石橋義秀さんのFBを開いたら、名畑崇さん(先生)ご逝去なさったことが載っていた。8月27日、87歳。
研究室は国史・日本仏教史同室で、私が在籍した時は名畑さんは30代。仏教史の非常勤講師か講師職だったようで、お話ししたことはなかった(と思う)。
名畑さんはおそらく私のことを知らないままだったと思うが、いくつかの接点・想い出がある。
前列右から二人目が名畑さん。その左横が藤島達郎先生。前列左の白いセーター姿が私。その右後ろ・後列二人目が大桑斉さん(先生)。あとは省略。仏教史の集まりだが、私とその横のたばこの煙を吹かせているのと二人は、もぐりだ。後輩たちがネクタイをしているので、社会人になってから(年号が書いてない)。
1989年・平成元年 12月16日土
日本宗教民俗学会。
名畑氏は2列目、右から3人目。
私は前列左2人目。先輩の大學関係者に限り名を記す(敬称略)。
私の右横、豊島修、日野西眞定。後列左から4人目山田知子。
長光山 養泉寺 (御住職:名畑崇師)
2013年(平成2年)5月8日(水)撮影。郡上市明宝大谷
2014年5月8、9日、講師をしている能登教区11組~14組坊守会の研修旅行引率で 高山・古川へ行くことにしていた。
そのころボランティアガイドきらり珠洲の代表や県民講座の史跡探索などもやっており、旅行引率を楽しんでいた。5月にしたのは、庄川桜の満開期に合わせて研修しようと思ったためで、そのちょうど一年前に最終コース決め、確認のため高山・奥飛騨を巡った。
ここは予定コースではなかったが、学生時代、高山、郡上八幡、益田に親しい先輩や同級生がいたので、彼らがどういう雰囲気の所に育ったのかを見たくて、郡上八幡まで足を伸ばした。
寺院名簿を持っての旅で、由緒寺や目につくお寺に寄りながら旅をした。
このお寺が、名畑崇さんが住職をしておいでるお寺である。
すぐ近くに道の駅・明宝(磨墨の里公園)があって、いい景観の中の綺麗なお寺だった。
先生がおいでれば名乗るか何かしようと思ったのだが、誰もおいでにならなかった。
お寺背後。昔、先生がまだ小さい頃、このあたりでも遊んだのだろうな、などと想像しながら歩いた。
「せせらぎ街道」も間もなく終点の郡上八幡に近い。
法語
散るさくら 残るさくらも 散るさくら …
先生の字なのかも知れない
著書