南條文雄師筆墓碑銘

8月17日(月)鶴来の墓地で南條文雄師の墓碑銘に出会った。その時、これまでに1,2基出会った旨をかいた。一つは七尾の大泊であることは覚えているが、日記・記録ブログであるこのブログの検索を見たが記録していない。そこで、それこそ膨大な写真を検索した。

大泊と明達寺さんに出てきた。記録しておく。

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七尾市大泊墓地2007年3月6日撮影

「累代之墓」である。

 

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碑(廟)は光が当たっていて読みづらいが「南無阿弥陀仏 清澤満之」と読める。境内に清澤満之・暁烏敏対座像を安置する「蝋扇堂」があり、こちらは有名だが、南條文雄書の碑文のある墓があることはあまり知られていないのでは…。今、「南無阿弥陀仏 清澤満之」と読めたので、満之の字を引用した暁烏家の墓かと思ったが、文雄の碑文もあることから、満之師の分骨墓とみるべきなのだろう。

碑文は

「阿耨達池四」大河如来亦爾」出一切寿一切」人天寿命大河」流入如来寿命」大海」

大正二年三月

南條文雄書」

とある。

 

 

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蝋扇堂 2012年12月27日撮影。この向かいに著名な敏作「一億の人に一億の母あり…」碑がある。この碑も何カ所か見ているので改めて項立てする。

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南條文雄直筆。『梵漢対譯 新譯法華經』(大正2年9月25日発行 眞宗大谷大學尋源會出版部編輯 法藏館発賣)より。

[解説]これは南條先生の手写しの梵文であって、普門品の初の方の壱葉である。本書では四八八頁二行目の「壌せむ」といふ所から九行目の「かくの如きの力あり」までに相当する梵文である。「序の一」にもある如く六部の写本二部の刊本とを以て縦横に校合した苦心の跡を見るべき稿本である。併せて「序の二」を参照せんことを希望する。(泉 芳璟)

※泉芳璟氏はこの本『梵漢対照 新譯法華經』の供訳者で大谷大学教授、ちなみに南條文雄師の肩書きは、文学博士となっている。