還浄のお知らせ(息子 郷光)

郷史の息子、郷光(さとみつ)と申します。

先ほど偶然、父のはてなブログのアカウント情報を見つけることができました。

父郷史の訃報をご報告いたします。

 

郷史は、2022年9月29日早朝に小脳出血で倒れ、午前中に脳死状態となり、それから2週間後の2022年10月12日、能登の郷土と真宗の歴史に光を当て続けた生涯を尽くし、還浄いたしました。

皆様に賜りました生前のご厚誼に深く感謝申し上げます。

 

真宗大谷派臥龍山西勝寺第25世住職 闡勝院釋臥勝(俗名 西山郷史)満75歳

 

ご報告が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

父のブログ「能登のうみやまブシ」をご覧くださって、ありがとうございました。

このブログは、このまま残しておきます。

西山 郷光

お彼岸中日 前日

「こころの時代 かわいい民芸」を見たらとすすめた、学生時代の同級生から「文机に初秋風を招きけり 阿青畝青畝」から始まる感想文が届いた。「玄鳥去るころ」ともある。

私は、ことしの季節がわからないメチャクチャな天候にもかかわらず、時がくれば、咲き実を付ける草花を見て、千代尼の「決定心 梅咲くや 何が振ても 春ははる」を季節とは無関係の回向としていただいていた。

 

ポスター一週間前

源平萩は、盛りを過ぎているそうだ。栗拾いに熱中していて鑑賞する余裕が無し。

昨年アサギマダラが来たのは、10月15日だった。

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

大福寺からの高爪山・341㍍

比丘尼の生地伝承のある縄又比丘尼谷。作者は?象が立った頃から、一人想定している作者がいるにはいるのだが…。

上野山遺跡。予定では9月30日までの発掘。別用があって、親子発掘体験にも、現地説明会にも行くことが出来なかった。

 

いつものように、一周。

西方からの(贈り物なる)木―栗

14日朝。

プラス15日朝。

畑の草を刈ってくれる人がいて、栗を拾う。

皮をむいて、水に漬け渋を取ってくれる人がいて、栗ご飯になる。

なんと言うことだ…。

 

元に戻った書籍 書籍の出所が分かったので届ける。

出来るだけ虫食い状態を、元に戻し、分類していたら、はがきが数枚挟まっている。差出人・受取人の住所などを調べていくと、高岡・珠洲郡のお寺と関係あることが分かり、元あったのであろうお寺に届けてきた。

 

ロマンに惹かれ 大谷 これは今朝(15日)の記事。

現役で活動している人が中心で、わたしはちょっと補助をしている感じ。

いいタイトルだと思う―ロマンに惹かれ 大谷③

明朝放送ーかわいい民藝救いの美(こころの時代~宗教・人生~)ー

4日、ここでお食事会だった。

こころの時代〜宗教・人生〜

その言葉が道をひらく

「かわいい民藝(げい) 救いの美」

初回放送日: 2022年9月11日、5:00~

名もなき作り手たちの“かわいい”民藝に宿る平和な心。富山の民藝運動に受け継がれた人々が語る他力の思想。いのちをゆだねることで生まれる“救われた”美の世界とは。 素朴な沖縄の湯呑みにアフガニスタンの謎の生き物が描かれた大皿など、1000以上の世界各地の民藝品が並ぶ、富山県南砺市の大福寺。名もない作り手たちの手仕事から生まれた民藝品を手に語るのは住職の太田浩史さん「民藝はかわいくて平和。作った人も物も救われている」と話す。南砺の地に根付く民藝運動の“他力”の心や、美しい風景に抱かれて今も健やかな美を生み出す作家との交流から、かわいい民藝の奥深い世界を伝える。

南砺~飛鳥山善興寺~井波別院瑞泉寺~赤尾行徳寺~井波フェステ(マルシェ、道宗打ち・木遣踊り、正信偈真四句目下げ・和讃淘八、法話、真宗の生活シンポ)~懇親会~小矢部

4日(日)の井波フェステ、真宗の生活シンポに向けて、前日からいろんな所を巡ろうと、いさんで出かけた。

戸出というところに数カ所、利賀、赤尾。5日は小矢部や勝興寺あたりまで回ろうと出かけた。

ただ、このところ豪雨続きで、4日も雨。ゆっくり歩くのは難しそう。

能越道・能越県境を過ぎると海の彼方に山なみが見えてくる。

戸出(高岡市)におられる先輩を訪ねようと向かったのだが、射水市に入ってしまった。カーナビには探す住所が「見つからない」と出る。それで

お寺を探した。飛鳥寛栗『棟方志功越中ものがたり』(桂書房)の善興寺である。富山の飛鳥には忘れられない思い出がある。

私の学生時代頃は能登ブームが続いており、私のお寺は青少年宿泊所を営んでいた。その時泊まっていかれた二人組が「飛鳥」さんだったのだ。ペンネームなどで無く、そんな姓が現実にあることに驚いてから数十年。再び飛鳥姓の方が書かれた書物に出会ったのだ。

たずねるならこの機会。雨脚もひどくなくしばし境内を散策した。

そこで、?先輩宅―戸出ではなく戸出町で見つけることが出来た。都市部は広い。たどり着いて○さんは?と聞くと私だというので、能登の西山です…え!ギョギョの出合いだった。さらに父同士が大谷の国史同級生で、父の還帰以後も年賀状を書いていた戸出のお寺へも行くことが出来た。

次は利賀、さらに赤尾のつもりだったが、利賀道は道路の半壊、庄川沿いの赤尾道は以下の通り。

早めに旅館に入り、翌日の予習に切り替えた。

4日(日)晴天。

宿「東山荘」。『妙好人千代尼』表紙の朝顔に似た朝顔が咲いている。

御朝事お参り。

 

その後、昨日たどり着けなかった赤尾行徳寺さんへお参り。

門徒さん宅にあった「二十一ヶ箇条道宗之作」とある資料について、絵はがきも手に入れたかった。

 

瑞泉寺さん。午後。まず道宗打ち。引き続き木遣り踊り。

 

井波木遣り踊り(井波太子伝会&いなみ太子伝観光祭)2017 Inami Taishiden Festival - YouTube

 

お勤めに続き御法話

法話の田中氏とパネラー三人は前の方に席が用意されていて、身近に、木遣歌・踊りを見させていただいた。その合間に、市長さん頑張って下さいとか、期待してますよと声を掛けていかれる方がいる。お寺の方の聴聞も多いらしく、お話はお寺の役割の大切さにも触れられた。あっという間に予定時間が過ぎた。

 

夜。懇親会。これが楽しみで数日前から浮き浮きしていた。

経沢さんの料理。経沢さんは「割烹まる十」(富山市千代田町9ー1)店主。経沢さんは周りを楽しませ、自分のことはほとんど語らないが、1990年から4年間、ニューヨークでも料理修業をなさり、料理店の支配人をなさっていたそうだ。食材の素晴らしさ・味の良さに、牛乳で酔っ払ってしまった。アルコールが入ったら一品から先へ進めないで宴を終えてしまったろう。

翌朝。桜が池付近の朝。
これから、ゆっくりと散居村を走らせ、日常に。



 














 

われら、語り部

竹部俊恵、尾田武雄氏のフェイスブックに、4日の井波御坊フェスシンポ、語り合い(大騒ぎ)の様子が載っていたので、転載させていただく。
井波御坊フェスのチラシ、両氏のFBを載せてから、大騒ぎ語り部の著書を紹介しようと思ったのだが、どうしてもうまくいかない。
 
先に手元にある著書を紹介する。

福江充氏

左3冊福江さんの著書。岩田書院法藏館ともあこがれていながら縁がなかった出版社である。福江さんの姿は拝見したことがあったが、どんな学者さんだろうと敬して遠ざかっていた。だが、今回はじめて大騒ぎすることが出来た。すごく柔和なかただった。

 

宮本南吉氏

次の霊峰白山、南砺八魂一如は宮本南吉さんの著。宮本さんとは八魂一如連載の頃、取材においでて知り合った。現在北國新聞富山新聞で連載中のバンナン編集委員コラム上で、霊峰白山を執筆なさっていたことを知った。白山関係では読みやすく幅広く最高の書だと思っている。

 

尾田武雄氏

とやまの石仏たち、となみ野散居村の記憶、尾田武雄抜き刷りは、尾田武雄さん。とやまの石仏たちは二〇〇八年刊行。宴席の場に掛けてあった「法蔵菩薩五劫思惟像(痩せ仏)」の世界があることを世に知らしめたのはこの書物だった。この本を見たとき緻密な研究者がたどりついた集大成だと思った。それほど充実した内容である。

ところが、その後の尾田さんの活躍で、この書が出発点だったのだと知ることになる。

散居村の記録は、3日に泊まった別院前の東山荘の玄関近くに置いてあった。砺波土蔵の会編著である。尾田さんが理事長。宿の女将さんにこの人と今日会うんですよ…と自慢したかったが時間がなく、道宗さんのお寺に向かった(門徒さん宅にあった「道宗二十一箇条」のことを聞くため)。

家に帰ったら、書棚にちゃんとあった。しかも尾田さんからいただいている。

経沢さんと二人きりになると、必ず「尾田さんは、南砺(富山だったかも知れない)のタカラなげちゃ」と敬愛を込めた口調で語りかけてくれる。私も本当にタカラやなぁ、といつも思うのである。

 

太田浩史

太田さんを知ったのは、確か「アクタス」で南砺の土徳について触れられていて、すごいことを考えておいでる方がいる。珠洲市仏教会でお話を聞こうと交渉し、来ていただいた時だった。私が仏教界・真宗講座で講演を依頼したのは出会ったことのある人ばかりで、一面識も無い方を頼んだは初めてだった。

2007年4月のことだったように記憶するのだが、その前の3月25日に能登沖地震が起き、太田さんは寸段された道路を回避しつつおいでになったはずだ。砺波平野の美しさを映像で紹介されたはずで、スクリーンを含め本格的な機器を持って来て下さった。

その後は、いただいた本で紹介する。

柳宗悦と南砺の土徳

十五日講について

相馬移民と二宮尊徳

民衆の中で成長した親鸞

妙好人棟方志功

御影道中御上洛記

下の写真の抜き刷り

真宗移民

砺波詰所

蓮如上人御影御上洛随行

別の本箱に、写真には無い、恵信尼の道があった。

太田さんの仕事は、私がある円を描いているとしたら、その円の同心円状の広がり上を、深く、絶えず行動しながら歩まれているような気がする。見当(想像)つかない次元の研究者・語り部である。

 

松金直美さん

松金さんは、どんなことがあっても足を踏み入れることはないであろう、私にとっては、敷居の高い教学研究所というところに所属なさっている。

何年か前に、能登教務所所長さんから、○○にならないかとの誘いを受けた。教学に関するレポートを本山に直接提出し、審査に通ったらなれる学者の位だということで、挑戦したい気持ちが動き、論文用紙まで準備したのだが、ハードルが高くあきらめた。

当寺の所長さんに打診なさったのが、松金さんだったのである。軽々しくさん付けで呼べる方ではないのだが、「我が宗門においては、御同朋・御同行」(一茶)なので、友達のように振る舞わせていただいた。

 

経沢信弘氏

古代越中の万葉料理の表紙。万葉集に載る食材を追求し、盛付皿などの食器は家持時代のもの。万葉食を追求し切っているのだ。先日載せたブログ上の経沢さんと岩崎氏のコメントやりとりには笑ってしまった。

経沢さんがおいでになったとき、お書きになった大門素麺の本を、ねだってもらったはずだが見当たらない。

見当たらないのは全て、地震のためにどこかに紛れ込んでしまった、ことにしておく。

 

下は、私が書いた書籍。真宗生活について談論風発(尾田フェイスブック語り部会に混ぜてもらっても不思議ではないようだけど、向かって右側の能登関係がかなり多い。

やっぱり一茶から見た真宗も書かないと…。




 
 
 

 たけ
法話の田中氏が写真まで入って目立っている。
瑞泉寺の御朝事にお参りしたとき、輪番さんが今日は市長さんの法話もあり、賑わうでしょう…とおっしゃったので理解できた。
 
 
井波御坊フェス、田中幹夫氏の法話に続き、今、シンポジウム
‼️
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
尾田 武雄、竹部俊恵、他39人
 
 
尾田武雄氏のフェイスブック
9月4日(日)「井波御坊フェス」の鼎談にパネラーの西山郷史先生、太田浩史先生、松金直美先生の三人で「真宗の生活」が語られた。その後三氏の他に北陸大学の桧森隆一先生、福江充先生、伊藤梢先生、富山新聞宮本南吉先生を囲み経沢信弘先生の料理で、真宗生活について談論風発です。場所は南砺市大窪大福寺にて~。掛軸は明治30年作の五劫思惟の阿弥陀如来坐像(法蔵菩薩)です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
経沢信弘、Hiroya Yoshitani、他77人
 
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城端大福寺で交流、大騒ぎ。

4日夕刻から。経沢信弘さんの投稿を転載。

4日4日経沢信弘さんは福江 充さん、

他2人

と一緒です。

8時間前 
昨夜は北陸の宗教民俗の先生方が城端大福寺(太田浩史砺波民藝協会会長)に、一堂に集まりました。能登の西山さんを囲んで金沢北陸大学の福江さん、副学長の桧森さん、講師の伊藤さん、富山新聞の宮本さん、砺波の尾田さん、真宗大谷派から松金さんの豪華なメンバーで素晴らしい集まりでした。僕は料理担当。感謝!
 
 
 
 
 
 
 
福江 充、尾田 武雄、他60人
 
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旅立つ書物

 

この間、まず、ダンボール10箱、さらに10箱、古書店に送った。

[経過]

歴史・民俗・文学、戦前の書籍を処分するに際し、色々考えたが、珠洲の図書館には、いつか郷土資料(北能登エリア)を寄贈することにし、多くの専門書は、私が本を借りるならば県立なので、そこに所蔵していなかったり(検索した結果の、正続群書類従、正続日本歌謡集成、大系日本歴史と芸能など)、その他全集等で、欠本が生じ、私の持っている全集で補えるものがあれば寄贈しようと考えた。

忙しい司書さんの手を煩わせないため、考え抜いてこういう結論に達したのだ。

それで、8月16日お盆もすぎに、唯一知り合いの司書さんに電話したのだが席を空けておられ、折り返し電話しますといったきりかかってこない。

それで、書籍類を写真に撮り、「歴史・民俗」「全集・雑誌・図録・紀要・その他」「戦前・戦中・戦後」のフォルダーに分類し、USBで送った。

これらの本に必要が無いようなら、検索にない「大系日本歴史と芸能」第五巻(「節談説教の風土」を執筆)及び、献本した国立民俗博物館研究報告九「死・葬送・葬制資料集成 東日本」と、セットの研究報告十も送りましょうか?、送付したUSBはご自由にお使い下さい、と添え書きをつけて送ったのが24日。

電話の返事が無かったのに続いて、郵送の反応も無し。

 

 

県立の施設なのに、一般県民を無視しているとしか思えない。

 

日一日と、本を持てる量が減っていく身としては、相手にしてくれないところは無視し、古書店経由か廃棄で進めることにして、動き出したということである。

 

[古文書・和書]

書物は、国会図書館まで視野に入れると読もうと思えば読めるが、古文書、筆写本の類いは一点ずつしかないので、これはなんとしてもどこかに残さなければならない。

当寺に伝わってきたもの、御門徒さん宅から寄贈された書写本や巡拝記録などは、西勝寺法宝物として残すことが出来るが、

問題は、預けていかれたり、研究用に手に入れた文書である。

それらをどうするか、取りあえず写真に撮りながら考えることにした。

 

某道場設立、あるいは道場主を継がんとして学んだ僧志望者の典籍籍

タイトルのような昔話がある書籍を預かっていた。

まず、これから何とかしようと、手を付けだした。

預かった時(2021年2月)の状態である。 

翌日のブログでこう書いた。

 

20210年2月25日(木)宝立公民館で講演した。

講義の始まる少し前に、待機していた事務室に、一人の女性がおいでになり、二冊の和本をお見せになった。

一人暮らしの友だちのところにほこりだらけの汚いのが100冊ほどもあって、西山先生に見てもらおうと、埃を落として持参したと、おっしゃる。

見ると、四帖疏玄義分を解説した一冊、もう一冊は廣本~とある。

それで、善導大師のお書きなった観経解釈本の説明、親鸞聖人のお書きになった御本の説明本ですね。

筆写された本なので、大切にしておいてくださいと伝えて下さい。

ところが、「汚いし何が書いてあるかも分からないし、跡継ぎもいないし、

今日ゴミ捨ての日なので捨てる、とゴミ場に行くところだったので、ともかく見てもらおうと持ってきた。

その人は、家に置いておくつもりはないのです。」

とおっしゃるので、(焼却しないで)残しておかなければならないですよ、と言ってはみたものの、

残すにはどうしたらいいかが出てこない。

講義の時間は近づく。

結局、私が預かるしかなくなり、

講義を終えてから、持ってきた方(知り合いの奥さんだった)、館長と共に持ち主のお宅に行き、預かってきた。

それが、この冊子類である。

79冊ある。

どうしよう……

 

見本に持ってこられたのは、先の文にも書いたように(虫食いの少ない二冊を)綺麗にしたものだったので、あとで、虫干ししようとしたら、本箱と本がひっついていて剥がれないものもあり、虫食いがすごい状態になっていた。

 

それでも、どうかしなければならない。

寺院(道場)を建てようとしていた人物が、どのような典籍で学ぼうとしたのかを知る貴重な史資料になるはずなので、

大谷大あるいは龍谷大関係者に話を進めようと思い、とりあえず、写真を撮って、分類することにした。

暑い。虫食いの粉が出てくる。マスクをして並び替える。

 

こればかりやっておれないので、30冊ほど虫干しするため、「流し」に広げ、どういう経過でその家にあったのかを確かめるべく、関係者に電話しようと思うのだが、預かった人の名さえ思い出せない。

 

紙を剥がしている途中に「はがき」が挟まっていたので、宛名とゆかりのある家に電話した。

そこで、

はがきの人物、書写した方が特定できたのである。

 

はがきの宛名の方は、現在90歳近い住職さんの祖父だという。

典籍のほとんどを筆写している人物は、その人の父で当時富山県のお寺のご住職。祖父ぎみはそこから養子としてはいったのだという。

 

筆写は年月日はもちろん、講義のあった場所、講師名など経典と同様にキシッと書いておられる。それで、藩政期のものであるのにすぐに特定できたのだ。

 

そのお子さんは、高校時代教えた子で、うわさでは某派の本山で中核を担っているそうで、保管の心配もない。

 

しっかり活かされるていくだろう。

パラッと整理したところでは、数点読んでみたい書籍があるが、次に進まねば…。

これなどは珍しい。

 

 

宅田上野山遺跡、赤神道の駅、高爪山、八朔まつりー27日(土)

    大福寺近くからの高爪山。

 

宅田上野山遺跡。旧石器から中世集落。3日は富山県にいかなければならず、修理のすんだパソコンを引き取りがてら、一度見ておこうとたずねた。土曜日で調査は休みだが、発掘規模の大きさに驚いた。

宅田・石休場・熊野・三井・内屋にある真宗寺院を山五ヶ寺という。

宅田には真照寺、次の石休場照福寺は山号が上野山、同じ名の上野山にある。そこではかつて麓の道路が拡張するというので、予定地の畑を歩いたとき(道路は畑を通らなかったが…)須恵器の破片を数点見つけた。

そういうこともあったので、この遺跡が旧石器時代からということで、河原田川流域の奥深さに身が震える思いをしている。

宅田地区は広いので、麓を何度も回ったのだが分からず、畑仕事をしている人と話し合って、場所が特定できた。考えてみれば旧上野台中学はこの台地の名を付けたのだから、気づいてもよかったのだ。畑仕事の人は自分の家のお墓があったところだとおっしゃっていた。

近くの畑から撮影

すぐ側が気勝岳・気勝平、高洲山が目の前に見える地である。

 

 道の駅 赤神

 

27日は八朔(八月朔日)から移った八朔まつり。

八朔は、「田の実」の日といい、この日、稲が一気に育つ日といわれていた。

その日に、野分(二百十日、二十日)の風を防げるよう、神々を楽しませる、その祭がはじまったのだが、現代は、八朔ではなく、8月最後の土・日に営んでいる。

この日、同じ趣旨の諏訪神社・鎌祭りも行われた。あれ!27日は旧暦の八朔だった。

 

祭礼付近の豊かな実り。そこからの高爪山。

『越境する出雲学 浮かび上がるもうひとつの日本』岡本雅享著

筑摩選書0233

25日いただく。

 

かつて、新聞を送っていただいたことがあったが、細かいことは覚えておらず、9P366頁ほどの大著のどの部分で接点があったのか、時間をかけ、ゆっくり読まないと分からない。

 

読み出すと、面白くてやめられなくのを、他のこともしなくてはならないので、

地震後、とりあえずもどした整頓前の本箱から、いただいたはずの新聞紙を探した。

2012年(平成24年)2月21日の山陰中央新報だった。

「アイの風」話を引用していおいでる(お会いして話したかも知れない)。肩書きが加能民俗の会副会長になっている。

 

同新聞を見ていくと、次の記事に出会った。

ほっこりする記事なので、載せる。

 「七転八倒」「つまづいたり ころんだりするほうが 自然なんだな にんげんだもの」を生んだ背景。「うばい合えば 足らぬ わけ合えば あまる」 あたりまえの大切さが身にしむ昨今、東日本大震災後。などが身にしみる。