秋安居ーしゅうあんごー

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『「顕浄土真実実行文類」ー御自釈ー講讃』広瀬惺(しずか)師



安らかに居ると書いて「安居(あんご)」という。
一太郎では変換できなくて、一般には難しい用語だろう。
仏教で安らかに居るということは、厳しい修行、遊行といってもいいが、それを行わない時期、インドの雨期(4月から7月の約100日間)をいう。
その頃、多くの生き物が生まれてくる。それを踏みつけないように、あるいは雨期で行が出来ないから、静かに教義・勉強に励む時期、ということで「安居」というようになったらしい。
三期のうちの雨期に、いわば正時に行われるのを「夏安居(げあんご)」といい、
大谷派では7月中に2週間行われている。それを本講といい、その後、秋・冬に各教区では2日間程度開筵される。
能登教区は秋に行うので秋安居といっている。
今年はその秋安居が9月17日18日の2日間開かれた。


17日は、7月9日に亡くなられた長山直治さんのお宅におじゃまするなど金沢・羽咋方面に用があり、

夕方能登教務所に入った。
講義を少し聞き、同級生もどきの関係なので、夜は懇親会に参加した。


18日は、朝から午後2時半まで講義を聞いた。
教行信証は「~と」と、経論などを聖人が引用なさっている。
それは説明ではなく、いただくだけだ、何度も何度も味わわせていただき、聖人の願いを感得させていただく。それにつきると聞いたのだが…
広瀬師から西山、何を聞いておったんだ…。と叱られるかも知れない。


正像末和讃は、教行信証の後だし、諸仏は四界(声聞・縁覚・菩薩・如来)の方々のことで、非僧非俗とおっしゃっておられた聖人だから、聖人でさえ、想像もつかない無縁の方々だと勝手に思っていたのだが
そうだとすると、本願も無縁になってしまうようで、
広瀬師は、「諸仏称揚の願」(第17願)の諸仏を七高僧をはじめとする先人を、聖人は諸仏といただいておられるとのことだった。
この一点でも、お経を身近な生きた聖教とお示し下さり、私の問題として学ばせていただく、きっかけになるかと思う。


わずかな「聞」ではあったが、目からうろこが落ちかかった2日間だ
った。

帰ったら、子供の知恵熱と同じで疲れ、すぐ寝てしまった。