この頃の通夜説教の場

先月と昨日、金沢の違う葬儀屋さんで通夜説教をさせていただいた。

いずれも新聞に載ると多くの人が集まるので、身内だけでの葬儀の場。

今時はコロナの感染防止のため、今までならセレモニー会館が用意していた「正信偈」(声明本)を配らない。

家から称名本を持ってこないと一緒におつとめが出来ないのだが、いわゆる三密対策は想像つくものの、声明本を配らないことまでは考えが及ばず私の声ばかりの静けさ。

昨日は能登の身内のお年寄りが何人かおいでになったので、それでも背後から時折お勤めが聞こえてはいたが…。

先月の時は、仏教との出会いが今までほとんど無い人や・孫・ひ孫が多く、また他宗の身内人が混在なさっていたので、法話では焼香の意味、仕方などからお話しした。距離を空け、飛び飛びの座席、対面であっても十分な距離があり、その点は申し分ないのだが、声明本を見ないためか、はじめから照明を絞った薄暗がりで、マスク目だけだと子供なのか大人なのかさえ見分けられず、話に対しての表情を窺うどころか、しばらくすると、白いマスクがあちこちでボアーっと浮かんでいる光景になっていった。

いつもなら、知った人でうなずいてくれる人を見つけ語りかけるのだが、そういう、いわば、表情を通して対話しすることが全くない中で、ただでさえ愛別離苦ただなかで、今あるすべてをかけての法話。それだけで疲れ切るのに、さらに独り言に近いお話をしなければならない現場が、作今の状況なのだ。

 

その金沢で、今度はどちらかというとお年寄りが多い場が生じた。こちらが表情を見て取れないのと同じく、それ以上に「話し手」の語りが理解しにくい状況がある。

マスク越しに話すと、耳が遠くて聞き取りにくいのに輪をかけることになるし、歯切れの悪い話がますますモゴモゴになるし、たとえ最高の状態であっても、仏教語そのものが聞き慣れていないと耳に入ってこない。

極端に言えば、後ろを向いて話しているようなものだ。

 そこで、昨晩(夕)は、顔全体を見せてお話しすることにした。

まずマスク姿で一族の方々と向き合いー距離は4メートルははなれていて充分ー

Face Shieldを付けて、マスクを取り、マイクを使ってお話しした。

どうだった、と聞いて素直に答えていただけるような間柄の人もいなかったが、あるかないかの目で、全く表情が作れない目だけで話すよりは、思い切ってFace Shieldデビューしてよかったと思っている。担当や司会などの若い方々数名は、やや驚かれた様子だった。

それとは、関係なしに、葬儀当日司会をなさる方に、

若いときから、毎晩のように法話を聞くことができるなんて、尊い時をいただいておられるのですねェー、このような環境から、後生、篤信の真宗門徒さんと語り継がれる方が育つんですよ…と語りかけた。

 これはお通夜のあと、ホテルで静かに通夜を場を振り返り(改悔批判)―何人もの世話をなさった方々を思い浮かべている時、たどり着いた実感である。

 司会などは出来ないけれど、常説教場のない今日、

 法話を聞こうにも、なかなかその場を見つけることが出来ず、小さな法話の場こそ必要なこの時期、あるいはこれからを考えていたとき、本当に恵まれた場においでになることを、(司会などは出来ないけれど)つい羨ましさを包みこんで、話しかけたのでした。

 

お葬儀を終えての帰り道―能登の道には車・バイクがあふれていた。

この奥に大都会があるのではないかと思わせるくらい

登りも下りも、ずーっと車列が続いていた。

 

10日ほど旅先にいたような気分。

 

このブログには、寺役に関することは書けないし、書かないことにしていたのだが、

コロナ禍寺役という非日常状況なので、したためた。

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用いたフェイスシールド。

同一色にして横に小さく法名を書いておけば、落ち着いた「真宗法話用シールド」になるのではないかと思えた。

 10日朝

新聞のお悔やみ欄に載っていた。

お二人とも葬儀翌日に通夜葬儀とも終了とあって、それとなしに身内で葬儀を執り行いましたと紹介された。

昨日金沢は34.5度だったそうだ。

口鼻はマスク、ご家族、係と接しているため、途中から目の周りだけ日焼けしていくのがわかるくらいだったが、今朝は目の周りが火照ってあつい。

これはこれで、珍しい経験。

襦袢・白衣・簡衣、マスクに34.5度。

一気に真夏の時を過ごした。