報恩講ー引上会―11日・12日
報恩講シーズン。
伝承では、11月の御正当に末寺住職は本山オシッチャ(御七昼夜)に必ずお参りすることになっており、自坊で予め報恩講を営む。
それを引上会(いんじょうえ)報恩講といい、その日取りが決まっている(ちなみに、本山から100里以内だそうで、私の所は圏外であるため、オシッッチャの名の下、7日間の報恩講を営んできた.現在は5日間)。
能登・加賀境の従兄のお寺では、この11日・12日が報恩講で、近在・親戚寺院などが参り合わせをする。
―車時代だから、お互い数少ない親戚寺院なので参り合わせをすればいいのでは、そう思ったのは、今朝のこと・・・。この従兄弟に初めて会ったのが、お互い高校生の時。それくらい飯田と押水は遠かった。ー
今年は、台風最中に、御法話に出向いた。
2日間で参り合わせの僧は延べ20人おいでた。単純に計算すればこのあたりの住職さんたちは、毎年40日ずつ近在、親戚のお寺で報恩講の厳粛なお勤めをしておいでになることになる。
御法話は、11日の日中、大逮夜、午後七時からの御伝鈔拝読(お初夜)に合わせて3座、12日は、午後の満日中後の1座。
夜の御伝鈔は、今となっては珍しい。
御法話を終えたのが夜9時。
最近、祇樹給孤獨園(祇園・阿弥陀経、平家物語)を考えていることもあり、源平ゆかりの倶利伽羅塾に宿を取っていた。
チエックインを夜9時にしていたので、遅くなる旨を伝え、ナビによる最短距離を走った。
坪山から八野、黒川、箕内、元女、どうもそのあと上太田までいってから、興津と案内板があり、突然、山道に入った。
加越能3国の境界の能登側が太田の先の下河合、加賀側が興津なので、三国山付近を走っていることになる。
そのうち「小熊」という地名がありしばらくして「大熊」を通る。
一応片側一車線なのだが、枝が道に出ていて真ん中を走らなくてはならない、クマ・クマ・クマ・・・台風接近ざわざわしている。
22時頃倶利伽羅塾に辿りついた。
12日は満日中。雨風激しき中、午後4時に御話を終え、恩徳讃と共に、2日間の法縁を胸に家へ帰った。
台風が最も接近している時間帯で、激しい雨、時には風にあおられ、ライトを全点灯にし、車間距離に気をつけながら帰った。
お参りは、プリント30枚用意して行ったのが、20枚ほど追加印刷。2日間に亘って不審(というより、「知」の方)を持ってお訪ねに来られた方がおいでたり、よき、法縁をいただけた。