あいのこと(アイノコト)からあえのこと(アエノコト)へ。

「あえのこと(アエノコト)」は、二人の有力な研究者によって、もともとアイノコトだったか、そういった地域があることが分かっている。


アエノコト地帯はイ・エの区別があまりはっきりしないところで、
私も静岡にいた頃、
アルバイト先で「ハイ」と返事しているつもりが、
「ハエ」にしか聞こえないと指摘されたことがあった。
アイノコトと言っているつもりがアエノコトに聞こえることがあり得る。


アエノコトが全国的に知られたのは、
小寺廉吉さんが昭和13(1938)年に
「ひだびと」に「奥能登の『田の神行事』」1、2の2回報告してからで、
その報告ではアイノコトになっている。


アエは「饗」を行事の中心と見なすことからの表現で、
アイは「間」「会い」を中心に見た概念となる。


秋祭りと正月(正月・春祭り)との間〈あい〉の行事、
あるいは、田の神・家の神・山の神が会って一体となる…
という意味から考えると、アイが本来の命名だと思うのだが、
ともあれ、小寺報告はアイ。
すなわちエよりイを彼は強く聞き取っていた。


もう一人、そうおっしゃたのは、今年の8月23日、85才で亡くなられた馬場〈ばんば〉宏(元内浦町文化財保護審議委員長)さんである。
かつて、私にアエノコトはアイノコトですよ。
とおっしゃた。


この方のおっしゃることは無条件に「そうなんだ」と思う。
というのも、馬場さんの調査の仕方を見ていてこういう方こそ研究者なのだと思い続けていたからだ。


80才過ぎてもバイクで能登のヒダに入り込み、方言を調べておられた。
絵を見せて、これをなんと言いますか…
と聞いて歩く方法で、膨大なデーターを集められた。


だいぶ前のことになるが、今年廃線となった「のと線(旧JR、国鉄)」列車内で一緒になったとき、
相当なご年配なのに学生証を見せてくださった。
泉丘高校定時制の生徒だった。


お話しぶりから色んなことを学べる楽しさが伝わってきたが、
中でも、
方言調査に出向くのに学割で列車を利用できるからギリギリ生徒のままでいる…
とおっしゃったことが強い記憶となって残っている。


その学校に知り合いの先生がいた。
ああ、馬場さんねェ、と、
当然、生徒扱いで…


こちらは、すごい人を教えているなァ、
と感心して若い教師の顔を見やったものだった。


列車内で出会ってから随分経ってから、
ー『能登のくにー半島の風土と歴史ー』の原稿を頼みに行ったときだったと思う(原稿は「能登言葉ー東西文化の接点ー」p82~85)ー
その時も学校での地学のレポートの苦労話を本当に楽しそうに語っておられた。


新たな方言名が見つかる喜びと知らない世界を知るその喜びとが解け合っておられるような笑顔だった。


これ以上調べることはないのでは?と
素人が思っていても、馬場さんは休むことなく(そのように見えた)バイクに乗って調査し、
成果を「珠洲路〈すずろ〉物語」「広報うちうら」などに発表なさっていた。


その方が、アイノコトですよ。とおっしゃったのだ。
重い一言だった。