2014-01-01から1年間の記事一覧
『「顕浄土真実実行文類」ー御自釈ー講讃』広瀬惺(しずか)師安らかに居ると書いて「安居(あんご)」という。一太郎では変換できなくて、一般には難しい用語だろう。仏教で安らかに居るということは、厳しい修行、遊行といってもいいが、それを行わない時…
本日(9月13日・土)の新潟日報朝刊題字 會津八一新聞PDF一昨日、三条に泊まり、昨日はお朝事にお参りし、10時半から12時まで講義。その後質疑応答。昼食に引き続き、料理店の方々と質疑。その後の、小千谷、斑尾泊今日の柏原・一茶の里巡り等はあとで記すが…
長山さんからずいぶん、著書や抜き刷りをいただいている。 著書 長山直治『寺島蔵人と加賀藩政ー化政天保期の百万石群像ー』2003年刊、桂書房校訂 長山直治『史料纂集 太梁公日記 第一 自明和八年四月 至明和九年七月』平成16年刊、続群書類従完成会編著 長…
8月31日、白山市・松任・千代女の里俳句館で見てきた。この館には、思い出がある。著名な千代女の句「蜻蛉釣り今日はどこまで行ったやら」。真蹟が見つかっていないと言うことで、千代尼の里では真偽不詳としているようで、俳句館で販売している松任市立博物…
ペンネームを、それまで用いていた「倉本四郎」で行くと言った時の四郎氏の顔を思い浮かべながら持っている四郎氏の著書を年代順に並べた。手に入れることが出来る本で一冊、持っていない本がある。『マタさんクラさん 世紀末でたとこ膝栗毛』。この本が出た…
PDF9月12日のパンフが届きました。精進とは?お斎とは?斎(時)、非時とは?設斎(おがみ)とは?もう、あと2週間。
北陸中日新聞朝刊に興味深い記事が載っていた。PDF1992(平成4)年発掘の塼仏が、あらためて珠洲焼であったことがわかった、という記事である。発掘場所は、平泉以前の豊田館跡で、珠洲焼誕生以前の館跡なので、後に、奥州藤原一族が先祖発祥の地に祠を建て…
8月28日。今日はのと里山空港へ。「石川を知る講座」ー鵜捕部の里についてーを聞いてきた。講師は七尾市教育委員会・和田学氏。和田家は鹿渡島観音を守る鹿渡島七軒の一軒。子供の頃から、鵜取部の里の中心で育った、体験に基づくお話は説得力があり、興味深…
今日、里帰りから帰っておいでた吉田さんのお嬢さんが父君の執筆された『法然浄土教成立史の研究』をお持ち下さった。花園大学名誉教授なので、吉田先生と書くべきなのだろうが、いつも一緒にいた佐々木孝正さんと同級生で、昔から吉田さんといってきたので…
22日御法話のあと、高松運動公園というところに行った。綺麗な球場があった。全国高校野球選手権の最中でもあり、たたずんでみた。そうしているうちに、あれ!この球場でノックしたぞ…という感じで記憶と球場が絡み合ってきた。羽咋工業では部長として試合前…
鎌倉、奥能登、常滑などが特集。綺麗な本が送られてきた。この雑誌は、新幹線グリーン車内で配られるというか、たぶん座席前の網に入っているのだろうが、そういう雑誌だそうだ。ほんのわずか、キリコ祭りの取材に協力した。ほんのわずかなので、雑誌もいた…
今日2冊の本が届いた。 『真宗』9月号 『真宗』9月号教団の動きー教区からに載った。9月12日(金)「本願寺におけるお斎(精進料理)」と題してお話しする。これはこれとして、三条では、21、22日に「達如上人百五十回忌法要」が営まれる。22日は上人のご命…
いつだったか読んだ本に、日本でもっとも哀切な墓碑銘と書かれていた。そのことが強く印象に残り、気多付近を通る度に気になるお墓がある。墓碑銘 もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉折口春洋 ならびに その父 信夫 の墓 ※春洋…
昭和45年頃の佐波のフェリー乗り場能登島大橋が30年前に出来、まもなく航路が廃止されてからずいぶん経つのに、「切符売り場」が残っていた。窓には「乗船車輌航送券 発売所」と書いてあり、上部にはスピーカー。右の小さな張り紙は「警察官立寄所」草がなけ…
「南無阿弥陀仏」名の墓碑は、どなたがお入りになってもいい。と聞いている。「倶会一処」(阿弥陀経)の世界だ。極端なところ、冬(でなくともいいのだが)、飢えと寒さで軒下にのたれ死にしていた人があったりすると、葬り、それも「縁」と共に収めるとい…
雨の合間を縫って、今朝は掃き掃除をした。近くにお住みの俳句をよくされる方が、次の句を下さった。「早起きの院主 道掃く 今朝の秋」院主はインジュと読み、「御」を付けて「御院主」さんが住職のことである。なまって、「ゴエンジヨ」「ゴエンジヨさん」…
大相撲が巡業に来て、当時吾妻町にあった飯田高校の相撲場で相撲を取った。飯田高校相撲部の田保文将さんが、大関松登に挑戦する、という場面があった。松登は田保の突進を受け、両手で田保の腕をつかみながら後ろずさり、土俵を割った。たぶん、昭和34年頃…
能登線宇出津(うしつ)駅跡地に「コンセールのと」という建物がある。能登線があった。この線路はすぐトンネルに入る。すぐ先に第2宇出津トンネル(「よ」トンネル)。むこうが珠洲側。冬は朝、暗いうちに気動車に乗り、勤め先の宇出津高校に通った。列車で…
有名な佐渡「おけさ」の歌詞、♪来いとゆうたとてゆかりょか佐渡へ、佐渡は四十九里波の上。と今は歌っているが、藩政期、明治期の古い歌詞を見ると四十九里ではなく四十五里となっている。たとえば『日本歌謡集成第十二近世編』俚謡には、佐渡おけさにこの歌…
『日本海と佐渡』古志書院、1997年刊網野善彦・中村格・内山節・福田アジオ・篠原徹この『日本海と佐渡』には重要な論が載っている。網野史学の、衝撃を与えた百姓=農民ではない説が、わかりやすく記されている。目次「百姓は農民とはかぎらない」原典:関…
今日、『能登』が届いた。特集Ⅰ 連続テレビ小説『まれ』能登が「朝ドラ」の舞台にインタビュー脚本 篠崎絵里子さん政策統括 高橋練さん製菓指導 辻口博啓さん など特集Ⅱ 土にやさしい農業 野菜編特集Ⅲ 佐渡を訪ねる。など。興味深い特集記事がならんでいる。…
特に関係はないが、七日盆の日に本堂向拝(ごはい)柱、鐘楼四本柱に根巻を取り付けていただいた。雨、嵐、吹雪を200年以上 素木の状態で耐えてきた柱たち。これ以上風化させ続けることは出来ないだろう、この数年、ことあるごとにそう言っていたのが、よう…
夏猫や 入り口とられて 引き返す「のら猫や 入り口取られて 引き返す」自釈ーはじめ、「のら猫や」が浮かんだ。外での一仕事を終え、帰ってくると、野良猫が玄関口に横たわっていて、それ以上近づくな、とでも言うようにちょいと身を起こした。30度を超える…
朝刊(朝日新聞)を開いたら、次の記事が目に入った。「鐘の音に託す平和 小松・西照寺 児童らが突く」「戦後生まれで,銃を手にすることなく一生を送れる最初の世代」ととらえる日野賢之住職は、流石だ。バタバタした日を送ってるものには、考えつかない。…
今日、北國新聞社から刊行された。昭和30年代エッセー「珠洲までの能登線開通 式に2万人が出て祝う」を書かせていただいた。肩書きは、西勝寺住職である。
先ほど、このような記事をラミネートにしたものを、いただいた。気配りが行き届いている。この本、誰が監修したのか、ちょっと見ただけでは分からない。本文のあとに、監修・執筆者、協力者、参考文献などが載ることが多いのだが、そこにも無い。最初からじ…
今日は旧暦の七夕。ということで、畑、境内には、もうこんな花が咲きだした。ミソハギ(盆花)藤百日紅泰山木ヤブミョウガ
今日は、8月1日。コンゴウ参りのお寺も多いのだろう。さて、「御消息」記されている月は、八月朔日、あるいは中秋朔日のように、目にしている月日が多いのだが、中には、次のような記載がある。お西の御消息に多い。南呂、陽月、黄鐘、復月、除月、朧月、極…
今日、飯田高校の先生がお持ち下さった。PDF版→6月13日、PTA講演
彰如上人の俳号「句仏」は、「句を以て仏を讃嘆する」から来ているという。和語の韻文を以て仏を讃嘆する和讃と同じである。親鸞聖人は当時のはやりである今様形式で和讃をお作りになった。俳句でというのが、入りやすい世界だ。一茶が「涼しやな 弥陀成仏の…