能登を知る

オーこれは!

輪島塗 アイヌ愛用だった とも同行の順拝・たび「宗祖聖人御旧跡巡拝」―豊四郎順拝を続け、間に何も入れないつもりだったが、世の中広いというか狭いと言うべきか・・・。 朝刊トップに四柳氏の記事が・・・。 館運営で素晴らしい手腕を見せておいでだったが、 研…

臥龍文庫

新たに加わる 今まで書籍をいただき、不義理をしている方に『とも同行の真宗文化』を送った。その短い時の中に、出版予定があったりするとその方も私に送らないわけにはいかなくなる。この本がまさにそれ。多くの博士が執筆しているだけでなく、内容に応じて…

南溟寺さん寺報・宝蔵魂

南溟寺さんが寺報で取り上げて下さった。

『とも同行の真宗文化』出来

大法輪と比較して、この厚さ。これだけ厚いと、どこかで読みたい分野と出会う可能性がある。テキストと聞いていたのがこんなに厚いなんて・・・感の反応が多い。 添え書き用元、と謹呈。謹呈はちょっとズレたりして、手作り感いっぱい。 年代別引用8頁中1。索…

男女滝(なめだき)

2020年6月9日(火) 2014年平成26年4月17日 2013年平成年25年9月13日 昭和35年頃

西二又、上大沢ーお弔い

千畳敷 西保あたりから上大沢、西二又方面 男女滝 人が訪ねない現況ではこういうものだろう。道路側には鑑賞地がある。 千枚田暑くてボアーとするので、目覚ましにソフトクリームを買った。 ※男女滝は、次のブログに 以下は、2013年11月26日のブログ記事。 7…

謹呈の依頼をご生前に承っておりましたので・・・・・・大桑斉『本願寺教如教団形成史論』

「とも同行の真宗文化」初校を見て返送した。 メールの送信が使えず、カメラもピンが合わない。 コロナ騒ぎに呼応するように、昔の生活を余儀なくされている。 はじめに、あとがき、 切りが無いので、書いてみてやめた。 あとがきの代わりに「学統」を入れた…

サンスクリット学―大地原誠玄の里~東 昇(電子顕微鏡、ウイルス発見者、篤信家)  

大地原誠玄の里。近くに蓮能尼の里がある。 誠玄は、明治17年(1884)にここで生まれた。 東 昇ーウィキペディアより編集 農家、父・元二(もとじ)、母ケサ亀の8番目の子どもとして誕生。兄たちは早世し3人兄姉になる。川辺は特に旧島津藩の念仏禁制…

善光寺三尊佛と真宗、葉山新善光寺、能登新善光寺

先日、真宗の某要寺の倉を見せていただいた時、厨子に入った善光寺式如来三尊像が仕舞われているのに気づいた。 側に、高僧木像も二体あった。 カメラが壊れていたのと、調査が目的では無かったので、ちょっと奇異な印象で立派な善光寺式如来像と彩色も綺麗…

海恵宏樹さん

昨日、『真宗文化論序説』を進めるために、先学の問い―戸坂潤、五来重をなぜ取り上げたかをメモ書きした。 富来郷土史の会で戸坂を語る時、哲学者はどのように戸坂を見ておいでるのかを確かめるべく、当時京大においでたはずの海恵宏樹さんをお訪ねして、戸…

真宗文化論の新聞記事・真宗の四門

『蓮如と真宗行事』『蓮如上人と伝承』『妙好人千代尼』。 今まで本にした3冊の間に書いた論などで、載せた論集や書物がもう市販されたいなかったり、手に入れにくいものを一つにまとめておこうと真宗文化論(仮題)を進めていたのだが、 先日、夕刊紙に、新…

恵贈本・論ー『岩倉寺文書目録』、『仏教寺院の地域における役割に関する考察ー奥能登を事例としてー』(卒論)

◎『岩倉寺文書目録』石川県鳳至郡岩倉村(輪島市町野町西時国)神奈川大学日本常民文化研究所さんより。 網野善彦先生が所長だった頃に始まった時国家文書(県指定)調査の流れである。 現在所長は佐野賢治氏。 岩倉寺に関しては『能登国三十三観音のたび』…

舞台ー夫婦山岳の旅ー北國新聞夕刊2020年1月25日(土)

舞台の記事。写真は昨年5月撮影。拾塵記を読み合わせる勉強会があってもいいと思う。

二島が一つ島に。月見島~見附島(見付島)

5年近く前に引用文を書いた。 その時 そのうち、もう一つ島があって、二島と言った時代があった,それさえ忘れさられるときが来るのだろう。 と書いたが、昨年秋の大風のあと、左の島が無くなり、 もう前半の状態になってしまった。 このブログの写真を並べて…

一日研修旅行(案)

今週は少し動きがある。17日の坊守会研修のおり、 5月に一日研修を予定している行き先の案を提出しなくてはならない。 考えてみた。 適宜選んだり、時間を掛けて説明したりになるだろう。現地を歩き・・・と考えると楽しくなる。それにしても見やすい地図が作れ…

真宗文化論」の今、7日正月-10年前

背表紙青は普通のコピー折って作ったもの。そこから参考文献、レジメなどを別立てにし、裏表印刷にしたのが黒背表紙。文化論で扱う書き物のおおよその厚さが分かった。あとは核になるものを決め、残りは参考に要点を記せばほぼ出来上がる。もっと綺麗に出来…

語り部として-本多達郎さん

今朝の新聞で、本多達郎さん御逝去の報に接した。 26日81歳。 先生の推挙があって、富来郷土史研究会で長年お話しさせていただき、いろんなところを案内していただいた。 先生のほんの一面を紹介させていただく。 指導・編集 版画集西海の昔語り 富来町立西…

県立美術館、ご恵贈『能登平家物語』

藤平朝雄氏著『能登平家物語』 北國新聞朝刊-県立美術館長 年明けから後任検討 副館長に宮崎、谷口氏 19日県立美術館長の島崎丞(すすむ)氏が87歳でこの世を去られた。埋文評議員絡みで存じ上げ、賀状もその前に出していた。 今朝の北國新聞に新人事が載っ…

いただいた書籍『加賀前田家と北野天満宮』『奥能登塩田村の歩み』

長年、奥能登塩田村の代表取締役を務められ、現在相談役の横道嘉弘さんが、18日(水)わざわざお持ちになった。労作・感謝。 令和元年度秋季特別展『加賀前田家と北野天満宮』石川県歴史博物館。と参考文献ページ 12月11日(火)歴博学芸員お二人が当寺で調…

「臥龍文庫」扁額 雅枝画伯から届くー12月13日-

「臥龍文庫」書斎。この格調、似合う書籍とならべてみた。 書道体系、正続群書類従、日本文学大系、 発掘報告書 民俗学関係 和綴書籍 漢文大系、文学書 といった書籍類を一つの建物に置いていて、 かつては別宅と言っていたのだが 臥龍山の中心飯田城山の麓…

蝦夷錦ー御門徒交流史に向けてー

「西勝寺」は16ページ。県立郷土資料館(現在の石川歴史博物館)紀要。資料館は元四高(現在・近代文学館?)にあった いつだったか、どういうときだったか、歴博の学芸員さんと話していて「蝦夷錦」の話題になった。当寺の寄進札に「蝦夷錦」の文字があった…

鹿渡島~気多 鵜祭のコスモロジー

放たれた鵜が向かうと伝承する能生白山神社と「鵜祭」を書いた『金春』月報2009年5月号 ※能生白山神社は2008年4月21日撮影 今までの解説では、生け贄としての鵜を運ぶのが鵜様道中とされていたが、謡曲の詞章を分析すると、未来に仏となる、尊い思いを持つ鵜…

講演「能登の宗教風土と謡曲「鵜祭」」

午後は、中能登町能登部下カルチャーセンター「飛翔」で今年最後の講演「能登の宗教風土と謡曲「鵜祭」」。ウタイだから能登の歌を唄ってくる。 と張り切って出かけたのだが、一曲も歌わなかった。 どさくさ紛れに、時衆の節と関係あるのではないか?といわ…

鵜祭と能登の海・風土

鵜祭のスタート地・鹿渡島、一文を書いた「金春」 18日(月)四組合同坊守会研修(於能登教務所)を終え、今年の坊守会、門徒会、推進員、法話などを全て終えることが出来た。 昨日は、NHKの方々が話を聞きに来られた。90分能登の風土と海についてお話しした…

今日(10月29日朝7時)のアマゾン―『妙好人千代尼』ー

妙好人 千代尼 単行本 – 2018/1/15(著) 西山 郷史 (著) 単行本 ¥1,320 獲得ポイント: 24pt ¥2,200 より 9 中古品の出品 ¥1,320 より 2 新品 登録情報 単行本: 248ページ 出版社: 臥龍文庫 (2018/1/15) Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 30,100位 (本の売れ…

橘禮吉氏-わがまちの偉人

今日(12月8日)の北陸中日新聞朝刊に懐かしい橘さんが紹介されていた。 いい文だ。 北陸中日新聞朝刊-20210(令和3)年12月8日 橘さんご逝去の報に接してこのブログに書いた 2019(平成31)年10月25日「橘禮吉氏」記事 北國新聞朝刊に24日に橘さんが御逝…

木村至宏氏の琵琶湖―24日NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」

見るとも無しにNHKの名前の由来についての番組を(~21時)見ていたら、キムラヨシヒロさん、という名を紹介する声が聞こえた。 番組は滋賀県をやっている。 滋賀の研究といえば木村至宏さんに違いない、と思って画面を見た。 木村さんに間違いが無い。 木村…

珠洲焼講座&学芸員による作品解説10月20日(日)「珠洲古陶の時代―若山荘」

昨日は珠洲焼資料館で講演。 懐かしい人、知らない人(富山からもお越しになっていたそうだ)いろんな人がおいでになっていて、どういう人なのだろうと思いながらお話しをした。 終わってまもなく作品解説がはじまり、いろんな人と話したかったのだが、七尾…

(公財)石川県埋蔵文化財センター 評議員・理事・監事発掘調査現地視察―10月16日(水)

いつものことながら、写真の貼り付け位置がわからず、時系列では下から見ることになる。 16日現地視察に行ってきた。 新幹線は終わったのではなく、その周辺部発掘もあるのだという。ただただ忙しそうだった昨年に比べ、少し周りを見渡しながらの発掘調査に…

報恩講ー引上会―11日・12日

12日朝5時頃。倶利伽羅塾から。昨夜はこの山なみの右手向こう側からここに着いたのだった。山道を下りたと思ったら町(竹橋?)があり、左に曲がった途端に倶利伽羅塾エリアに着いた。 12日午前中、西田幾多郞記念館、図書室により、頭をタイトル哲学にしてお…