福江充氏
左3冊福江さんの著書。岩田書院・法藏館ともあこがれていながら縁がなかった出版社である。福江さんの姿は拝見したことがあったが、どんな学者さんだろうと敬して遠ざかっていた。だが、今回はじめて大騒ぎすることが出来た。すごく柔和なかただった。
宮本南吉氏
次の霊峰白山、南砺八魂一如は宮本南吉さんの著。宮本さんとは八魂一如連載の頃、取材においでて知り合った。現在北國新聞・富山新聞で連載中のバンナン編集委員コラム上で、霊峰白山を執筆なさっていたことを知った。白山関係では読みやすく幅広く最高の書だと思っている。
尾田武雄氏
とやまの石仏たち、となみ野散居村の記憶、尾田武雄抜き刷りは、尾田武雄さん。とやまの石仏たちは二〇〇八年刊行。宴席の場に掛けてあった「法蔵菩薩五劫思惟像(痩せ仏)」の世界があることを世に知らしめたのはこの書物だった。この本を見たとき緻密な研究者がたどりついた集大成だと思った。それほど充実した内容である。
ところが、その後の尾田さんの活躍で、この書が出発点だったのだと知ることになる。
散居村の記録は、3日に泊まった別院前の東山荘の玄関近くに置いてあった。砺波土蔵の会編著である。尾田さんが理事長。宿の女将さんにこの人と今日会うんですよ…と自慢したかったが時間がなく、道宗さんのお寺に向かった(門徒さん宅にあった「道宗二十一箇条」のことを聞くため)。
家に帰ったら、書棚にちゃんとあった。しかも尾田さんからいただいている。
経沢さんと二人きりになると、必ず「尾田さんは、南砺(富山だったかも知れない)のタカラなげちゃ」と敬愛を込めた口調で語りかけてくれる。私も本当にタカラやなぁ、といつも思うのである。
太田浩史氏
太田さんを知ったのは、確か「アクタス」で南砺の土徳について触れられていて、すごいことを考えておいでる方がいる。珠洲市仏教会でお話を聞こうと交渉し、来ていただいた時だった。私が仏教界・真宗講座で講演を依頼したのは出会ったことのある人ばかりで、一面識も無い方を頼んだは初めてだった。
2007年4月のことだったように記憶するのだが、その前の3月25日に能登沖地震が起き、太田さんは寸段された道路を回避しつつおいでになったはずだ。砺波平野の美しさを映像で紹介されたはずで、スクリーンを含め本格的な機器を持って来て下さった。
その後は、いただいた本で紹介する。
柳宗悦と南砺の土徳
十五日講について
相馬移民と二宮尊徳
民衆の中で成長した親鸞伝
御影道中御上洛記
下の写真の抜き刷り
真宗移民
砺波詰所
別の本箱に、写真には無い、恵信尼の道があった。
太田さんの仕事は、私がある円を描いているとしたら、その円の同心円状の広がり上を、深く、絶えず行動しながら歩まれているような気がする。見当(想像)つかない次元の研究者・語り部である。
松金直美さん
松金さんは、どんなことがあっても足を踏み入れることはないであろう、私にとっては、敷居の高い教学研究所というところに所属なさっている。
何年か前に、能登教務所所長さんから、○○にならないかとの誘いを受けた。教学に関するレポートを本山に直接提出し、審査に通ったらなれる学者の位だということで、挑戦したい気持ちが動き、論文用紙まで準備したのだが、ハードルが高くあきらめた。
当寺の所長さんに打診なさったのが、松金さんだったのである。軽々しくさん付けで呼べる方ではないのだが、「我が宗門においては、御同朋・御同行」(一茶)なので、友達のように振る舞わせていただいた。
経沢信弘氏
古代越中の万葉料理の表紙。万葉集に載る食材を追求し、盛付皿などの食器は家持時代のもの。万葉食を追求し切っているのだ。先日載せたブログ上の経沢さんと岩崎氏のコメントやりとりには笑ってしまった。
経沢さんがおいでになったとき、お書きになった大門素麺の本を、ねだってもらったはずだが見当たらない。
見当たらないのは全て、地震のためにどこかに紛れ込んでしまった、ことにしておく。
下は、私が書いた書籍。真宗生活について談論風発(尾田フェイスブック)語り部会に混ぜてもらっても不思議ではないようだけど、向かって右側の能登関係がかなり多い。
やっぱり一茶から見た真宗も書かないと…。