一日研修旅行(案)

今週は少し動きがある。17日の坊守会研修のおり、

5月に一日研修を予定している行き先の案を提出しなくてはならない。

 

考えてみた。

 

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適宜選んだり、時間を掛けて説明したりになるだろう。現地を歩き・・・と考えると楽しくなる。それにしても見やすい地図が作れないものだろうか・・・

 

 

真宗文化論」の今、7日正月-10年前

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背表紙青は普通のコピー折って作ったもの。そこから参考文献、レジメなどを別立てにし、裏表印刷にしたのが黒背表紙。文化論で扱う書き物のおおよその厚さが分かった。あとは核になるものを決め、残りは参考に要点を記せばほぼ出来上がる。もっと綺麗に出来たら全部自分でやるのだが、見た通り美しくない。製本は印刷屋さんに頼むことになるのだろうが、私は一太郎、ワードでなければとも聞いているのでそこをどうするかはもっと作業を進めてから。これは時代の記録であり、講師生活もいつまでも続かないだろうから、講義を受けた方々に副読本のようにお配りしようと思い、進めている。その一方で某書店地チェーン、某資料館が置いて上げると言ってくれており、某出版社も条件次第では出版してくれそうな気配もある。進めよう・・・。



少し「真宗文化論」の作業を進めたが、全く雪のない7日正月、一日中コタツにいた。

10年前には以下の記事を書いている。

編集

7日正月に向けて、6日の夜は様々な行事が行われる。
2月に行っていたのが、新正月に会わせて1月に行うようになったという話を聞くようになってから、しばらくは7日頃まで正月気分らしきものはあったようなのだが、それも3が日くらいまでになるのは、あっという間だった。
とはいえ、出初め式が6日で、七草がゆといった都会的な風習が入ってきて、違った形での7日正月を感じないこともない。
6日年越し、7日正月の行事である門前のあまめはぎ7日正月ー叩き堂
は見もし、記録(『石川の祭り・行事』)1999・石川県教育委員会)にも残した。
本来17日の夜行われていた旧柳田村重年の十七夜祭りが6日に移行したという話を聞いたのはいつのことだったろう…
一度はこの行事を見ておきたいと思い、今年は行ってみようと関係者に電話したが、やはり…人手が少なく、今年は2月の11日頃になるのではないか…とのこと。
やはり、と書いたのは、里帰りの人々とともに行事を続けようと1月に移しては見たものの、1月7日も2月7日も同じ程度の人手になり、勤め人が手伝える休みの日に行事を移さざるを得なくなっているという、ムラ状況となってきているのだ。
7日の晩は、今頃、叩き堂、あまはぎをやっているのだなと思いながら、『奥能登散策ノート』作成の趣旨分・要項・作業段取り・調査項目などを書いていた。
そして、二日後の地元2紙(PDF)。
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両紙とも「神社の裏山(岩屋)にヒヒが住みつき村人を困らせたので、村人が村の娘を生け贄にして(神の力を借り)ヒヒを退治した(追い払った)」と、娘をいけにえにしてヒヒを退治した話になっている。
いうまでもなく、毎年いけにえにを求めていた猿神を、修験者が犬と共に、あるいは武士が退治するというのが伝承で、生け贄の娘を救うのが主題であるのに、記事は、全く逆の話になっている。
誰か行事の場でこのような話をした人でもいたのか?と確かめてみると、長年このように書いてきたらしい。
今まで気づかないでいただけのことだった。


それはともかく、娘の代わりに鱈をさばいて供えるようになったとの神饌由来伝承があったり、
それまでは刃物を用いなかったのが、この晩、ムラのおやっさまが始めて刃物(包丁)を用いることで、翌日からはムラ全体が普通の生活に入る、人日(じんじつ)の節句へのいわれをうかがわせる行事ともとれることなど、
きわめて重要なドウゴトなのだ。


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上の写真は『珠洲市文化財』より。
この下に説明文を書いたのだが、石川大百科『書府太郎』にほぼ同文で紹介した。大百科では、文化財の時には気づかなかった「包丁始め」にも触れているのでこちらの文を紹介する。
「たたきど」(PDF)
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参考
武士説(PDF)能登のくにー半島の風土と歴史ー』「異形との戦いー猿鬼伝説」。
二名(にみょう)が中心の「ドウゴト」(PDF)同「幸を供えるームラのドウゴトー」

関連ブログ
大猿退治伝説
生け贄伝説の「小串祭り」
「ユートピアに生きる鬼」

※追記

10年前の記事を載せ、叩き堂祭も無くなったし、時の流れ・・・をしみじみと感じるつもりで、あらためて時にいつ休止になり、そのことに一文を書いたのはいつだったのだろう、とブログ記事を検索するが見えない。

このままでは、休止を知らない人が、6日に片岩へ行けば見ることが出来ると思われるかも知れない。はっきりしておかねば、と過去をたどると、それは2013年のことだった。

タタキドと書いている。

あらためてその時のブログ記事をー。

 

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新年

 

二日。3時過ぎに目が覚めた。

一昨日から昨日にかけて鐘撞き、夜通しの年頭・年賀、修正会。

伝導黒板には頌春と法語を張り替え、

30日餅つき。そのお餅を切り、鐘楼堂に二つ、本堂、石灯籠に足元を照らす電灯を引き、元旦5時ごろにはチョット降った雪が本堂屋根雪にとなってチョットした山になっていたので、最初の雪かきをし・・・云々で

寝たか寝ないかの時を過ごす。

それで1日晩は、明け方までぐっすりとはいかず、慣れない時間帯に起きていた状態が続くのである。

 

ご本尊に年頭においでる方々がどのように封筒表に書いておられるかを見てみた。

圧倒的にお年賀・年賀

それに地域性がある「御鈴代」もある。

かつて調べた時には当寺ではないのだが、「十二灯」があった(『蓮如真宗行事-能登の宗教民俗』真宗地帯における正月行事。P72~P91)

そこから考えると一〇八つの鐘は、12ヶ月、24節季、72候の1年をあらわす数と見るべきだろう。

煩悩を除くという除夜説はいかにも弱々しい。

 

鐘は11時45分からつき出すのだが、しばらく少年・少女たちが列をなした。

そこで、一人ひとりに(1年間)ありがとうと、やさしく撞くんだよ、と声かけをした。

音にならないようなやさしすぎる音もあったが、やさしくね、と繰り返す子が多かった。

どこかで力任せに撞くのがいいということでもTVで言っているのだろうか、

時を知らせ、ヨシノブちゃん事件の犯人が自白したのは房に届いた鐘の音によってだったように、こころをうつ音色を静かに響かせるのが鐘なのに、どうも何かをぶつけるような力任せに鐘を撞く人がいるのに驚いたことがあったので、そう語りかけたのだ。

中には、やさしくね・・・、でも今年は頑張らないといけないの・・・という子もいた。ついたあと、がんばってねと、声かけして別れる

 

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2日朝、7時過ぎ


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年頭挨拶を交わし合う広間の飾り。蓬莱(食い積み)、ここから切り紙蓬莱が生まれた。

写真は蓬莱飾り。

親鸞聖人の好物(いざというときの非常食になる作物)だったと言われ、報恩講にはお汁に用いられる小豆などが飾られる。

蓬莱山宇宙は亀の背にあり、鶴が舞う。鶴亀だ。

 

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語り部として-本多達郎さん

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今朝の新聞で、本多達郎さん御逝去の報に接した。

26日81歳。

先生の推挙があって、富来郷土史研究会で長年お話しさせていただき、いろんなところを案内していただいた。

先生のほんの一面を紹介させていただく。

 

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指導・編集 版画集西海の昔語り 富来町立西海小学校 昭和61年。後半の「難船」「三吉堂物語」は加能作次郎作。


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富来町立西浦小学校5年生版画集 昭和62年度 版画指導・編集本多達郎

この他、版画集「千浦の又次」があるはずだが、みつからない。どれほど多くの児童たちが胸弾ませ版画に取り組み育って行ったことだろうか・・・。

 

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本多さん作。2007年2月20日、ご自宅で。

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2013年平成25年、富来郷土史研究会の折、戸坂潤生家跡を案内していただいた。先生75歳の時か。


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2007平成19年11月20日(火)朝日新聞加能作次郎尋常小学校教員の時、本多氏の祖母両国す巳に恋をし失恋、翌年東京に出て作家への道を歩み始めたことが語られている。本多先生は作次郎を世に広められた大功績者である。


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2009年2月5日


 

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県立美術館、ご恵贈『能登平家物語』

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藤平朝雄氏著『能登平家物語


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北國新聞朝刊-県立美術館長 年明けから後任検討 副館長に宮崎、谷口氏

19日県立美術館長の島崎丞(すすむ)氏が87歳でこの世を去られた。埋文評議員絡みで存じ上げ、賀状もその前に出していた。

今朝の北國新聞に新人事が載っていた。

谷口出氏が中心として運営に携わられるのだろうとは、なんとなく想像していたが、その通りに氏がおいでる。

経歴に県立高教諭とある。習った人が、かなりいるはずだ。

 

平氏の著作は、お昼頃に届いた。

気持ちが暖かくなる本だ。

80歳。

「発刊に寄せて」に

(加速的に過疎・少子高齢化が進んでいるが)大切なことはいかなる時にも「自力で立ち上がる気力」であろうかと思われます。豊かな自然環境と里山里海に育まれた歴史と文化を心の糧として、地域に住む誰もが、明るい住みよい「郷土」の未来を担っていくことを願ってやみません。

 とある、元気さ。

私なりに大きな他力に包まれ、自力で・・・と読みかえているが、尊いご労作を頂いた。

 

すぐに「ご恵贈」いただき、と礼状を出した。ご恵贈でいいのかな、と例文を調べるとOK。

この場合の「恵」が合っているなら、親しく育てていただいた佐々木孝正さんの抜刷にあった「恵存」はどうなのだろう。

佐々木さんのまねをして恵存を著書をお送りする時に使ってきた。

 おじゃまでしょうが、おそばに置いて下さいの念いである。

ひょっとしたら先輩が後輩に向けての言葉なのかも知れない。

そうであっても、いい年だしいいか・・・。

知ーらない。

 

そうこうしていて、進むはずの作業は、全く進んでいない。

知ーらない。

 

 

 

先日の目次内容を具体化-真宗文化論

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21分冊

目次のタイトルごとに綴じてあったおよそ250篇のホッチキスをはずし、ほぼ目次分類に合わせ21冊に綴じ直した。ホッチキスは100枚綴じまでのものを購入し使用。

製本テープで背を覆い、タイトルをつけた。

 

やっているうちにだんだん紙の素朴な美が失われていき、

子供のころ読んだ「次郎物語」だったか?

少年が貧しい家計を助けるために母の内職の封筒貼りを手伝うものの、封筒の貼り合わせが反対になっていて、母がやり直す、やりきれない光景を思い出しながらの作業になっていった。

 

ここまで来たら、今度は裏表に印刷、10.5Pを10pに落として、どれだけ厚さを減らせるかに取り組む。

 

明日は一日家に居れるから、作業が進むはずだ・・・。

 

 

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「真宗文化論(仮題)」目次

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目次 19頁

 

蓮如真宗行事』から『妙好人千代尼』の間の真宗関係著、新聞記事、インタビューなど、今となっては目につきにくいものを時代・地域の証言として表に出すべく整理している。ほぼ1990年~2018年の文など。18項目に分類した。

あとは、A1~E5の項ごとにプリントアウトし、裁断、ホッチキスで止め、最小単位・18冊程度の手作り本を作り全体像を見てみる。

 

総目次

A1目次・概論、2風土・土徳、、3年中行事、4用語論・例句
 1 目次・概論
① 著書後書きなどから-執筆経緯・変遷とまとめ
 2 風土・土徳
②「節談説教の風土」『大系日本歴史と芸能第五巻 民衆宗教の展開 踊る人々』日本ビクター・平凡社 平成三(一九九一)年六月十日       内山直三・青木裕
③参考「座談会 芸能の風土・芸能民の歴史」網野善彦小沢昭一・市川捷護『月刊百科』No三三七 平凡社 一九九〇(平成二)年
④「「オザ」と真宗門徒と暮らしのなかの宗教活動  江戸時代 人づくり風土記 一七 石川  社団法人 農山漁村文化協会 一九九一年四月二十五日
⑤「農民の暮らしと信仰」『ふるさと石川歴史館』北國新聞社  二〇〇二(平成一四)年六月十日
⑥参考「一向宗が重寳々々」「微妙公御発語」『御夜話集 上編』石川県図書館協会刊
⑦「日本海における半島の宗教民俗ー男鹿・能登ー」 『東北の民俗 海と川と人』考古民俗叢書〈24〉  国分直一・高松敬吉編 昭和六十三(一九八八)年七月三十日
 →「海ゆくツバキ-海士崎・能登金剛ー」 地産地消文化情報誌「能登」26号 伝説の風景25 二〇一七年冬号
⑧参考『御国政ニ付申上候帳冊』
⑨「能登の土徳」 北國新聞夕刊「舞台」二〇一八年六月二十五日
⑩まれびとの國能登立国一三〇〇年25  北國新聞二〇一八年5月14日(月) 26 異界の入り口だった、中世の歌人「浄土を見た」  5月15日(火) 30「やさしさ」の地力実感、営みの根底に敬意、感謝 5月19日(火) 31 心のキリコに灯を、住む誇りが「客人」呼ぶ  5月20日(日)計 四話
⑪ 南砺「八魂一如」48  「「加越能一如」の心を丨連携し、高め合う」富山新聞 二〇一八年(平成三十)年 二月二十三日(金)○『南砺 八魂一如』富山新聞社二〇一八年十一月一日刊
⑫「薬師の里」地産地消文化情報誌「能登」19号 二〇一五年春号   七作仏・十二誓願
⑬「民間信仰」 根上 『新修根上町史』通史編 平成七年三月三十一日刊     観音
⑭「五輪塔、板碑七十基」  篤い信仰示す 二〇〇五(平成十七)年十一月四日(金)北國新聞 
 3 年中行事 
  概論
①「小林家年中行事」文化十一(一八一四)年墨付き二十九枚の手帳。初出『尋源』38号大谷大学国史学会 昭和六十三年六月三十日発行〈研究ノート〉  能登国高畠村
②中島・門前町の仏教 『新修門前町史 資料編6』『石川県中島町史』民俗など
③中島「年中行事」(第三章 年中行事と信仰生活  第一節年中行事) 
④「仏事概論」『石川県中島町史』通史編、平成八年三月刊
能登島町「年中行事」 (第三章 島の儀礼伝承丨季節と人生の折り目丨年中行事)
⑥根上町「年中行事と信仰生活」(第七章第三節一、年中行事)
  各論
①「正月御座・斎始め」  能登島・鹿島・根上※『日本民俗大辞典』執筆項目
②「春の太子と暮れのタイシ」「石川県史だより」第37号平成十(一九九八)年三月 石川県立図書館資料編さん室県史編さん班
③「慈悲の象徴・聖徳太子丨石川県下の太子信仰」 珠洲市ロータリークラブ会報 平成九(一九九七)年十月三十日
④「太子講」(能登島)『能登島町史 資料編第二巻』 昭和五十八(一九八三)年三月
⑤「伝説の風景    親鸞聖人、越後への道-臼ケ峰-」地産地消文化情報誌「能登」第3号
   参考「臼が峰太子堂縁起」八月一日法要
⑥彼岸の中日   鹿島・中島
⑦「れんにょき 蓮如忌」『日本民俗大辞典』下 二〇〇〇・平成十二年四月 吉川弘文館
⑧「花祭り」  中島町史 第三章 年中行事と信仰生活
⑨国造山・西谷内青二十日『中島町史・民俗編』、『年中行事辞典』鹿島郡東京堂出版
⑩「祠堂経、別経」  門前町
⑪「コンゴウ・盆・盆踊り・雨乞い」門前・鹿島・根上 『能登のくに-半島の風土と歴史-』
 「盆に向けて-休み日と雨乞い-」北國新聞社二〇〇三(平成十五)年七月七日
⑫「報恩講、お取り越し、御講凪」(『日本民俗大辞典』上一九九九・平成十一年九月『日本民俗大辞典』下 二〇〇〇・平成十二年四月 吉川弘文館
⑬「報恩講・引上会」『新修門前町史』二〇〇五(平成十七)年 中島 能登島 根上
⑭参考 すす払い 掃除の民俗 昭和五十九年  大島建彦編  三弥井書房刊
  御崇敬
⑮「ごそっきょう 御崇敬」『日本民俗大辞典』上 一九九九・平成十一年九月 吉川弘文館
⑯「羽咋・鹿島の御崇敬 」『石川の祭り・行事 石川県祭り・行事調査事業報告書』石川県教育委員会 平成十一(一九九九)年三月刊
⑰各地の御崇敬   『新修門前町史 資料編6民俗』二〇〇五年十一月刊、石川県『中島町史』資料編上巻・平成七年三月刊、石川県『能登島町史』資料編第二巻・昭和五十八年三月刊、『図説 七尾の歴史と文化』七尾市役所 平成十一年七月刊、石川県『鹿島町史』通史・民俗編、昭和六十年九月刊
⑱中能登の御崇敬・乗如上人を敬う善男善女 北國新聞昭和五十八年十一月二十三日(水) 「人生」
⑲資料・珠洲歓喜光院御影について
参考 御崇敬・不時御崇敬勤修状況※二〇一九年(平成三十一年)二月一日   和田勝氏調べ
参考①「真宗と太子信仰(レジメ)」一九九四(平成六)年四月二十一日於井波町総合文化センター
参考②「太子縁起」に引用されている和讃など
参考③さまざまな真宗法然上人・コンゴウ・蓮師三十五歳・御消息など)
参考④「太子信仰と北陸」太子縁起48本 平成九(一九九七)年十月十八日石川県立歴史博物館
参考⑤「なむぶつの太子」ほたるこい 長岡博男「金澤民俗談話會報」第十八號、昭和十六年三月十五日
参考⑥「民俗座談-郷土の七夕と盆行事-」加能民俗の会(七夕と盆丨七夕略)「加能民俗」第三号 昭和二十五年八月一日発行
参考⑦「武生地方に於ける「コンゴウ」」斎藤槻堂「加能民俗」2の6昭和二十八年十月一日
 4 用語・例句論
①「真宗門徒の日々-民俗語彙は何を明らかにし得たのかー」『宗教民俗研究』第十七号、二〇〇七年(平成十九年)十月刊行                                   ○四、三つの門徒地帯 門前・中島・珠洲 
『日本民俗大辞典』 鵜祭 御講凪 御崇敬 お取り越し コンゴウウマイリ 斎 報恩講 蓮如
②他力本願論「「いのち」に目覚める言葉-他力本願-」北國新聞  二〇〇四年二月五日  「地鳴り」(読者投稿) 『広辞苑
③「門徒の暮らしと「民俗」-民俗語彙は何を表現し得るのか-」レジメ
④「優れた語り部尊い一書」(巻頭言) 『奥能登地方俗諺漫語 百姓覚えた者はない』中瀬精一
⑤「百姓覚えた者はない」 用語      平成十七年七月
儒者各論 鬼神に事えんか
儒者関係全、物忌み論 二〇一九・〇三・十二門徒もの知らず 森龍吉氏 太宰春台の評価
⑧参考 門徒もの知らず論・森・太宰春台
⑨蟪蛄春秋を知らず・荘子
⑩「あう」「値う」「遇う」について(二〇一〇年七月、能登教区)
⑪「末法論」穆王  五十一年 五十三年  『末法灯明記』  ※親鸞聖人・五百四十二年説
参考①柳田にもあった走り移民 中瀬精一《走りと呼ばれた農業移民》
参考②『日本民俗大辞典』上・下 項目
参考③残すべき民俗用語 行事  参考文献
参考④「春すゝめ」  山下久男      輪島高教諭
参考⑤「門徒衆」 松原一秀     石川郡館開村安養寺 農業

B1蓮如周辺、2講・御消息・御崇敬
 1 蓮如周辺・蓮能尼・白比丘尼
①「蓮如習俗論」『講座蓮如』第二巻平凡社一九九七(平成九)年三月五日
②「北陸の蓮如忌」『蓮如上人と絵伝』教行社 平成五年一九九三(平成五)年十二月二十九日
③「現代に生きる蓮如蓮如と北陸-」『蓮如のすべて』新人物往来社 一九九五(平成七)年十一月十日
④「蓮如伝承と北陸の真宗民俗」『蓮如さん-門徒が語る蓮如伝承集成-』一九八八年・昭和六十三年十月二十五日加能民俗の会編著 橋本確文堂企画出版室
⑤『蓮如真宗行事』平成二年一九九〇年八月十日オリエントブック 
 『蓮如真宗行事-能登の宗教民俗-』一九九八(平成十)年三月三十一日  一九九〇年版再刊 はじめに 研究史
⑥『蓮如上人と伝承』真宗大谷派金沢別院 一九九八年十二月二十五日 略年表
⑦高山別院照蓮寺蓮如忌(レジメ総括)二〇〇九(平成二十一)年三月二十五日(木)
⑧「極楽へ我行なりと聞くならば」『保存版 わが家の仏教 浄土真宗』四季社二〇〇四年六月五日
五帖御文に見る男女  データー
⑩書評『蓮如真宗行事』北國新聞社  一九九〇(平成二)年九月二十四日(月)
⑪「蓮如忌」町村史(門前、中島、根上)の蓮如
⑫「御文御書」所在・表 13~21歴代門主
⑬「女人と御文」『蓮如上人と伝承』
⑭人生「雪の果ての”蓮如さん”〈上〉」昭和五十六年四月一日(水)北國新聞 
⑮「蓮如さん現代講-五〇〇年の時を超え-伝承の中の巨人」6北國新聞 平成十年(一九九八年)二月十二日 信心深めて完結する「物語」
⑯「蓮如さん現代講-五〇〇年の時を超え-蓮如忌の季節 桜が語る「生の歓び」「浄土の美しさ」」北國新聞 平成十(一九九八)年四月九日(木)
⑰「宗教文化の宝庫道-蓮如が歩いた北陸の地今に息づく名号、伝承」北國新聞 平成八年(一九九六)三月十七日「北國文化」 
⑱「一刎蓮如道」地産地消文化情報誌『能登』24号 平成二十八(二〇一六)年夏号 
⑲「蓮如太鼓」 常田富士男 十二月  二〇一三(平成二十五)年
⑳「蓮如太鼓」『常田富士男さんと歩く加賀・能登むかし話の旅』平成二十六(二〇一四)年五月三十一日 北國新聞社
21「珠洲の風物詩1  ヘンジャ参り」 季刊「能登」92号二〇〇〇年   金沢広告発行
22参考 御文「誓玄本」の行方  追加参考「光教寺順誓考」
23「正光寺室町時代の位牌 門前町」一九八八(昭和六十三)年十二月二十六日 北國新聞
24参考 FM金沢 ラジオ番組  「蓮如(上人)」を訪ねて  案
  比丘尼
①「白比丘尼-春を知らせる永遠の乙女」『能登のくに半島の風土と歴史』二〇〇三年七月七日  北國新聞社
②「白比丘尼の故郷  伝説の風景6」 地産地消文化情報誌「能登」第七号  二〇一二年 春号
③「海ゆくツバキ 白比丘尼」 地産地消文化情報誌「能登」二十七号  二〇一七年 冬号
④「白比丘尼」  加越能ふるさとの民話 北國新聞 二〇〇二(平成十四)年二月七日 
⑤「白比丘尼の故郷、椿・杉」『伝説とロマンの里』飯田高校百周年記念誌二〇一二(平成十四)年十月

⑥「白比丘尼」『石川・富山 ふるさとの民話』 北國新聞社 二〇一一(平成二十三)年十一月十日
⑦「白比丘尼と椿」『常田富士男さんと歩く 加賀・能登むかし話の旅』 平成二十六(二〇一四)年五月三十一日 北國新聞社
参考①「百姓ノ持タルヤウナ国、百姓ノ持タル国、門徒の持ちたる国」二〇一八年十一月六日(火)ブログ
参考②書評△「民衆の導師 蓮如」二〇〇四(平成十六)年六月二十日掲載 包み込む蓮如の大きさ ※個人批判有り
参考③蓮如上人と町野総道場  平成六年
参考④「蓮如上人御遺言」『『蓮如上人行實』※高山レジメにも
参考⑤「雪の果ての蓮如さん〈下〉」北國新聞昭和五十六年四月二十二日(水)
参考⑥『続・日本の歴史をよみなおす』網野善彦筑摩書房一九九六年一月二十日 百姓は農民か?
参考⑦あそばされ候御名号-多羅小仏〔蓮如上人御一代記聞書〕〔拾塵記〕
参考⑧「嫁おどしの面」『蓮如さん-門徒が語る蓮如伝承集成-』 42・3頁 一九八八年十月二十五日発行 加能民俗の会編集 橋本確文堂企画出版室
参考⑨北國文化「福井・吉崎 嫁おどし肉附き面」藤島秀隆 嫁と姑の葛藤に蓮如上人の霊験 平成六(一九九六年)年六月十二日   北國新聞
参考⑩嫁おどしの面 諸本より
参考⑪蓮崇本いきさつ  資料
参考⑫蓮崇本取り決め   文化十四(一八一六)年
参考⑬蓮能尼の手紙・誓玄本御文 やりとり  『蓮如上人遺文』
 2 御消息・講
①「御消息」とその時代-近世を中心に-能登教区御消息調査報告ⅩⅧ 能登教区教化委員会 平成十四(二〇〇二)年六月三十日刊
②「法義相続の諸相ー講・御消息を中心に」二〇〇七(平成十九)年十月六日~八日 日本民俗学会第五十九年会  大谷大学 仏教と民俗
③「御消息」を現代文に”翻訳”地域宗門史を整理 平成二(一九九〇)年十二月二日 北國新聞
④「御消息」とその時代-近世を中心に-  表
⑤資料 能登教区(大谷派)御消息調査報告」の分析。○○寺・○○村○○日講中など一覧 「○日講」以外
⑥参考 門前の御消息  『新修門前町史 資料編6』
⑦資料 御消息一覧 根上 平成七年三月三十一日刊 
⑧「講と民間信仰」『新修根上町史』通史編 平成七年三月三十一日刊 根上町の御消息 
⑨資料 御示談最終回を迎えて ブログ
講①門前町の講    新修門前町史 資料編6民俗 二〇〇五(平成十七)年十一月刊
講②中島の講  石川県『中島町史』資料編上巻 平成七(一九九五)年三月刊
講③御講行事 『能登島町史』 資料編第二巻   昭和五十八(一九八三)年三月刊
講④鹿島町の講  石川県『鹿島町史』通史・民俗編 昭和六十(一九八五)年九月刊
講⑤根上町の講   『新修根上町史』通史編 平成七(一九九五)年三月刊
参考①資料年表 乗如上人期~  教義四種六通(以下講関係ここに含む)お文十九種四十二通 その他   計四十八通 御書・御消息       ○御消息  ◇寺檀制 ☆説教・談議・故実
参考②~④ 御消息一覧 │お文│ │13 │14 │15 │16 │17 │18 │19 │20 │21 │ 
参考 御消息名一覧表
参考 「ままお講の復活」中山又次郎  内灘大根布 村長
参考 講の調査 林昇「加能民俗」第三号昭和二十五年八月一日
参考 「能登鳥屋町の講について」小倉学  「加能民俗」4-7昭和三十三年十一月一日発行 
参考 「加賀田ノ島のお講」田ノ島採訪ノート其の一

C1談義・説教・民話、2和歌、3民謡
 1 談義・説教・民話
①「長太はおるか・・・-能登の節談説教-」『能登のくに-半島の風土と歴史-』(二〇〇三年平成十五年七月七日北國新聞社刊)
②節談説教『石川県の民俗芸能 石川県民俗芸能緊急調査報告書』 平成十五年(二〇〇二年)三月刊
③「昔=民話」の力  北國新聞・夕刊「舞台」二〇〇二年二月
④「済度される鬼神-続き因縁話の世界-」『説話論集 第十六集 説話の中の善悪諸神』二〇〇七年七月十日発行 静文堂出版
⑤「長太ムジナ」加越能ふるさとの民話、北國新聞 二〇〇二年・平成十四年十一月十四日 
⑥「長太ムジナ」『石川・富山ふるさとの民話』二〇一一・平成二十三年十一月十日 北國新聞社
⑦「猿鬼伝説」『伝説とロマンの里 石川県立飯田高等学校百周年記念誌』二〇一二平成二十四年十月二十一日・北國新聞社出版局刊
⑧「猿鬼伝説」『加越能 ふるさとの民話』  北國新聞 二〇〇二年(平成十四年)四月十八日
⑨「猿鬼伝説」『石川・富山 ふるさとの民話』北國新聞社二〇一一年・平成二十三年・十一月十日
⑩「猿鬼伝説」地産地消文化情報誌「能登」第十八号、二〇一五年冬号
⑪「引砂のさんにょもん」 『石川県立飯田高等学校百周年記念誌 伝説とロマンの里』二〇一二・平成二十四年十月二十一日、記念事業実行委員会刊
⑫引砂の三右衛門「加越能 ふるさとの民話」二〇〇二年・平成十四年一月七日(木)北國新聞
⑬「引砂の三右衛門」『石川・富山ふるさとの民話』北國新聞社二〇一一・平成二十三年十一月十日刊
⑭「引砂のさんにょもん」『常田富士男さんと歩く加賀・能登むかし話の旅』二〇〇二年(平成十四)年八月二十二日 北國新聞社
⑮「千ノ浦又次」「加越能 ふるさとの民話」二〇〇二・平成十四年・八月二十二日(木)北國新聞
⑯「千ノ浦又次」『石川・富山ふるさとの民話』二〇一一・平成二十三年・十一月十日、北國新聞社
⑰「千ノ浦又次」『常田富士男さんと歩く 加賀・能登むかし話の旅』平成二十六(二〇一四)年五月三十一日、北國新聞社ネット企画部刊
参考①「口能登の伝説」今村充夫「加能民俗」4-2 昭和三十三年二月一日発行
参考①「長太狢記第序并-長太異形の事」後藤家本 聞き取りも含む
参考②「長太ムジナ」『能登志賀町の昔話・伝説集』石川県立郷土資料館紀要第七号 昭和五十年四月十日
参考 「はいや音頭(長太むじな)」『石川県の民謡』昭和四十二年五月十日 北陸放送
 2 和歌
①「民間信仰と和歌-伝承の奥に流れるものー」  『加能民俗研究九号』  一九八一年・昭和五十六年三月三十日発行
 ①-2民間信仰と和歌-関係者の歌
親鸞聖人五百五十回忌  新史料を発掘 寄稿  北国新聞文化欄 二〇一三年十二月十九日(木)
 ②-2人物出題 冷泉入道前大納言等覚
親鸞五百五十回忌追慕五十首二〇一三年(平成二十五年)十一月二十六日(火) 北國新聞
親鸞 五百五十回忌の和歌  二〇一三年(平成二十五年)北陸中日新聞 十一月二十六日(火)
⑤五百五十回忌発表経緯全     ブログ記事
親鸞聖人五百五十回忌追慕五十首倭(金+哥)ワカ  文化八年(一八一一)年三月二十八日 大谷俊太氏翻刻
能登国三十三観音巡礼札所について 『能登国三十三観音のたび』平成十七年十二月十日北國新聞社刊   前書き
⑧書評 『能登国三十三観音のたび』西山郷史・上陽子・NPO能登ネットワーク著 『宗教民俗研究』第十六号 二〇〇六・平成十八年十二月二十日(下仲一功)
 3 民謡・数え歌・相撲
  盆踊り-目連・歓喜嘆・チョンガリ
①「海の歌、海の芸能ーまだら、三夜、早船狂言-」『能登のくに-半島の風土と歴史-』二〇〇三年(平成十五年)七月七日 北國新聞社
②石川県『鹿島町史』通史民俗編 昭和六十年九月  七日盆 盆
③盆踊り・概論   石川県『鹿島町史』通史・民俗編 昭和六十年九月  『能都町史』
④高梨一美『東アジアの祭祀伝承と女性救済-目連救母と芸能の諸相-』から野村伸一編著二〇〇七(平成十九年)年八月三十日 二〇〇八年八月二十日
 ④-2資料・高梨一美氏・ブログ
⑤目連尊者と目蓮尊者  木場・菊池
⑥書誌紹介 『越中の民俗宗教』伊藤曙覧著  二〇〇五年十月三日 『日本民俗学』二四五号 二〇〇六年二月刊、岩田書院
⑦孟蘭盆・目連尊者、それに安心数え歌-十組推進員協議会-
能登の「目連尊者」-七尾市 二〇〇七(平成十九)年九月十二日 盂蘭盆と目蓮尊者 能登島・野崎の伝承、その他 ブログ 二〇〇六年八月八日、二〇〇八年八月二十日
⑨『妙好人千代尼』の歓喜嘆 『信後相續歓喜嘆全』刊本表紙

荒井玉泉堂述、洗心書房刊
 参考 信後相続 歓喜嘆   ※混交 石川郡野々市町河内村 千代尼
⑩「消えゆく能登の法事歌」北國新聞「文化」欄 昭和五十七(一九八二)年十月二十一日(木)
⑪「法事歌」   能都・佐味
⑫「いろは歌・数え唄」(西山蔵・臥龍文庫蔵)
⑬資料「信心数え歌」広陵兼順「弥陀の誓願」と松岡なみさんの伝承歌  放送
⑭「聖人田植え唄」 石川県 『能都町史』第一巻 第五章第五節「口頭伝承」二 昭和五十五年五月
⑮木遣り音頭「本山びき」 石川県 『能都町史』第一巻第五章第五節「口頭伝承」二昭和五十五年五月
⑯井波御坊「大持曳歌信心盡」末之段  西山翻刻
⑰「能登の暮らしに息づく相撲」 『北國文華』二〇一六年 春 第六十七号 
⑱「相撲」『鹿島町史』  昭和六十(一九八五)年九月
資料・参考
  1目蓮尊者・歓喜
①『真宗聖典』(大谷派
②「ちょんがれ」 東蟹谷 おやべ
③「礪波市鷹栖チョンガレ」『日本庶民生活史料集成』第十七巻 民間芸能 一九七二年(昭和四十七年)十一月三十日
④「じょうかべ」(目蓮尊者地獄巡り)石川郡白峰村『石川県の民謡』昭和四十二年五月十日 北陸放送株式会社刊
⑤「さかた音頭」 森本・八田 (目連尊者)『石川県の民謡』昭和四十二年五月十日北陸放送
⑥「ぼんぼらがい(前踊り)」目蓮尊者地獄めぐり(前唄)『七尾の民謡と童唄』昭和五十八年五月 七尾市教育委員会
⑦井波目蓮尊者 ※スキャンのまま
⑧「しんき(歓喜嘆)」江沼郡山中町荒谷 河内 野々市
⑨「ジョンカラ」金沢東長江
  チョンガリ
①「蓮如踊り(シャシャムシャ)」加賀市指定無形文化財 加賀市塩屋町 盆踊り
②「あさんがえし」
③「萬歳・チョンガレ節・口説」解題   部分 五来重編著
『日本庶民生活史料集成』第十七巻 民間芸能  一九七二年十一月三十日 三一書房
④「ちょんがれの由来」『おやべのうたごえ ふるさとのこころ』昭和五十三年三月二十日
⑤「森本じょんがら節」
⑥「さんごろちょうべい」
  3法事歌
南無阿弥陀仏の唄「長い迷いの・・・」
  4数え歌
①「御當流いろはうた」  歓喜
②「弥陀の誓願」(部分数え唄)『大系日本の歴史と芸能第五巻民衆宗教の展開 踊る人々』平凡社 一九九一年六月十日刊
③「数え歌尾口村」『石川県の民謡』昭和五十六年三月石川県教育委員会編集・加能民俗の会発行
④「数え唄」旧表道場 江戸時代末期 石川県立白山ろく民俗資料館管理 白山市白峰リ三十
⑤「あさんがえし・後世願い」など あさんがえし 辰口町※「歓喜嘆 御當流いろはうた」と同じ
⑥「追分・大黒舞」三室『七尾の民謡と童歌』昭和五十八年五月 七尾市教育委員会、『福井県の民謡』
⑦大黒舞 『福井県の民謡』一九八五・昭和六十三年三月三十一日 福井県教育委員会
⑧「仏教数え唄」湯川町『七尾の民謡と童唄』昭和五十八年五月     七尾市教育委員会
  5田植・労作唄、木遣り
①「草刈り唄」  竹又町ほか

D1門徒本尊・順拝、妙好人、2葬制、3精進料理・斎(六斎)、4権現・神仏判然、5祭
 1 門徒本尊・順拝・妙好人
門徒宅本尊  『伝説とロマンの里 石川県立飯田高等学校百周年記念誌』
 初期木仏安置御免 二〇一二(平成二十四)年十月二十一日・北國新聞社出版局刊 
 「舞台」北國新聞夕刊二〇一一年・平成二十三年一月二十一日 夕刊「舞台」
 儒医・佐野春菴と春菴世界の広がり  『リーダーのオピニオン誌 石川自治と教育 七百十二号』二〇一九年平成三十一年一月十日石川県自治と教育研究会刊
 中将姫伝説の武淵 「口頭伝承」『能都町史 第一巻』昭和五十五年五月刊
②「江戸の道、順拝の道-定住する人、巡る人-」『能登のくに-半島の風土と歴史-』二〇〇三年七月七日 北國新聞社刊 
③「江戸小石川からきた仏像」『加能民俗』10ー6No128 平成二(二〇〇〇)年三月三十一日発行
④「近世寺院の唱導(資料紹介)」『すずろ物語』 第五十一号 昭和六十二年十二月二十六日刊
⑤領解文・改悔文と千代尼句
⑥参考「真宗御旧跡巡拝」論・資料
⑦参考「枕石寺縁起」(読み物)
参考  メモ真宗法宝物門徒・本尊(①)
 2 葬制
①「門前町の葬儀・年忌・墓制」『新修門前町史 資料編6 民俗』二〇〇五(平成十七年)年十一月刊
②「能登島の葬送儀礼」石川県『能登島町史』資料編第二巻 昭和五十八・一九八三年三月刊
③「奥能登に見る真宗以前」古代葬制継ぐ四門額「中世世界」を語るもの   北國新聞「文化」欄 昭和五十六年五月二十一日(木曜日)
④「水と信仰」『コミュニティジャーナルいしかわ』NO三十、一九七九・昭和五十四年七月号No30  昭和五十四(一九七九)年七月五日  (株)パブリケーション四季
⑤ 「水と信仰」経過・解説
⑥ 『死・葬送・墓制資料集成 東日本編』(一九九九)国立歴史民俗博物館  葬制調査
 3 精進料理・斎(六斎)
①「とき 斎」『日本民俗大辞典』下 二〇〇〇・平成十二年四月 吉川弘文館 
真宗における精進料理について  資料・レジメ(若坊守会)
真宗と精進・お斎料理・行事 資料・レジメ 一切経御校合など『真宗聖典』口伝鈔8 覚如上人
④「「お斎」の心を学ぶ」御遠忌弁当作り参考に 三条別院「新潟日報」二〇一四年・平成二十六年九月十三日(土)
⑤「江戸期から全国ブランド輪島塗」平成元年(一九八九)年一月二十六日(木)北國新聞
⑥輪島塗の技と彩り「いしかわ人は自然人」(季刊) 一九九三(平成五)年四月一日 No  二十三
参考1「とき 齋」 『真宗大辞典』p1613
参考2「真宗と精進・お斎料理・行事」康永三年(一二三五)「口伝鈔」(『真宗聖典』p657)
参考3『實悟記』の斎・精進      『真宗聖教全書』三
参考4ほんこさんとお斎 二〇一六(平成二十八)年十月三十日(日)
参考5「親鸞と小豆粥」伊藤曙覧「加能民俗」第八号昭和二十六年六月一日発行、武生地方に於ける「コンゴウ」 斎藤槻堂「加能民俗」2の6 昭和二十八年十月一日発行
参考6「しんじりゅう 進士流」
参考7 律令 非殺生・六斎日 
参考8「能登の古習俗丨当屋のことなど」小倉学「加能民俗」第二号昭和二十五年六月一日発行
 4 権現、神仏判然
①「能登国三十三観音札所と真宗」『能登国三十三観音のたび』平成十七年十二月十日、北國新聞社刊より
②「天神信仰」『石川県大百科事典』改訂版 上巻  二〇〇四年十一月三十日 北國新聞社
③「天神・人神・藩祖の信仰-都市型信仰の展開試論-」『都市の民俗・金沢』昭和五十九・一九八四年二月五日・国書刊行会
④「ポストブックレビュー」(週間ポスト・三ページ書評)一九八四年・昭和五十九年五月四日号
⑤「天神・地蔵と異界-都市金沢の宗教空間-」『都市民俗学へのいざないⅡ 情念と宇宙』一九八九(平成元)年三月、雄山閣出版
⑥「天神として祀られた藩主-加賀・能登越中天神信仰-」 『宗教民俗研究』第十三号  日本宗教民俗学会 二〇〇三・平成十五年十二月一日刊
⑦「金沢の天神信仰」『北國文華』第八号 二〇〇一(平成十三)年 夏号 北國新聞社
⑧「神仏判然令の対応-神社絵馬(『華和讃親鸞源氏』)を通して-」「真宗の文芸世界と絵馬文化」戸澗幹夫 石川県立歴史博物館紀要第二十六号二〇一七年五月三十日
⑨「蛸島早船狂言と羽歌」『能登文化財』三十輯   一九九六年八月三十一日刊
参考 はいや、「真宗と観音」石川県『新修根上町史』通史編 平成七年三月三十一日刊
 書評三十三観音
 5 祭
①「移り行く行事の日」北國新聞夕刊 舞台  一九九八(平成十)年三月三十日
②「この人に聞く 祭りをする意味は」朝日新聞・石川版  二〇一三(平成二十五)年八月二十六日
③「のと観光を診る!③「祭りの国」深い背景」二〇一八(平成二十八)年三月五日(土)北陸中日新聞
④「伝統行事 復権のために」二〇一三(平成二十五)年二月五日 北國新聞
⑤「いろいろな祭り・論」『おもしろ金沢学』 天神・人神・藩祖の信仰(『都市の民俗・金沢』)
⑥「七夕ギリコ・盆ギリコ」 『奥能登のキリコまつり』一九九四(平成六)年 奥能登広域圏

E1先学、2エッセー、3法話 4作業中・すべきこと・年表 
 1先学、 
①戸坂順の真宗 哲学者と仏教関係は-富来郷土史研究会 北陸中日新聞 二〇一六年(平成二十八年)九月二十八日(水)
 『妙好人 千代尼』の戸坂順
②「能登の海と五来重先生」二〇〇八年九月 五来重著作集 月報6 法藏館
③「慈愛」『宗教民俗研究』第四号 一九九四年 日本宗教民俗学
④「山から海へ・・・-現代の験者-」『北國文華』第十一号、二〇〇二・平成十四年 北國新聞社
⑤『異端の放浪者 円空・木喰展』  昭和四十七年十月六日~十八日 大坂そごう 朝日新聞社
参考⑥五来重真宗『歎異鈔』
参考⑦「高野山における親鸞聖人像」親鸞聖人七百回忌御遠忌記念出版  編者 大谷大学 一九六一年三月 真宗大谷派宗務所刊 
 2エッセー
①「共同体におけるお年寄り」『老熟の力-豊かな〈老い〉を求めて』二〇〇〇年(平成十二年)十二月十五日日本民俗学会監修 早稲田大学出版部刊
②「能登民俗学調査四十年 半島に刻む 戦後七十年の記憶十六 庶民の胸中胸に」北陸中日新聞 二〇一五年(平成二十七年)八月二十一日(金)
③「磯部に消えたか「福子伝承」」宝子との視点を見失う 北國新聞・文化欄 一九八四・昭和五十九年一月二十四日(火)
④「ユートピアに生きる鬼」 能登は浄土と通じ合う地 北國新聞 平成十年(一九九八)二月一日(日) 
⑤供出をまぬがれた「明日ありと・・・」碑(青蓮院旧蔵)
⑥書評『宗教民俗研究』二〇〇〇年第十号光華女子短期大学 真宗文化研究所編『日本史の中の女性と仏教』)
⑦参考「連理の杖」「略暦」(真宗唱導資料)
 参考 既出 盆に向けて-休み日と雨乞い- 『能登のくに-半島の風土と歴史-』二〇〇三年・平成十五年七月七日、北國新聞社
 法話
①「”親の世界”訪ねたい」私の聞法・えっせー 心・信・真 北國新聞  人生 昭和六十・一九八五年七月三日(水)
②「月の光のように仏の大悲が降り注いでいる」 笑顔の扉-僧侶が幸せ指南 『アクタス』二〇一四・平成二十六年四月号 北國新聞社
③「野辺の送り」北國新聞 ~二〇〇二年八月十六日 お盆休みになると…まで同紙夕刊 二〇一二年五月八日 這えば立て…から朝刊(連休・休刊日明け)記事
④「妙好人を生きる-千代尼」『花すみれ』大谷婦人会・月刊誌  二〇一九・令和元年七月号
⑤「月々の言葉 悲しみの深さの中に真の喜びがある」 二〇二〇(令和二)年 真宗教団連合法語カレンダー「月々のことば」林智康
 4作業中・すべきこと・年表
①作業中(豊四郎順拝、歎異鈔・高校教科書・橋本文法、真宗三百六十五日、僧俗の学び(御直命・御教示・領解書、由緒・縁起など)、文学に見る浄土・真宗(『徒然草』『平家物語』など)、妙好人一茶
真宗行事と『日本民俗大辞典』用語

既出
  『蓮如真宗行事-能登の宗教民俗』木耳社
  『蓮如上人と伝承』真宗大谷派金沢別院
  『妙好人千代尼』法藏館臥龍文庫

いただいた書籍ー大桑斉氏著『江戸 真宗門徒の生と死』(方丈堂出版)

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大桑斉氏著『江戸 真宗門徒の生と死』方丈堂出版

 大桑さんからいただいた。

 そんなに本を読んでいるわけではないが、これは名著中の名著と評価されていく本だと思う。
 タイトルからは想像できないが、第一章臼杵の慶念、第二章加賀の任誓、以下薩摩の千代と人吉の伝助、信濃小林一茶尾張豪農稲城、京の商人小杉屋元蔵を六章までに取り上げ、結びが江戸の他者ということと現代なっている。
 あとがきに 信心獲得者と日常生活を営む中で信心を頂くのが受容者であるとされ、獲得者たらんとするのは自己を聖道自力化しているのであって、到達点としての信心をいかに頂くかが問題のはずだと書いておられる。
 そうですよね、と手を叩いた。
 信心歓喜、至心信楽のはずなのに、歓喜、楽の相で語られる真宗学者にほとんど出あえない。肩書きを前面に出し、大桑さんのおっしゃる獲得者振りで語り教えているという慢(心)-どうだい分かったかい顔、いわば喜・樂とは対極に立とうする話や著書の多いこと(そう読んだわけではない)。
 つい先日も、生き、学問をやってきた証を残すために本を出すと書いている周辺著作に出あい、嘆いていたところだったので、期せずして、これを夢見ていたのだとよりクリアーに近づきたい著作が出たことに、拍手(合掌かな)しているのだ。
 こういう先学がおいでになり、出会えた「歓喜」。

 今も、この文を書きながらにっこりしている。

 

 本が届いてわずかの間だが、いいぞ、いいぞと何人かに勧めた。
 すなおに買うという人、確かに大桑さんが言っているように近代教学は江戸教学を通ってきているのだとの感想を漏らした人。なーに、教学って…?

いただいた書籍『加賀前田家と北野天満宮』『奥能登塩田村の歩み』

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長年、奥能登塩田村の代表取締役を務められ、現在相談役の横道嘉弘さんが、18日(水)わざわざお持ちになった。労作・感謝。



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令和元年度秋季特別展『加賀前田家と北野天満宮』石川県歴史博物館。と参考文献ページ

12月11日(火)歴博学芸員お二人が当寺で調査なさった。

その時にいただいた。金沢の天満宮に関して参考にしたのでとのこと。

天神信仰については紹介されているもの以外に、「天神・地蔵と異界ー都市金沢の宗教空間ー」(『都市民俗学へのいざないⅡ情念と宇宙』1989年・雄山閣出版刊)、「金沢の天神信仰」(『北國文華』第八号2001年・北國新聞社刊)があり、『石川県大百科事典』改訂版「天神信仰」(2004年北國新聞社刊)も書いた。

なお一つ目の引用書は、週間ポスト・昭和59年5月4日号の「ポストブックレビュ-」(3ページ書評)で紹介された。

真宗文化論』の「D4権現・神仏判然」に全て載せるつもり。

 

 

 

「臥龍文庫」扁額 雅枝画伯から届くー12月13日-

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臥龍文庫」書斎。この格調、似合う書籍とならべてみた。


書道体系、正続群書類従、日本文学大系、

発掘報告書

民俗学関係

和綴書籍

漢文大系、文学書

といった書籍類を一つの建物に置いていて、

かつては別宅と言っていたのだが

臥龍山の中心飯田城山の麓の建物でもあり、当寺の山号なので、1、2年前からひそかに「臥龍文庫」と呼んできた。

この建物は、後ろの道路(国道)が出来るまで裁判所判事宅だったもので道路にひっかかり解体されるはずだったが、当時はさほど傷みもなく、もったいないので境内に移築し保管した建物である。

時代を語る応接間もあり、歴代の判事さん家族が住んだところだ。

私の小学校時代の同級生の後藤さん、守山さんも住んでいて、転校生としてしばらく机をならべた。

最後にお住まいになったのが根上の正田さんだった。「根上町史」に関わった時、付きあいのあった正田さん宅を訪ねようとは思ったのだが、結局訪ねることもなく今となっては昔話になってしまった。

大坪さんも裁判所に勤めていたことがあり、この建物でしばらく暮らしたことがあった、とおっしゃっていた。

いつからどなたが判事としておいでになったのか、その記録がないので分からないのだが、何人かは間違いなく生活した建物が残っていることに驚かれるはずだ。

 

最近の私の文は、絶えず脱線から始まり、これもそうだけれど、

別宅から「臥龍文庫」へが、ようやく形の上で整う時がやってきたのだ。

この21日で70年の歴史を閉じる桝田紙店さんのスチール棚を譲っていただき、書籍の方も余裕を持って整理出来ることになったし、しまり具合が変だった窓もなおした。

そこに、供笥の絵を書いてもらい、今年掲示板の字をなおしていただいた山口雅枝画伯から、「扁額」が届いたのだ。

素敵な字だ。

城山、春日山阿弥陀山の臥龍山に包まれているようでもあり、若山荘飯田郷の入口でもあるような雰囲気の字。

整理を待っている図書たちに、いつも会いたいと思わせる出入り口が出来た。

 

寒いので「臥龍文庫」は雪解け時期を待って来春から出発するが、

和本を広げ放しにしたまま2年以上も虫干し続きのようなことはしないで、

ちゃんと整理しなさいよ、と、格調高い字が誘っている。

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

となれば、先ずコタツで出来る「真宗文化論」をサッサとやって・・・となる。

こちらは、ほぼ書物や新聞などと対応する目次が出来た。

19ページ分の内容を、近くに紹介する。