八朔 ーほのぼのカレンダー(法藏館)、『とも同行の真宗文化』、谷内正遠ふるさと版画展

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ほのぼのカレンダー-9月(法藏館刊)谷内正遠絵。場所は書いていないが、昭和39年9月21日全線開通し、平成17年3月31日に廃止された能登線藤波~波並間の光景である。。

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能登線日和 湯浅啓写真集』能登印刷出版部 2005年(平成17年)4月1日発行。

廃止された翌日の刊行本だ。私は宇出津高校へ毎朝6時過ぎの列車で通った。妻はそれよりかなり早く起きて弁当作り。飯田高校時代は生徒が通学した。30キロ離れた鵜川から通った生徒たちもいた。この光景はその途中…。

中の写真は、一枚一枚が次々と語りかけてきて切なくて見ることが出来ない。

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同じ場所の朝焼け。『湯浅啓写真集 能登線憧憬』亀鳴屋制作 2008年10月14日発行。湯浅さんはどうしているだろう…。

 

ほのぼのカレンダーを発行なさっている法藏館からメール配信版「法藏館書店ニュース9月号」が届いた。

なにげなく読み眺めていくと、恒例のベスト10コーナー(8月期)

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法藏館書店ニュース9月号、16ページ。売行ベスト10(8月期)

なんと10位に『とも同行の真宗文化』が載っているではないか!!

本が重いのと、つても無く、知り合いの能登の本屋さんと小松の本屋さんにかろうじて置いてもらったが、私の車移動範囲が精一杯。タイトルからし法藏館さんにもと、お願いしたら快く置いて下さった。

 それで、この本に関しては満足しきっていたのが、このような形で目にするとは…申し訳ないことです。

 

次に谷内正遠さん。ご本人とは面識はないが、父君の誠之師は私の二度目の教区会議員時の議長さんで、可愛がっていただいた。

その御尊父が正順師で郷土の偉人調査の記事(北國新聞2006年・平成18年8月8日)に次のように書いている。

谷内正順は一八八六(明治十九)年四月に羽咋郡河合谷村(現津幡町上河合)の慶専寺で生まれた。九歳の時に眼病にかかり左目を失明したが、県立第三中学校(現七尾高)、旧制一高を経て進学した東京帝大を首席で卒業、明治天皇から「恩賜の銀時計」を、本山から「宗門の名誉」として銀の鎖も受けている。
一高同期の文豪谷崎潤一郎も「大変な聖人」と認めた谷内は、東京帝大助手、石川師範教諭、高岡高商(現富山大)教授、真宗大谷派教学研究所長、同中央修練道場長などを歴任し、一九六八(昭和四十三)年に八十二歳で亡くなった。

 

 

 

付け加えれば祖師650回忌前年の明治43年んは句仏上人の一ヶ月余に及ぶ北海道樺太御巡化に同行しており、若き時から教化の中心を担ってこられた。

著書に『光雲無碍』(昭和37年11月1日文永堂刊)がある。

 

懐かしの能登線沿線は、そのお孫さんの絵であり、今月の展覧会案内。

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学びの人が育った地での、美術鑑賞ー胸躍る秋の始まりー八朔である。