住職の別名-ゴエンジョさん-

雨の合間を縫って、今朝は掃き掃除をした。
近くにお住みの俳句をよくされる方が、次の句を下さった。


「早起きの院主 道掃く 今朝の秋」


院主はインジュと読み、「御」を付けて「御院主」さんが住職のことである。
なまって、「ゴエンジヨ」「ゴエンジヨさん」と皆さんお呼びになる。


珠洲には約40ヶ寺の真宗大谷派寺院があり、大谷派寺院の住職をこのように呼んでいて、
日蓮宗などではオショウサンと呼ぶようだ。
禅宗は方丈さんと呼ぶらしいが、まだ耳にしていない。


大谷派でも「一山」と呼ぶ複数僧がおいでになる場合、オジュスサンと呼ぶのを聞いた。


お説教僧(布教師・布教使)は「お客さん」といい、
講師の場合は「先生」。
坊守(ぼうもり)会で伺っているとき、先生と呼ばれることが多かった。


20年近く教員をしていて、教え子がもう60近くなっており、その親たちも私を先生と呼んでいたのだから、
「先生」には、抵抗がないのだが、
「お客さん」と呼ばれたときは、
誰のこと?
ああ…、私のことか(おれか)、と戸惑い、
呼ばれる度に、不思議な感じがした。


新しい呼び名は、慣れるまでに時間がかかるということだ。


これからは、「お客さん」が多くなる。

お寺・御坊

能登ブームの頃、定期観光バスに何度か乗った。
母の実家のある輪島と珠洲とを結ぶ観光バスがあった。
各駅停車、曽々木乗り換え輪島行きより、快適で、名所旧跡を回る。
時間的にはどうっだったのだろう。
観光バスだから狼煙経由で遠回りは遠回りだった。
ガイドさんが説明してくれる中で、忘れられない詞を聞いた。
外浦へ回っているとき
~、~(地名)娑婆での地獄、寺もなければ御坊もない
文句だけだったが、強く印象に残っている。
今から思うと、7・7・7・5の近世歌謡だから、田植え歌、木遣り歌(キャーラゲ)、おけさなど、どんな節でも歌える。


ここに、出てくる寺は天台・高勝寺、御坊には近くの真宗3ヶ寺が意識されている。
もっと、一般的に云えば、御坊といえば真宗寺院、お寺は他宗の寺院をさすのがこのあたりの通例だったのだが…このことを知っている人は少なくなったかもしれない。
歌の文句そのものが、忘れられいるかもしれない…。