市町村史に見る「ハリセンボ」

 手元にある市町村史を全て見てみよう。一行程度の記載はページのみの紹介とする。
いつか、項目ごとの能登の民俗辞典というのも必要になるのだろう。

【旧羽咋郡
○『羽咋市史』現代編(昭和47年)
『加賀・能登の年中行事』(今村充夫)p159に転載:写真参照。
「またこの日は ヤママツリと称し」と記すのは9日との混同だろう(西山注)
○『志賀町史』第4巻(昭和54年)
『富来町史』通史編(昭和52年)以上2冊記載無し。


【旧鹿島郡
○『鹿西町史』(平成3年)p588
「針せんぼ:おやき焼き焼き、へそ焼いて、その手でおしゃかのだごこねた」の囃し唄が載る。針歳暮とも。
○『鹿島町史』通史・民俗編(昭和60年:執筆西山)p1115
「針歳暮あるいは針千本の字をあてる。
『師走8日の針千本、焼餅焼いて食わせんぞ、焼き餅焼き焼きヘソ焼いた』と囃されたように、師走(12月)の行事である。戦前は月遅れの1月8日に行われていた。
日本海岸の他の地域では、ハリセンボンという魚が吹き寄せる日という。」
以下、坪川以下九カ所のオヤキの作り方・型を記し、この日から天候が荒れるという伝承も記す。
○『七尾市史』民俗編(平成15年:執筆小境卓治)p116
ハリセンボン:(執筆益子待也か塚林康治)p241 オヤキ、p385ハリセンボ。
○『能登島町史』第2巻(昭和58年:執筆西山)p924
手のあとのついた餅が、いい餅なのだ という。
○『田鶴浜町史』(昭和49年):p606ハッセンボ
○『中島町史』資料編上巻(平成7年:執筆西山)p770
オヤキを備えれば針が手に刺さらない。


【旧鳳至郡】
門前町
○『諸岡村史』(昭和52年):記載無し
○『浦上の歴史』(平成9年):記載無し
○『能都町史』第1巻(昭和55年:執筆今村充夫)p647
男の子が焼き餅をもらえないと、「トーセンボ」と、おそらく裁縫の腕が上がらないまじない言葉を言う。


【旧珠洲郡】
○『内浦町史』第2巻(昭和57年)無し
○『珠洲市史』第4巻(昭和54年:執筆今村充夫)p946


以上を概観すれば、鹿島郡での報告が多い。また、唄もその付近からの伝承を採取したようである。


焼き餅と針(鉄の加工品)、それと8日。
奥深そうだ。