幕下 田保文将(立神)さん

大相撲が巡業に来て、当時吾妻町にあった飯田高校の相撲場で相撲を取った。
飯田高校相撲部の田保文将さんが、大関松登に挑戦する、という場面があった。
松登は田保の突進を受け、両手で田保の腕をつかみながら後ろずさり、土俵を割った。
たぶん、昭和34年頃の出来事。
それがきっかけで、田保は大相撲に入った。
田保は幕下筆頭まで行って、引退。
しこ名を調べると「立神(たちがみ)」とある。
このしこ名には記憶がない。
いつまでも田保のままだった。
211勝165敗21休だったという。
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飯田高校時代の田保の写真があったはずなのに、どこにいったか長年不明だったが
今朝、本を整理していたら出てきた。
写真の裏に「昭和34年5月相撲部合宿」と父の字で書いてある。
5月なら卯辰山の相撲大会に向けて合宿したのだろう。
授業は平常通り行われているはずなので、
部員たちは、我が家に泊まりながら学校に通ったのだと思う。
そういう合宿は時々あった、と記憶している。
朝は学生服、帰りは回し姿のまま学生服を羽織って帰り、すぐ風呂だったような気がするのだが
私が中学1年生の時なので、はっきりした記憶ではない。


ところで、金沢大会の成績はどうだったのか?
大著・飯田高校90周年誌を見たが、その頃のクラブ活動の記録は載っていなかった。



写真の前列左端が田保さんである。