サンスクリット学―大地原誠玄の里~東 昇(電子顕微鏡、ウイルス発見者、篤信家)  

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大地原誠玄の里。近くに蓮能尼の里がある。

誠玄は、明治17年(1884)にここで生まれた。

 

東 昇ーウィキペディアより編集

農家、父・元二(もとじ)、母ケサ亀の8番目の子どもとして誕生。兄たちは早世し3人兄姉になる。川辺は特に旧島津藩の念仏禁制が厳しかった時代の名残がある地域ではあるが、熱心な念仏信者の両親のもとに育った。特に母ケサ亀は、字を書くことも、本を読む事も、自分の名前すらも書くことが出来ない一文不知であったが農作業をする中で自然と口から念仏がこぼれていたというエピソードも残っている。
[進学]
当時鹿児島県では毎年優秀な生徒を1~2名選び海軍兵学校に入学させるために東京の麻布中学校に転校させていたこともあり、幼い頃より成績優秀だった東昇も選ばれ、1982年(昭和3年)上京し入学。東郷平八郎山本権兵衛といった人物に直接指導を受けるという環境に身を置く。しかし翌年耳に障害があると分かり、鹿児島に帰郷させられる。海軍兵学校に入学しようという熱い希望は破れ、深い挫折感に陥る。また1931年(昭和6年)第七造士館高等学校に進学するも挫折感は大きく自滅寸前になる。
 この時期発行の金子大榮の『歎異抄』校訂を初めて手にし、人生観に大きな影響を与えたと後に本人が口述している。
 医学の道を志し、本人は東京帝國大学への進学を希望していたが、「親鸞聖人の誕生地、法然上人に出遇われた地、ご往生なさった地である京都の大学に行ってほしい」と母ケサ亀の強い願いのもと、1934年(昭和9年)京都帝國大学(現京都大学)医学部に入学、ウィルス学を専攻。
国産第一号の ”電子顕微鏡” 製作
 1938年(昭和13年)、医学部を卒業、微生物学教室に進む。当時は光学顕微鏡しか日本にはなく研究生活の壁に突き当たる。当時、電子顕微鏡はドイツとベルギーの世界に2台しかなく、東昇は当時、日本の科学のメッカと仰がれていた東京の理化学研究所に私費留学をし、1941年(昭和16年)日本で第一号となる電子顕微鏡を完成させた。

 この時の製作費は、故郷川辺に住んでいた母ケサ亀が先祖伝来の土地を売却し息子を支援。製作に成功した際の新聞記事には「祖先伝来の田畑を売って、電子顕微鏡と取り組む」と大きな見出し付きで発表された。
[念仏者としての歩み]
 ウィルス学博士・自然科学者でありながら、一方で念仏者とも呼ばれた。 京都大学在学中には、「京都学生親鸞会」に入会。京都大学をはじめ、龍谷大学大谷大学同志社大学立命館大学などの学生が入会しており、花田正夫、川畑愛義(京都大学)、稲津紀三(玉川大学)夫妻、信国敦(大谷専修学院)、西本宗助(京都府立大学)、宮地廓慧(京都女子大学)、松本解雄(愛媛大学)、榊原徳草、向島諦宣、渡辺種彦らも会員であった。

 この会で、「歎異抄」の池山、「常念仏」の池山と云われていた池山榮吉(大谷大学ドイツ語教授)に出遇う。池山氏を通して『歎異抄』を学び、「親鸞聖人ただお一人に直結する浄土真宗の信徒にならせていただいた」、

 「池山先生に現れている弥陀の本願に出遇った」、「それは如来よりたまわりたる信心である」と語っている。
 また「京都大学仏教青年会」にも入会している。この会を通じて鈴木大拙に出遇い、アメリカ合衆国での北米開教使会議の講演では前座を務めるている。羽溪了諦、本田義英、長尾雅人、同僚として藤吉慈海(花園大学名誉教授)、方谷浩明(元大徳寺管長)らと交わる。
 晩年には、全国各地の寺院や大学、高校、朝日カルチャーセンターなどで講演をしており、当時のNHK教育テレビ「宗教の時間」(現在の「こころの時代」)にも多数出演している。
 父元二と母ケサ亀の三男として生まれ、妻ユリ子とは別々の大学ではあったが、互いに入会していた「仏教青年会」で出遇い結婚、2人の娘を授かる。孫は5人。
 妻:ユリ子(旧姓:畑山。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ生まれの帰国子女。高知市出身。元奈良女子高等師範学校<現奈良女子大学>卒業。)
 長女:藤井 雅子

○著書『お念仏とともに 父・東昇を想う』<探究社>
孫:藤井 暁彦(工学博士・技術士<環境部門>)
孫:藤井 千尋ちひろ/シンガーソングライター・ラジオパーソナリティ

○CD2枚
[著書]

『ウイルス』講談社
『ウィールス』弘文堂
電子顕微鏡の世界』岩波書店
『細菌とウイルスの間』岩波書店
訳書バーネット『動物ウイルス学』共立出版
フイツシヤー『応用電子顕微鏡学』共立出版
編書『医学生物学用電子顕微鏡学』文光堂
病原微生物学』醫學書院
『ウイルス学』東京・朝倉書店
『新ウイルス学』
『ウイルス学の進展』
『医学薬学実験装置ハンドブック』東京・朝倉書店
『最近の応用電子顕微鏡学』
電子顕微鏡学実習』(共著)共立出版
[仏教関係]
○『力の限界』法蔵館
 『心 ゆたかに生きる』法蔵館
○『念仏を力として』法蔵館
 『生命の深奥を考える』柏樹社
○『人間が人間になるために』第一書房

※○所蔵本・CD

大地原誠玄

東昇の師。京大医学部時代、サンスクリットを大地原誠玄に学ぶ。

誠玄著書「スシュルタ本集」など。

仏典の(ウイルスによる)病名を初めて漢語に翻訳。

秋元松代の作品(『かさぶた式部考』)に生きる。

この誠玄が七尾市出身。