「臥龍文庫」扁額 雅枝画伯から届くー12月13日-
書道体系、正続群書類従、日本文学大系、
発掘報告書
民俗学関係
和綴書籍
漢文大系、文学書
といった書籍類を一つの建物に置いていて、
かつては別宅と言っていたのだが
臥龍山の中心飯田城山の麓の建物でもあり、当寺の山号なので、1、2年前からひそかに「臥龍文庫」と呼んできた。
この建物は、後ろの道路(国道)が出来るまで裁判所判事宅だったもので道路にひっかかり解体されるはずだったが、当時はさほど傷みもなく、もったいないので境内に移築し保管した建物である。
時代を語る応接間もあり、歴代の判事さん家族が住んだところだ。
私の小学校時代の同級生の後藤さん、守山さんも住んでいて、転校生としてしばらく机をならべた。
最後にお住まいになったのが根上の正田さんだった。「根上町史」に関わった時、付きあいのあった正田さん宅を訪ねようとは思ったのだが、結局訪ねることもなく今となっては昔話になってしまった。
大坪さんも裁判所に勤めていたことがあり、この建物でしばらく暮らしたことがあった、とおっしゃっていた。
いつからどなたが判事としておいでになったのか、その記録がないので分からないのだが、何人かは間違いなく生活した建物が残っていることに驚かれるはずだ。
最近の私の文は、絶えず脱線から始まり、これもそうだけれど、
別宅から「臥龍文庫」へが、ようやく形の上で整う時がやってきたのだ。
この21日で70年の歴史を閉じる桝田紙店さんのスチール棚を譲っていただき、書籍の方も余裕を持って整理出来ることになったし、しまり具合が変だった窓もなおした。
そこに、供笥の絵を書いてもらい、今年掲示板の字をなおしていただいた山口雅枝画伯から、「扁額」が届いたのだ。
素敵な字だ。
城山、春日山、阿弥陀山の臥龍山に包まれているようでもあり、若山荘飯田郷の入口でもあるような雰囲気の字。
整理を待っている図書たちに、いつも会いたいと思わせる出入り口が出来た。
寒いので「臥龍文庫」は雪解け時期を待って来春から出発するが、
和本を広げ放しにしたまま2年以上も虫干し続きのようなことはしないで、
ちゃんと整理しなさいよ、と、格調高い字が誘っている。
となれば、先ずコタツで出来る「真宗文化論」をサッサとやって・・・となる。
こちらは、ほぼ書物や新聞などと対応する目次が出来た。
19ページ分の内容を、近くに紹介する。