2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

帰って行かれた人々

北陸中日新聞に一面を使って今年亡くなられた方々が載っていた。ああ、この人も、この人も、と感慨に耽る一時だ。もちろん、直接のお知り合いではなくラジオ、TV、あるいは著書を読んだり、話題になったことを知っている程度の方々なのだが…、どの方に感慨…

北原謙二「忘れないさ」の東京方言ー見たゆうしーと小咄「山鳥」

今年逝去なされた北原謙二の「忘れないさ」二番の歌詞。 よく似合うね、真っ赤なリボンが、『幸せ?』と、聞いたら、はずかしそうに、爪を噛む。小川の岸で、見た夕陽… の「夕陽」のところ。どう聞いても、見た…ユウシ、なのである。さすがに、岸で見るのだ…

雪とのひとこま

雪除けをして、正月を迎える準備をしなければならない。27日の朝は、その日の午後の会が分かっているかのように、偶然ブルが入ってくれた。その後、少し雪が降り、今朝開けなければならないところを見ると、もう少し屋根雪が落ちてしまうのを待たなければな…

『こどもの詩』文春新書ー安藤ちひろさん、角田隼彬君、梅津大輝君ー

12月推進員協議会の講義で、「詩」を読み上げようと思った。その詩は、梅津大樹君の詩(秋田) 四はみんなきらう 四は死につながるからと でもぼくはちがう しんぼう、しれん、幸せと 思っている ぼくは四年四組四番です 角田隼彬〈としき〉君の詩(宮城・小一)…

お元気ですか?

近場以外の賀状を、いくらなんでも書かないとまずいぞと、今日はセッセと宛名書き。添え書きのある人には、こちらも添え書き。最近やりとりした人には書きようがないが、なんかを一言。面白いのは、おそらく、何も書かないのもなんだしと思ってつけたのであ…

585年前の12月28日ー推進員協議会ー

今日は12月27日。今から585年前の応永27年の明日、28日。数え6才の蓮如上人を残して生母は本願寺を去った。季節や身近に感じられる日の話題を枕にし、それから全体に話を広げる…のが、まあ…私の現時点での話の持って行き方。 小咄「暖を取る」 寝る前に読ん…

著者の賀状・真継伸彦氏、金龍静氏

賀状だから、私信をある程度越えているだろうし、紹介するのは、その分野では知る人ぞ知る人だし、ブログで紹介してもいいですかと電話すれば驚かれるだけだろうから…、と、勝手に判断し紹介させていただく。 賀正 上の雪 さむかろうな」 下の雪 重かろうな …

世間の通例に従い…

賀状を書き出す前には仕分けがいる。「喪中(…難しいことはおいといて、)につき、年末・年始のご挨拶ご遠慮申し上げます」という、つらい文面に対して当事者が喪中につき、挨拶を遠慮ーすなわち賀状を出さないのは理解できるが、喪中でないこちらからはどう…

ー珠洲市ー「い佐助」碑。

12月11日に書いた西勝寺にある「故 い佐助」相撲取り碑は、「かながしら佐助」と読むのだが、子供の頃に「少年サンデー」で、幕下に「い佐助」という相撲取りがいたとの記事を読んだ記憶がある。

田の神様・「あえのこと(アエノコト)」画像の謎

神さまの画像は、柳田国男が田の神様の画像があることを知っていたのに用いずそれがあちこちで引用されているのはなぜなのか?という問題提起。『奥能登のあえのこと』の巻頭にその写真が載る。キャプションには「両度のアエノコトに、この絵像の前に種籾俵…

「千田一路句集」

捜していた千田さんの本が見つかった。黒い本と書いてきたが、白に青が少し混じった本だった。すごくいい加減な記憶だ。タイトルは「千田一路句集」帯「既刊句集・能登荒磯・波状・風位より厳選の300句」文学の森ベストセラーシリーズ第3期?。発行所が文学の…

「あえのこと」における「田の神」のイメージ

「奥能登のあえのこと」所収「神々の原影」p221若い人が書いた「あえのこと(アエノコト)」の書物に次のような記載があった。 民俗学研究所に届けられつつも使われなかったアエノコトの写真は、野本家(註・写真で最初に紹介されたアエノコト執行家)の六枚目…

神馬草から義馬草

12月21日、揚浜塩田を守ってこられた角花豊さんの奥さんは海苔取りに出かけておいでるとのことだった。海苔、と聞いてフッーとギバサについてはっきりしないことがあることを思いだした。磯の香りの中で生きてこられた豊さんならご存じだろうと、聞いてみた…

能登の塩作りー角花(かくはな)菊太郎氏ー揚浜塩田基本文献

→塩田文化・資料(平成23年・2011・6月8日追加)揚げ浜塩田で塩を買った(21日・水)。専売制がなくなるまで、角花家一軒が塩田を守り通された。その頃生産された塩は、純粋な塩だと、専売に引っかかるので、塩に昆布を混ぜて、おみやげとして、売っておられた。…

『能登国三十三観音のたび』『能登のくにー半島の風土と歴史ー』の帯

本の帯の文章に目がいくようなったのは、『能登国三十三観音のたび』の帯をどうするか?からだ。帯の文句は、出版社で考えることなのだろうが、今回は「能登の魅力をたずねてー能登の風土と、み仏たち」と担当者に言ったのが通ったので、つい、帯の文が気に…

本の帯ー千田一路氏の著書ー

本の帯に関して…昔『面白半分』という雑誌に「腰巻き」大賞というのがあった。タイトルを「本の腰巻き」にしようかとも思ったが、おそらく業界用語なのだろう…。帯に書いてある文ー惹起文ーについての感想である。昨日千田さんの本を取り上げ、今まであまり…

留守番

友人から電話があって、ブログを見たという。よくブログを書くヒマがあるなァと感心された。書いている本人も驚いている。意地で書いている状態に近い。もちろん、しわ寄せが来ている。まず部屋が片付かない。ブログを書くのが仕事ではなく、変な言葉だが老…

外浦・千田一路氏宅へ

今年の後半、3人の方が出版された本をそれぞれ直接届けてくださった。その方々に私も『能登三十三観音のたび』を届ける。→『七尾城と小丸山城ー能登の中世戦国史ー』推薦文・網野善彦先生出かけた。運転中は、♪雪か降ってきたほんのすこしだけれど…など雪に…

『潮鳴りの中に』『加賀の細道』

『潮鳴りの中に』は昭和62年、橋本確文堂刊。『加賀の細道』は平成14年。

『能登国三十三観音のたび』を送り…資料の後始末

昨日の朝、郵便一番で献本を送った。後始末をして、33観音の作業が終わる。写真CDが60枚。10枚から20枚入りののファイルが40冊以上。その他のファイルもかなりある。ファイルは、札所の関係者にあげようと一部コピーを取った。結局、資料が将来も必要にな…

『能登国三十三観音のたび』

執筆:西山郷史(さとし)、上陽子(かみ・ようこ)氏。装幀:西のぼる氏。発行:NPO法人能登ネットワーク。発売:北國新聞社、1200円+税60円=1260円。装幀は、中高校同窓生のよしみで、著名・多忙・売れっ子の西氏にお願いした。16日に出来た本は、本来、今年の…

『能登国三十三観音のたび』…その後

16日に出来た本は、綺麗な仕上がりになった。最初の予定は、100ページ、新書/B6白黒、ガイドブックの感じだったのが、A5:152p全カラー、表紙構成は西のぼる氏にお願いした。 表紙が綺麗なので、献本用の封筒詰めも楽しい。献本の短冊、この本を作るための…

「金沢の天神信仰」

金沢で、今日「金沢の天神信仰」と題する講演を行った。雪模様で、一日に往復する体力も気力もなく、昨日(16日:金)午後2時過ぎにこちらを出発。途中で、前々から進めていた本が出来上がったという報告が入り、ホテルで出版社の方から本を受け取り、金沢在住…

代田(しなんた)法事相ー志賀町

タイトルは今朝の新聞記事。詳しくは「代田法事の相撲場跡に記念碑」とあって、「志賀町光済寺(真宗大谷派)の法事が10月23日、24日に行われ、その日は代田法事といって、境内で盛大な相撲が行われた。(代田法事は)羽咋法事、七尾法事と共に近在有数の法事…

雪がトレーニング

雪も降ったし、こたつにもぐり込んで…と思ったのだが、雪が降ると雪除けをしなければならない、ことを思い出した。もぐってばかりもいられない。昔、昔、雪深い地にソフトテニスの強い中学校があって、そこの生徒は高校に進学してからもたいていテニスを続け…

『相撲の民俗史』『能登・唐戸山における仏事満座の相撲~唐戸山神事相撲圏の形成に関する歴史民俗学的考察~』など

能登の法事相撲に関して詳しく調査した報告書がある。これを探すのだが見つからない。寒い。春になったら…とも言っておれない。この機会にどこにどういう風に本を詰めたのかを知ろうと本箱周辺をうろついた。「唐戸山相撲史」(昭和46年:平岡克明著)のコピー…

重要無形文化財「気多の鵜祭りの習俗」

「青柏祭の曳山行事」指定から12年経って指定されたのが鵜祭だった。能登のキリコ祭り、唐戸山相撲、お出で祭りなど、充分指定条件を満たしている行事はあると思うのだが、「鵜祭」になるとは思わなかった。というのも、平成11年(1999)に県教育委員会から『…

『石川の祭り・行事』『石川県の民俗芸能』『信仰の道』

『祭り・行事』30項目。その後の『石川県の民俗芸能』(平成15年:2003)30項目の中から、県指定を選ぶという動きはあるのか?,,※下の両脇が白いのは、スキャナーに光が入ったらしい。

石川の重要無形民俗文化財

石川県内に、重要無形民俗文化財は何件あるか?答え:6件です。 南から1「尾口のでくまわし」2「気多の鵜祭の習俗」3「青柏祭の曳山行事」4「熊甲二十日祭の枠旗行事」5「能登のアマメハギ」6「奥能登のあえのこと」。 名を見て、どこで行われている行…

鵜祭り

今朝、「鵜様」が、鵜捕部たちの「ウットリベー」のかけ声と共に、七尾市鵜浦町から、羽咋市気多神社に向けて、出発した。[北陸中日]新聞によれば、鵜捕主任:小西寛之(43)さんが鵜崖から鵜を捕獲し、榊、御幣のついた竹籠に入っていただき、道中が始まった…