謹呈の依頼をご生前に承っておりましたので・・・・・・大桑斉『本願寺教如教団形成史論』
「とも同行の真宗文化」初校を見て返送した。
メールの送信が使えず、カメラもピンが合わない。
コロナ騒ぎに呼応するように、昔の生活を余儀なくされている。
はじめに、あとがき、
切りが無いので、書いてみてやめた。
あとがきの代わりに「学統」を入れた。
私は学会は無縁なので、「真宗文化」の観点から、この人のお話なら聞きたい、読みたい
さらに受けつがれていって欲しい世界の方々を少し並べた。
その締めに大桑さんを書いた。
次の文である。
大桑斉(一九三七~二〇二〇)
膨大な著書中、とも・門徒に寄り添った仏者・門徒像を描いた代表作に『大地の仏者』(能登印刷 五十八年一月)、『論集仏教土着』編(執筆者二十二名 法藏館二〇〇三年三月)、『江戸 真宗門徒の生と死』(二〇一九年十二月、方丈堂出版)がある。
日本宗教民俗学会(テーマ―「真宗と民俗」の再検討、於大谷大学、二〇〇六年六月十日)で、大桑氏は特別講演「真宗と民俗―思想史の視点から―」を行った。講演録より。
「真宗と民俗」という問題のいったい何が、現在問題なのかという疑問です。
江戸では真宗は亡霊という民俗(学の対象)に立ち向かいました。あるいは異界というものに立ち向かいました。でも近代ではどうなったのか。近代に民俗(事象、学の対象)が消滅したということが言わず語らずに思われているようでございますけれど、そうではなくて、近代に至って、民俗は国家儀礼に吸収されたと思います。
(中略)「真宗と民俗」という課題を立てて私が考えるならば、真宗は何に向き合っていったのか、それと真宗はどう関わったのかと、こういう問題として私は考えていくことになるだろうとの関心に立っています(『宗教民俗研究』第十七号二〇〇七年 二十~二十一頁)。
大桑さんとは、真宗地帯に華やかな風流を伴う祭礼が多いのはなぜかを、メールでやりとりし、参考文献・問題点を出しつつあるところで、大桑さんは『江戸真宗門徒の生と死』(方丈堂出版)、『本願寺教如形成史論』(法藏館)出版の追い込みに入られ中断。大桑さんの、門信徒の願い・悲のさらに奥にある根源の「こころ」に思いを寄せ、それを思想史として普遍化し続けられた学びの姿勢は、大桑学統として受けつがれなければならない。
二〇二〇年四月十四日還浄。法名斉証院釋闡正、八十二才。
初校の綺麗な版組を見ていたら、様々な媒体の寄せ集めだけに、またスキャナーの読み取り間違いが出てくる。
送った後も、直しを入れていた。
法藏館の案内では、大桑さんの『本願寺教如教団形成史論』は6月10日刊行予定になっている。
多分、それまでには私の本が出来上がるだろうから、大桑さんの前にお供えして、それからその本を購入するかどうか考えよう、と思っていた。
4月14日還浄なさり、22日は39日目。
常如上人祥月、聖徳太子・乗如上人ご命日だ。
そこへ郵便が届いた。
なんと、
さて、故大桑先生より、ご編著、
の謹呈の依頼をご生前に承っておりましたので、
ここに代送させていただきます。
・・・・・・法藏館
なんだよ、賀状に2冊が出来るまでは少なくとも越えられそうだ、とお書きになっていたじゃない・・・。
それが、生前に依頼をなさっていたなんて・・・。
あとがきを見る。
おそらく、研究生活の最後になるであろうこの編著(一編だけ別の人のデーターが入っているだけで、著書だ)は
・・・(関係者へのいたわりのことばがあって)
二〇一九年一〇月 くたびれはてて 大桑斉
私が大桑さん宅へ寄ったのは11月11日だった。
くたびれはてきっておられるときだったのだ。
というか、この本の目途が立ち、
『江戸 真宗門徒の生と死』(方丈堂出版)を進めておいでたときだったのだ。
その時はじめて
―声が出ないとか、様々な症状がおありの時訪ねて、安居疲れが取れないのだろうぐらいに、思っていたのがー
ガンと闘い、歴史学の現状と闘い続けておいでることを知ったのだった。
むかし懐かしで訪ねるわたしと、大桑さんとの間には深い溝があったことに気づいた本ではあるが、
大桑さんは、あの日、
変革(五濁悪世がドンドンはびこってきている今は、現状維持たらんとする時、それがすでに変革だろう)なんて言葉は、一向一揆530年どころか石川の学会のどこにもない。
そんなことにも気づいていないのか・・・、
とお嘆きになった。
そして、お話しの中では、いつものように、ポイントごとに「信心」を必ず言葉にされた。
帯の「変革者としての教如」が撃つ。
大桑さんは「変革者としての歴史学」
「変革者としての真宗」・・・
「変革者」たれ・・・・・・を
残していかれた。
「変革者としての大桑斉」さんから
「ご生前に承っておりました依頼」が、「こころせよ」と届いた。
今朝お朝事の御和讃は
釈迦如来
かくれましまして
二千余年に
なり給ふ
如来の遺弟
悲泣せよ
次第六首だった。
昨日から悲泣しぱなっし・・・・・・