「師走八日のハリセンボ…」の唄をたずねる

コト八日は、
私たちのところでは「師走8日のハリセンボ…」だ。
全国どこでも、師走8日の今日を
「ハリセンボ」「針歳暮」というのだと思っていた。
ところが、「御事終い」と同様、一地域での名らしいのだ。


『日本年中行事辞典』には次のように記す。
「石川県能登地方や富山県の一部で12月8日の針供養のこと。
女の子のある家では餡(あん)入りの焼き餅や饅頭を食べたり、贈答をし、裁縫の上達を祈る。
北陸その他で、針千本という伝承があり、その正体は明らかでないが、熱帯産の魚だとも、針のある怪魚とも、海栗(うに)だともいう。
針千本が浜によるのは12月8日に限らないわけだが、
特にこの日を針千本が海から上がって山に行く日だとか、
前日から海が荒れるなどという伝えがある。
針歳暮と針千本はどちらが先か分からぬが、
二つの間に関係があることだけは明らかである。」
 

針千本はフグの一種だとされる。350から400本の針を立てて敵を威嚇する。コロコロと可愛いフグ。

 
この辞典の記述は興味深い。
特に「針千本が海から上がって山に行く」に惹かれる。


ところでこの辞典の出典は?
能登の基本文献である二つの郡誌をひもといてみる。


『鳳至郡誌』には、
全くと言っていいほどハリセンボに触れたものがなかった。
珠洲郡誌』では、
宝立(ほうりゅう)町の項で
「師走(今は1月ー大正12年の本文)8日の夜、
女児ある家にては焼餅と称して、餡(あん)をつつみて焼きたる団子餅をつくり、裁縫の進歩を祈る。
男児は2、3人づつ隊をなし、
女児ある家に至りて、その焼餅を得るを娯しむ、」
とあるのが詳しく、
それ以外では、
飯田町ー針供養、
若山村ー針歳暮をなし、女子は裁縫の業を休み、金鍔焼を製して之を食す。直(ただ)村もほぼ同じ。


これだけである。

師走八日の…唄
行事辞典の記載の根拠が分からない。


ー以上は8日に書いたー
風邪気味で気力が湧かず、前回(8日)は、大正時代に編さんされた二冊の郡誌を眺めたところでハリセンボウについての記載を保留した。


「師走8日のハリセンボウ…」はどこに出てきた唄だったのか…?
その続きの文句は?


まず『日本俗信辞典』(昭和57年、角川書店鈴木棠三著)を探す。
「針千本」「○フグ目の海魚。
戸口に下げておくと、魔がささぬ(新潟)、
悪病が入らぬ(同県西頸城郡)、
家人が病魔におそわれない(石川県鹿島郡)、
鴨居に下げておくと魔よけになる(青森)

○12月8日は針供養の日で、ハリセンボンという魚が吹き寄せられる日である、と日本海岸地方ではいう。

富山県新湊辺りでは、昔、姑にいじめられた嫁が針山の針を盗んだという無実の罪をきせられて海に身を投げたのが、12月8日であるといい、
それで、今でも前の日から海が荒れるのだ、といい、
娘のある家々では、針仕事を半日休んでその供養をするという。


兵庫県城崎郡香住町でも、この日浜辺を歩きハリセンボンを見つけると、
尾を糸でくくって門口に吊り下げ、悪魔除け、流行病除けのまじないにするという。」


『日本俗信事典』は、
同人の『年中行事辞典』(昭和52年)よりも幅広い地域の話が載り、伝説も採集されている。


もう一冊基本的な本。
柳田國男編『歳事習俗語彙』(昭和50年、国書刊行会)には、
p668~からの「納め8日」という項目に多く採集されている。


この本には引用出典が記載されているので原典を辿れるのがいい。
ここには、「晩8日」「納めの8日」「御事終い」「搗き止め団子」「8日ぞ」など、22の名について記してあり、
今までの引用はここに全て含まれている。


あとはことわざを捜せばいい…はずだ。