児童らが突く、平和の鐘の音

朝刊(朝日新聞)を開いたら、次の記事が目に入った。
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「鐘の音に託す平和 小松・西照寺 児童らが突く」
「戦後生まれで,銃を手にすることなく一生を送れる最初の世代」
ととらえる日野賢之住職は、流石だ。
バタバタした日を送ってるものには、考えつかない。
突くは、撞木でつくので、撞くがいいか?


この方は、友だちのともだち。
住職の資格を取るために入った院で、7人ほど同級生がいたはずなのだが、ほとんどが音信不通。
友だちのともだちのような人に、時々、このように出会う。
もう一人の友だちのともだちが、今度9月に能登教務所で「秋安吾」の講義においでる。
教区は違うが、聞きに来いよ、と電話しようかどうしようか、と昨日思っていたところだった。


記事に供出を免れた芭蕉ゆかりの鐘があるという。
寒雉(かんち)以外にも、そういう鐘があるのだ。
市史に載っているのだろうか…すぐ、そんなところへ思いが行ってしまう。

乗岡医師、吉田先生

「黒い雨」に実名で登場し、被爆した方々から仏さまのようなお医者さんだと描かれている門前の真宗寺院出身・大阪逓信病院の乗岡医師。
6日の朝になると、毎年びっしょり寝汗を書いて目が覚めるのです、とちょうど初任研修が行われていたこの日の朝、そのように話して下さった広島高師出身の指導主事・吉田三郎先生ーこの方も小松の人だったような気がする。
広島駅に続々集まってこられた被爆者の休める場を作り、お運びするするなどの世話をして被爆した、広島駅の幹部だった義理の伯父。
昼休み・10分の休みごとに鶴を折り、修学旅行の時、広島・長崎の病院に届けた千羽鶴…。


広島は私にとっても、遠い出来事ではない。


「黒い雨」はカタカナ漢字文での作品で、筑摩の教科書に採用されていた。それを教えたことがあった。
そういえば、淡々とした記録文学で、試験問題の作りようがなかったなァ…
いらぬことまで思い出してしまった。