2『妙好人 一茶』 ―『おらが春』、いわゆる『父の終焉日記』について

前回

妙好人千代尼』に書いた一茶を妙好人として見ていくことについて、1『妙好人千代尼』に書いた次の文を載せました。
 
 ○現今、俳句の愛好家は多く、講座や行事の場など、どこへ行っても、かならずといっていいほど俳句を楽しんでいる方々に出会います。
俳人の集まりなどで話す機会があれば、千代尼の法名は素園で、親鸞聖人五百回御遠忌の時の句がありますとか、
 小林一茶『おらが春』の最後に載る
   ともかくも あなた(=阿弥陀さま)まかせの年の暮れ
の前文は、本願寺八世蓮如(一五一五~九九)作の「御文」と同じ体裁で書かれており、「あなかしこ、あなかしこ」とまとめられています。このことからも分かるように『おらが春』は信心の書です、などと紹介すると、参加者は一様に驚かれ、多くの方が、よりその世界を知ろうとなさいます。しかし、紹介できる手ごろな書籍がなく、千代尼や一茶真宗の篤信者である「妙好人」であることさえ知られていないことに、物足りない思いを抱き続けてきました。<8~9頁>

 

 ○昭和二十一年(一九四六)には、藤秀璻が『新撰妙好人列伝』をまとめました。そこには五十三人の妙好人が紹介されています。
 大和清九郎、三河お園、石見善太郎、讃岐庄松、石州才市などの著名な妙好人のほか、親鸞以前の西行笠置寺真言宗京都府相楽郡)の解脱、蓮如の弟子である赤尾の道宗、さらに越後の良寛や、教学の第一人者である香樹院徳龍、一蓮院秀存、それに加賀(白山市松任)の千代尼、俳諧寺一茶(小林一茶、そのころよく知られていた貝原益軒、太田垣蓮月、伊藤左千夫などを取り上げています。
 この秀璻の『新撰妙好人伝』は、戦後まもなく、人心が荒廃している世情にあって、人々が指針とすべき像を妙好人に見ています。そのため、多くの妙好人が紹介され、そこには、著名な俳人である千代尼と一茶も取り上げられたのでした。

 ところで、一茶妙好人らしさが最もよくうかがえる彼の文に、『おらが春』『父の終焉日記』があります。
 『おらが春』は、「めでたさも中ぐらいなりおらが春」からとった題名なので、いい題だと思いますが、この句の前に、「ことしの春もあなた任せになんむかへける。」とあるのが大切です。
 「あなた」は阿弥陀さま。「任せ」は御文にもよく出てくるように「南無」の意ですから、この前書きは「ことしの春も、南無阿弥陀仏となん、迎えたのだなー」との述懐となります。
 この句のあとに、
   雀の子そこのけ〳〵お馬が通る
   名月を取てくれろとなく子哉
   露の世は露の世ながらさりながら
 子をうしなひて 蜻蛉釣りけふはどこ迄行た事か  かゞ 千代
   ともかくもあなた任せのとしの暮れ
       五十七歳 一茶
     文政二年十二月廿九日 ※一八一九年

 

一茶自筆稿本解題 荻原井泉水著『一茶研究』昭和十三六月廿五日  新潮文庫
 ○おらが春(部分)
『おらが春』一篇は、その内容に於てのみならず、著書としても、彼の作中にあつて唯一のまとまつたものである。

 といふのは、他の著作は彼自身で上梓する程に整理しないのを、後人が編輯したものであるけれども、此『おらが春』はすぐにも出版出來るやうに彼が清記し、自分で挿繪までかいておいたものだからである。

 但し、生前には出版されず、没後二十六年を経て嘉永五年に至つて、彼の原稿其ままをすきうつしにしたものが版行された。其後は其のスリ紙を版下として、ほぼ元の体裁に複刻されたものもあり、活字本としては俳書堂版のもの、其他数種類も近來公にされてゐるが、活字本の多くは此篇中の或一節を削除又は欠字せしめてあるのが常である。それは風俗上の顧慮からさうした事であらうけれども、一茶の心持は因果応報といふ事を書いたのであつて、卑猥な氣持ではない。
              


 こういう生き方をした一茶が、「父の終焉」という言葉を用いるはずがないどころか、「終焉」は、とも同行の対極にある語ぐらいに感じていました。
 『妙好人 一茶』には、「父、みとりの記」あたりが許容範囲かな…とも思っています。
 ところで、この書を真宗史料集に含んだ書籍、解題があります。
 次回は、そのあたりも問題にして、(いわゆる)「父の終焉日記」を考えます。

 

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小坊主や袂の中の蝉の声―一茶 「七番日記」文化12年6月 

※写真は2011年8月9日撮影・欅(庫裏後ろ)