倉本四郎著作集

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ペンネームを、それまで用いていた「倉本四郎」で行く
と言った時の四郎氏の顔を思い浮かべながら
持っている四郎氏の著書を年代順に並べた。


手に入れることが出来る本で
一冊、持っていない本がある。
『マタさんクラさん 世紀末でたとこ膝栗毛』。
この本が出たことは、当時聞いていた。
持っていなかったのは、単著ではないことぐらいしか思いつかない。
注文していたのが今日届き、本棚にならんだ。


義兄である彼の本は、だいたいいただいている。
写真は、出版順に並べたもので、
『ききみみハナのぼうけん』以前の4冊は義兄以前なので、
ため書き、または献呈類がない。


四郎さんは、2003年8月23日、食道ガンで逝去。59歳。
『招待』が遺作。
当然のことながら、『招待』以降の本には署名がない。
『招待』1ページに、「ひぐらしやなお日を残しつ店仕舞」躁太
(辞世・躁太は倉本四郎の俳名)とある。



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『本の宇宙あるいはリリパットの遊泳』(平凡社刊)に、
私たちが書いた『都市の民俗・金沢』を紹介してもらったが
この『鬼の宇宙誌』(講談社)にも、関わった。

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口絵。稲敷(富来町、現在高浜町)善照寺(真宗大谷派)さん所蔵地獄絵。
もう一枚、珍しい魚の地獄絵が載っている。
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この本は、後書きにあるように、講談社科学雑誌クォーク』連載の記事がもとになっている。
連載という長い期間があったので、稲敷善照寺さんの「地獄絵」を知らせることが出来たのだった。
そして、私がその絵の所在を知ったのは『中島町史』の調査が縁だった。
※居多は現在コタであるが、元はケタだったといわれている。
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ためがきの句。
「瓦焼く 童子をみたり 富来の春」。
「躁太」なのだ。
初めて気づいた。


書いてから、もう一つ気づいた。
これは、もう偶然としか言いようがないのだが、
今日8月30日は、四郎さんの誕生日だった。