横山尚秀師のお寺ー由緒地巡りー7月29日(水)
横山尚秀師は、昭和50年刊の『柳田村史』に「寺院信仰」をお書きになっている。肩書きには、「(故)大谷大学助教授」とある。
29日、師のお寺で坊守会があり、講義をしてきた。
学統から言えば、鈴木大拙~横川顕正~横山尚秀になるのだろう。
ひょんなことから、横川顕正師のお子さん香智子が著された『善正寺』という書籍が手に入った。
そこに、横山尚秀師が登場する。
ご子息の涼秀さんも本文に出てくるが、この方はいわゆる内浦五校と言われていたエリアで英語を教えておいでになっていた、高校教師の先輩である。
次男の廣君が高校の同窓生で親しくしており、彼は谷大の真宗学に進んだ。
唯一の真宗学・谷大関係同級生で大谷の大学院へ進んで僧侶教師の資格をとろう・とるしか無いとき目標を定めたとき、何を読めばいいのか分からず彼を頼った。
その時勧めてくれたのが『親鸞の研究ー親鸞における信と研究―』(二葉憲香著)で、それ以来今に至るまで、何かあれば尋ねている。
付け加えると、まだこの本を読み終えていない。
それはそうとして…話が前後するのだけれど、
彼の高校時代に、福井県で私鉄電鉄の事故があり、その時御尊父・尚秀師が巻き込まれ亡くなられたのだ(享年五十歳)。
『柳田村史』のあとがきに「仏教篇の執筆を担当された故横山尚秀先生には、玉稿なった直後不慮の事故で急逝されました。したがって本稿は先生の遺稿となった次第で…」とある。
さまざまな感慨はおいて、
学者が育ったお寺で、その人を想い偲んできた。
尚秀師のお寺、徳宝寺からの柳田風景