※男女滝は、次のブログに
以下は、2013年11月26日のブログ記事。
7日、御住職が御西帰になられた案内を朝刊で見たので、お弔いに行ってきた。
2013年11月26日(火)朝刊
北國新聞・県内総合版
北國新聞PDF
北陸中日新聞・石川総合版
北陸中日新聞PDF
朝日新聞・石川版
朝日新聞PDF
25日午後、長誓寺に集まっていただいて、
5枚の資料を元に、現時点で分かっていること、推測などをお話しした。
巻物が新しそうに見えるのは、紙だけが存在していたのを、現住職が金沢の表具屋で装幀してもらったためである。
それぞれが受け止められたこと、独自の取材などから、翌26日の朝刊に記事が載った。
朝日の本物ならは、中身の問題でなく、紙質など残された問題があると話したことを踏まえてのこと…とのこと。
重要な巻末。
実仲が、求めに応じて書をしたためた。
50首目が、前大僧正光朗(大谷派本願寺20世達如上人)
49首目が近衛内大臣基前公
48首目が平松前中納言将章卿
近衛基前公は、達如上人の長男宝如の妻増子の父。
単純に考えれば、達如上人・近衛基前公の需に応じて書をしたため
この追慕和歌は、お二方の求めで詠まれた…
ことになるのだが。