2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『能登線日和』

私はまだ語れないが、おそらく一人一人の思い出と、夢のかなりの部分を描ききった写真集「能登線日和」がある。 一枚一枚をじっくり見たのは、線路から遠く離れた白峰の望岳苑でだった。 能登でも写真展は開かれていたのだが…。 能登線日和―湯浅啓写真集 作…

松波城址から出土した天神雛(びな)

10日に一本の電話が入った。昭和37年、松波城を発掘したとき、枯山水・中世庭園のそばからお人形さんが出てきて、関係者がそれを大事に保管している、というのである。電話を下さった大先輩は、私が去年の3月まで嘱託で勤めていた珠洲焼資料館にいるものとば…

『苗字のふるさと』上・下

白江勉著・私家版。昭和63年、平成元年発行。読み出したら面白くて止められない…ので、パラ読み。

「七五三守」「い佐助」碑

当寺の鐘楼横に大きなタブの木があり、その前に二基のかなり大きな相撲取り碑がある。その一つに「故・七五三守」と記してある。「故・シメノモリ」と読むと聞いてきた。注連縄は七・五・三で縒ることから、シメと読むのだそうだ。この読みは、その字が持つ…

七五三秋という名。

今朝、新聞御逝去のコーナーで「七五三秋」という名(姓ではなく名)の方を見かけた。どうして?そう読めるの、と思える姓名によく出会うが、この名も難読名の一つだろう。この前もある人から、「磊」と書いた表札を見かけたのだけれど、何と読むのだろうと訪…

市町村史に見る「ハリセンボ」

手元にある市町村史を全て見てみよう。一行程度の記載はページのみの紹介とする。いつか、項目ごとの能登の民俗辞典というのも必要になるのだろう。【旧羽咋郡】○『羽咋市史』現代編(昭和47年)『加賀・能登の年中行事』(今村充夫)p159に転載:写真参照。「ま…

「師走八日のハリセンボ…」の唄をたずねる

コト八日は、私たちのところでは「師走8日のハリセンボ…」だ。全国どこでも、師走8日の今日を「ハリセンボ」「針歳暮」というのだと思っていた。ところが、「御事終い」と同様、一地域での名らしいのだ。『日本年中行事辞典』には次のように記す。「石川県能…

ご飯を食べてすぐ寝ると、小狸になりますよ。

鳳珠郡門前町皆月の民家で。山王祭調査の折、写すどうして、こんなに眠いのか…?冬眠の時期であるのに加えて、昨日冬囲い用のテント張りをした、その疲れが早速出てきたとみえる。12時45分から2時45分。重いテント布を引っ張り上げ、あらかじめ渡しておいた…

コト八日

旧暦8日は、上弦の月の日。どこにいても上弦は分かりやすい。それで、この日は、多くの行事が営まれる重要な日となった。仏教と共に入ってきたといわれる六斎〈ろくさい〉日の最初「斎日」も8日である。暮れの「あえのこと・アエノコト(田の神迎え)」が5…

馬場宏著作集

膨大な報告の一部分であろう著作集(いずれも私家版)

あいのこと(アイノコト)からあえのこと(アエノコト)へ。

「あえのこと(アエノコト)」は、二人の有力な研究者によって、もともとアイノコトだったか、そういった地域があることが分かっている。アエノコト地帯はイ・エの区別があまりはっきりしないところで、私も静岡にいた頃、アルバイト先で「ハイ」と返事して…

白米(しらよね)「あえのこと(アエノコト)」復活の折のエピソード

白米で「あえのこと(アエノコト)」が復活した時の思い出がある。どうしてそのことを知ったのかも思い出せないのだが試行錯誤の中で第1回復活白米アエノコトが行われたように記憶している。中心になって進められたのが川口さんだった。個人宅でもいいような…

新聞で4ヵ所が紹介された「あえのこと(アエノコト)」

珠洲市若山町火宮、田中家。前当主福松氏今日の新聞に「あえのこと(アエノコト)」が載っていた。[北國新聞]には4カ所が紹介され、執行者の年齢も分かった。 若山町火宮 田中牛雄さん。83才。先代の後を継いで、アエノコトを継承していきます。とおっしゃて…

上山春平氏の調査と『日本民俗文化大系1 風土と歴史』

かつては、多くの研究者が一度は「あえのこと」を見ようと訪れた。こういうこともあった。当時京都国立博物館館長だった上山春平さんが、小学館の『日本民俗文化体系1 風土と文化』の担当部分を執筆するために調査にお出でになり、一緒に執行家で調査・取材…

あえのこと(アエノコト)ー歴史民俗博物館と田中家

→「田の神」のイメージ→あえのことー執行家巡りー12月5日。今日はあえのこと地帯ー町野川流域以北。その他の地域では田の神様というーのあえのことだ。猛烈に荒れているが、今夕、田の神たちが当主に案内され、各家に向かう。このような形を取らなくとも、田…

逸見晴恵氏

北陸中日新聞に、結城思聞氏(姫路・善教寺副住職が)が逸見政孝さんの思い出を書いておられる。「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」清沢満之,「倶会一処」「月日をかけねば何事も出来ない 月日をかけてようやく一つの実がなる」榎本栄一などのキーワ…

平家の末裔・吉尾景春

吉尾勉さん(能登町宇出津)の短歌を新聞紙上で見た。「水の辺の哲学者かも青鷺の風裂く声に近寄り難し」吉尾さんは、平家の子孫だという吉尾景春を先祖とする。吉尾景春は源平の合戦で、能登の地に落ち延び、曽々木に居を構えていたが、源氏の追求が厳しくな…

俳句からー『シベリアの歌』など中瀬精一氏の著作

北國新聞、北陸中日新聞に懐かしい人々の名をみた。そして、それらの人々の作品や記事がよかった。北國新聞の短歌では中瀬精一さん(能登町。旧柳田村)の「戦争は反対なれど八年の軍歴吾の青春にして」。中瀬さんとは、今年数回お会いする機会があった。85才…

「きっぱりと冬」近し

どんどこ冬に向かっている。今朝はアラレが降ったらしい。そこで、浮かんできたのが「きっぱりと冬が来た」。北西の風が止むと、サーッと雪が降り、一面真っ白になる。私の住んでいるところでは、そういう光景がぴったりなのだが、今のところ、ちょいともた…

「絶対に」と「私の知る限りでは…」の差ー29日の餅に関してー

今日、一冊の季刊誌が届いた。先ずエッセイから。すごく、いいエッセーがあった。タイトルにもう一工夫あれば、ファンが一気に増える、と思わせるライターの出現。一方、短い文なのにつかえて読み進めることが出来ないエッセーがあった。二度目に目を通すと…

輪島市町野町金藏の伝説、白山遥拝の里

金藏を舞台にした酒ー米蔵金ーの箱に次のように記されている。『能登志徴』に「上代金を納める藏ありし故の村名なるべし」。「…なるべし」だから根拠なし。金の鶴が舞い降りた。大人が産み落とした「たかつぼり山」。雨乞いの「蟹の甲(ガンノコ)石」などがあ…

金藏(かなくら)の里

昨日は金藏の里(輪島市)におじゃました。近年、夏の万灯会や、五ヶ寺巡りなどで地域興しが盛んな集落である。五ヶ寺(金蔵寺、高野山真言宗。正願寺・正楽寺・慶願寺・円徳寺、以上真宗大谷派、寺院名簿順)もお寺があるのだから大きな集落のように思うが、棚…