湾

不動明王板碑・カーンマーン 板碑・五輪・宝篋印塔・地蔵―富来町史には紹介されていない。 『とも同行の真宗文化』171頁~178頁に書いた「御崇敬(ごっそきょう)」に、夜明けまで御示談を聞きながら御参りしたお寺。昭和58年11月のことだった。その後1度ぐ…

一茶―享和元年手記(日記)(いわゆる『父の終焉日記』)について

一茶については、まずこの時期、「涼しやな弥陀成仏の此の方は」、と言う句がありますね。と語り出すことが出来る。 妙好人としての一茶を知るには、「おらが春」(文政二年・一八一九、一茶五十七歳)といわゆる『父の終焉日記』(享和元年一八〇一、三九歳)に…

八朔 ーほのぼのカレンダー(法藏館)、『とも同行の真宗文化』、谷内正遠ふるさと版画展

ほのぼのカレンダー-9月(法藏館刊)谷内正遠絵。場所は書いていないが、昭和39年9月21日全線開通し、平成17年3月31日に廃止された能登線藤波~波並間の光景である。。 『能登線日和 湯浅啓写真集』能登印刷出版部 2005年(平成17年)4月1日発行。 廃止され…

名畑崇先生ご逝去

石橋義秀さんのFBを開いたら、名畑崇さん(先生)ご逝去なさったことが載っていた。8月27日、87歳。 研究室は国史・日本仏教史同室で、私が在籍した時は名畑さんは30代。仏教史の非常勤講師か講師職だったようで、お話ししたことはなかった(と思う)。 名…

「とも同行」に促され書いた『妙好人千代尼』。少し研究書に近づけるとすれば…。

27日午前9時。 『妙好人千代尼』(2018年1月20日 法藏館)の補足・注釈。 ○ 蜻蛉釣り今日はどこまで行ったやら 伝千代尼作の著名な句である。2019年1月刊行の『妙好人千代尼』(法藏館出版刊)には、最初にこの句に触れた箇所(5頁4行目)では たとえば、小林…

南條文雄師筆墓碑銘

8月17日(月)鶴来の墓地で南條文雄師の墓碑銘に出会った。その時、これまでに1,2基出会った旨をかいた。一つは七尾の大泊であることは覚えているが、日記・記録ブログであるこのブログの検索を見たが記録していない。そこで、それこそ膨大な写真を検索し…

法語12ヶ月、眞宗句を詠んだ俳人、『無憂華』(同朋会推進員研修 令和2年度第二回 8月20日)

お盆過ぎの20日は涼しくなっているだろう、なごりゼミの鳴き声を聞きながら「蟪蛄春秋を知らず」とか「涼しやな弥陀成仏の此の方は(一茶)」「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀(高浜虚子)」等を取り上げながら、コロナに気を配りながら、いく夏を惜しみつつ、勉…

暑いさなか、ちょっと各地へー鶴来、羽咋、柳田、金丸―17・18日

お盆ピーク過ぎの17・18日金沢近辺へ出たついで。空が青く、夏休み気分になって、車で体を冷やし歩く。汗だくになってまた車ーの繰り返し… 鶴来 白山市虎石墓。『とも同行の真宗文化』327頁に追加。 墓碑名号。南條文雄師。七尾市調査の折、大泊墓地で同…

この頃の通夜説教の場

先月と昨日、金沢の違う葬儀屋さんで通夜説教をさせていただいた。 いずれも新聞に載ると多くの人が集まるので、身内だけでの葬儀の場。 今時はコロナの感染防止のため、今までならセレモニー会館が用意していた「正信偈」(声明本)を配らない。 家から称名…

3『妙好人一茶』―『父の終焉日記』「父 みとりの記」

痩蛙まけるな一茶是に有 七番日記。写真コカコーラ―自動販売機。子ガエルの行列?2012年7月15日正院・川尻境4差路で。 父の終焉日記心・身の身との別れを、熟語では示寂、西帰、還浄還帰〘名〙 (「げん」は「還」の呉音) もとの所にかえること。特に、仏の…

2『妙好人 一茶』 ―『おらが春』、いわゆる『父の終焉日記』について

前回 『妙好人千代尼』に書いた一茶を妙好人として見ていくことについて、1『妙好人千代尼』に書いた次の文を載せました。 ○現今、俳句の愛好家は多く、講座や行事の場など、どこへ行っても、かならずといっていいほど俳句を楽しんでいる方々に出会います。…

1『妙好人 一茶』ー『妙好人千代尼』に描いた一茶 

一茶 俳諧寺 『妙好人千代尼』(2019年1月、法藏館刊)には、元禄期の千代尼と化政期の違いはありますが、同じ妙好人の道を歩んだ一茶についてもかなり取り上げました。 以下、その文を紹介します。 仏教語独自の読みをする言葉が多いので、『妙好人千代尼』…

もう8月…。

3日から 本堂前の庭で小学児童のラジオ体操が始まった。 カブト虫が二匹育っていた(雌)。 法藏館書店ニュース8月 法藏館書店新着案内に紹介していただいた。有りがたい。 絵はがき二枚。 一枚は家のブルーベリーの枝を使って作ったのだそうだが??? キシ…

『妙好人一茶』 一茶の里

2014年9月13日(土) 一茶の里を訪ねた。 妙好人千代尼と一茶を書くためである。 二人は誰でも知っている身近な妙好人なのに、妙好人らしさがどこにあるのか、知られていなかった。特に千代尼にがそうだったので、千代尼を書いた。 同じ俳人として、千代尼・…

『とも同行の真宗文化』二刷、附篇2部

29日8組坊守会に配布し、初期の目的達成。第二刷を作ってこれからの配布・需要に備える。右が2冊目、7月30日版。背表紙・後ろに「臥龍文庫」を入れるなどした。 詳細目録。1~6有出典、7~8書き下ろし 最初は、年代別の出典を用意した。1975年(昭和50)~2…

横山尚秀師のお寺ー由緒地巡りー7月29日(水)

横山尚秀師は、昭和50年刊の『柳田村史』に「寺院信仰」をお書きになっている。肩書きには、「(故)大谷大学助教授」とある。 29日、師のお寺で坊守会があり、講義をしてきた。 学統から言えば、鈴木大拙~横川顕正~横山尚秀になるのだろう。 岩波文庫に鈴…

今朝(20200727)の記事ー真宗王国御影が礎―、→御影巡回より

今朝の北陸中日新聞。大きく「真宗王国御影が礎」の記事が載っていた。 故・大桑斉さんの成果『本願寺教如教団形成史論』についての記事である。 写真には小松教区提供の能美郡四講に授与された「和朝親鸞聖人」「顕如上人」が用いられている。 カラーの記事…

善福寺さんへお参り 十七日

umiyamabusi.hatenadiary.com umiyamabusi.hatenadiary.com umiyamabusi.hatenadiary.com 十七日、例年の行事で金沢へ行ってきた。 ようやく大桑さん(先生)のお寺へ顔を出すことも 大桑善福寺さん。土蔵作り本堂。宝暦九年(1759)の金沢大火後、江戸時代後…

祠堂経

対策の、考えられるすべてを準備した。 4日から8日 祠堂経 庫裡の周りは、竹が一斉に伸びているので、竹伐りにいそしみ、明日を迎える。

臥龍文庫

新たに加わる 今まで書籍をいただき、不義理をしている方に『とも同行の真宗文化』を送った。その短い時の中に、出版予定があったりするとその方も私に送らないわけにはいかなくなる。この本がまさにそれ。多くの博士が執筆しているだけでなく、内容に応じて…

南溟寺さん寺報・宝蔵魂

南溟寺さんが寺報で取り上げて下さった。

同朋会推進員勉強会 27日

講師の前にアクリルを用意。手頃な台を用いたので、この為にわざわざ作ったとお思いになったかたもおいでようだ。むかし使っていた黒板掛けを利用した。風があって本堂を風が通り抜け、ほどよい緊張の中、1時半から3時半の学習会を終えた。 外が明るいので見…

『とも同行の真宗文化』販売先、そして、県民大学校

メールが使えず、手紙と電話のやりとり、FBはあるけど・・・。 こういう本が出てますよ、を順番に連絡していって、おいてもらえる事になった。 きくざわ、コメリさんは代表者・店長さんと知り合いになっていた関係。 法藏館さんは『妙好人千代尼』でお世話にな…

『とも同行の真宗文化』書店へ

七尾きくざわ店。取りあえず並べて貰った。この後、穴水コメリ書房へ。 合同四組坊守会最終回で能登教務所へ。 『とも同行の真宗文化』 七尾きくざわ店、コメリ穴水店へ。 重いので5部宛にして、羽咋経由で行ったので穴水まではほぼ200㌔。本が傷まないよう…

『とも同行の真宗文化』出来

大法輪と比較して、この厚さ。これだけ厚いと、どこかで読みたい分野と出会う可能性がある。テキストと聞いていたのがこんなに厚いなんて・・・感の反応が多い。 添え書き用元、と謹呈。謹呈はちょっとズレたりして、手作り感いっぱい。 年代別引用8頁中1。索…

西二又、上大沢ーお弔い

千畳敷 西保あたりから上大沢、西二又方面 男女滝 人が訪ねない現況ではこういうものだろう。道路側には鑑賞地がある。 千枚田暑くてボアーとするので、目覚ましにソフトクリームを買った。 ※男女滝は、次のブログに 以下は、2013年11月26日のブログ記事。 7…

坊守会再開ー八組ー

フェイスカバー。マスク2種類。ギターは格好つけておいてみた(いつか奏でる日のために・・・)。 本堂。ここで正信偈同朋奉讃をお勤めし、庫裡・広間に移って勉強会。理想の空間だ。動員に近いことをして多くの人を集める大会のありようから、常説教場とまで…

『とも同行の真宗文化』

『とも同行の 真宗文化』表紙 11日に、出来てきます。 すべて一人、 しかも、メールやりとりもできなくなり、目はかすむはで大変だった が 製本屋さんの版組さんの能力が高く、 くじけないでやれた。 配る予定にしている2ヶ所の今月坊守会(最終回)は、 い…

報恩講用蕗刈り

蕗畑―5月26日 蕗刈りを、今年は5月27日(土)に行った。 27日は午前中戦没者追悼会、午後は同朋会推進員会の講義の日で、追悼会は市武道場が会所なので関係ないが、当寺本堂で行う同朋会講義を終えてから蕗刈りをしていたのが、 コロナ騒ぎで、どち…

謹呈の依頼をご生前に承っておりましたので・・・・・・大桑斉『本願寺教如教団形成史論』

「とも同行の真宗文化」初校を見て返送した。 メールの送信が使えず、カメラもピンが合わない。 コロナ騒ぎに呼応するように、昔の生活を余儀なくされている。 はじめに、あとがき、 切りが無いので、書いてみてやめた。 あとがきの代わりに「学統」を入れた…