講演「能登の宗教風土と謡曲「鵜祭」」

 


午後は、中能登町能登部下カルチャーセンター「飛翔」で今年最後の講演「能登の宗教風土と謡曲「鵜祭」」。ウタイだから能登の歌を唄ってくる。

と張り切って出かけたのだが、一曲も歌わなかった。

どさくさ紛れに、時衆の節と関係あるのではないか?といわれている四反念仏(=路念仏)を調子外れにあげた。

恥ずかしい

今確かめてみると、六斎念仏の四遍と関わっているようだ。

 なんと、佐々木孝正先生の「本願寺の葬送」にそのことが載っていた。

 路念仏は念仏四反を一節として繰返すために、はやくから「四反返し」と呼ばれていたことが知られる。それとは全く別個に本願寺で実如の時より勤行に用いられた四反返念仏(六遍返念仏を短縮したもの)との名称上での混乱をさけるために、葬送に用いる四反返し念仏は区別して路(時)念仏と呼ばれたことが知られる。

 このように、本願寺の四反返念仏とは曲節が全く別個でかつ四反と呼ばれた葬送の念仏とあるのは、これが六斎念仏の「四遍」の曲に由来するものであったからと考えられる。
 すでに五来重教授によってあきらかにせられたごとく、葬送における「四遍」念仏とは、棺前で唱えられ、声明的要素と朗詠調がよく調和した六斎念仏の「四遍」の曲であり、南無阿弥陀仏四句を一節とするものである。

 さらにそれに下ろしがつき三拍子の行進曲風の曲が「白舞」の曲であり、葬式の門念仏や盆の棚経あるいは墓地までの葬送行進曲として用いられるとせられている。(『仏教民俗史の研究』佐々木孝正著、P181)

 

  自意識過剰と思われるかも知れないが、私が大谷の院に行ってなぜか五来ゼミに所属し、しばらくしてから五来先生から君は「六斎念仏」を調べないか、と言われたことがある。キョトンとしていると手を頭上で左右に振りながら、こうやって踊りながら唱える念仏ですよ、とおっしゃった。

調査に歩く電車賃が工面できるわけもなく、キョトン状態のまま、この話しは消えていったが、今日の講義に四反念仏を唱えてみようと準備していたらー思い出話だけで一時間ー大変なことになっていた。

 これからは、空也念仏の流れを汲む「四遍念仏」が、路念仏の元にあると言われています、と言える。

 「本願寺の葬送」話は、佐々木さんから直接聞いていたのだった。

 


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講演が始まる少し前、この後も席が埋まっていった。道端さんはじめ関係者の努力に感謝。不思議なご縁でお話しの場をいただいた。


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カルチャーセンタ飛翔前の円墳をイメージした丘で、近くのスーパーから買ったお寿司をいただく―至福

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北國新聞1日。この新聞に「地域の催し欄」があるので、そこに紹介されているかも知れないと、2日朝新聞を見直した。前日には気づかなかったがこのように載っていた。