法語12ヶ月、眞宗句を詠んだ俳人、『無憂華』(同朋会推進員研修 令和2年度第二回 8月20日)

お盆過ぎの20日は涼しくなっているだろう、なごりゼミの鳴き声を聞きながら「蟪蛄春秋を知らず」とか「涼しやな弥陀成仏の此の方は(一茶)」「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀高浜虚子)」等を取り上げながら、コロナに気を配りながら、いく夏を惜しみつつ、勉強しようと思っていたら、なんと…

20日は今年最高の暑さになるという予報。

前に氷り柱を買ってきて本堂入り口に置いたこともあったが、今は売っていないのだという。

せめて冷茶を多く用意して、何度も飲んでもらうしかない…。

何せ1時半から3時半、この暑さじゃ数名お出でになるかどうか(実際は20数名の参加)、

それでも、話は少し面白いというか、作業を入れて暑くてもすごせるものにしようと、急遽、法語カレンダープラス先に書いた一茶、虚子、彼らと深い関係のある井泉水、法語の作者写真、俳人写真を次の通り準備した。

 

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真宗教団連合結成50周年記念法語カレンダー 下の数字は法語が載った年度

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虚子、井泉水いわゆる『父の終焉日記』と深く関わった俳人。そして、山頭火、放哉が井泉水の弟子。

中程は、父のみとり、看病、終焉日記と呼ばれるもので、現在手に入るのは⑨平成4年刊の岩波文庫本、⑩平成24年版しかない。いろいろ見ていくと⑨そのものが原典と違うもので、⑩は⑨をそのまま写したと解説に書きながら違う刊本にしてしまっている。しかも、活字になった初めは⑤の昭和9年本と書いているが、それまでに明治41年から4本の活字本があり、そもそもタイトルのない下書きでの同系統の書は、大きく4行までと5行目以下とに分かれるのである。

今は誰もが⑨を見て『父の終焉日記』と思うだろうが、この書物の解説はおろか、参考文献にすら⑥以前を取り上げていない。この草稿本は、一茶と眞宗を知る重要な内容本(底本はおそらくA)なので、どういったものなのか、はっきりさせておかなければならないだろう。ただ、今手に入れて読もうと思えば読めるもう一冊の⑩は、あまりにひどい解説なので書名などは書かないでいるのだが、どうしたものだろう……。これは後ほどじっくりと、ということにして…

次の頁の写真は法語関係者7名を月順に挙げた。あとの2人は俳人

ダルマさんみたいな最後の人が清沢満之?と声があがったが、かほどに聞いている話から来るイメージと、実物は違う。

ダルマさんは荻原井泉水氏。清沢満之師は左上。

そろそろ始まる頃に、今一度書棚を見ていくと信国淳選集があって数葉の写真もあった。付け加えるのは間に合わないので。口頭で語る。イメージは左2人目の安田理深師、近くの人では最近金沢で逝かれた○○さんに似ているといったら、高校の同級生だったとおっしゃる女性がおいでた。暑さをものともせぬ、同級生ーそれぞれの日々…。

家にいて明け方熱中症になって何日か入院なさった方が、症状と水分補給をする気にならなかったその夜の様子を語られ、聴聞の方々はあらためて身近に起こるのだということに感じ入っておられた。

 

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五月 いだかれてありとも知らず おろかにも われ反抗す 大いなるみ手に

 九条武子

このよく知られたこの短歌は、九条武子さん著『無憂華』に載っていることが分かった。どこかでこのタイトルを見た記憶があったので本箱を探すと『無憂華』が見つかった。その本に載っていると書いてある参考文献には『無憂華』に「うどんげ」とふりがなが振ってある。見つかった本の本文にもふりがなが振ってあって、「むゆうげ」とある。よく見ると「むゆうげ」だ。本が無かったら「うどんげ優曇華)」で話を進めるところだった。見つけたのが11時頃で、急遽その歌が載っているエッセーと『無憂華』が分かるように本の表紙なども付けた一枚を用意した。

右から読むがかねぇ?

ウン右?(私は左利きなので、右左がとっさに判断できないことが多い)

九條武子著がなかったら、「華憂無」だと思ったかもしれない。「華、憂い無し」これも悪くない…などと、今、書いていてどんどん妄想世界に入っていく。

法語が載る「幼児のこゝろ」本文も、しみじみとしたいい話だ。

かつてどこかで読んだ九条武子から「麗人」という言葉が生まれた、も面白いけど、原典を知ってこそ、そこに用いられている歌が精彩を放つことを、改めて知った。

フェイスシールドは暑かったけど、いい時をいただいた夏の終わり頃…。

 蟪蛄(蝉)は、暑さ負けしてほとんど鳴いていないようだった。