いただいた書籍ー大桑斉氏著『江戸 真宗門徒の生と死』(方丈堂出版)

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大桑斉氏著『江戸 真宗門徒の生と死』方丈堂出版

 大桑さんからいただいた。

 そんなに本を読んでいるわけではないが、これは名著中の名著と評価されていく本だと思う。
 タイトルからは想像できないが、第一章臼杵の慶念、第二章加賀の任誓、以下薩摩の千代と人吉の伝助、信濃小林一茶尾張豪農稲城、京の商人小杉屋元蔵を六章までに取り上げ、結びが江戸の他者ということと現代なっている。
 あとがきに 信心獲得者と日常生活を営む中で信心を頂くのが受容者であるとされ、獲得者たらんとするのは自己を聖道自力化しているのであって、到達点としての信心をいかに頂くかが問題のはずだと書いておられる。
 そうですよね、と手を叩いた。
 信心歓喜、至心信楽のはずなのに、歓喜、楽の相で語られる真宗学者にほとんど出あえない。肩書きを前面に出し、大桑さんのおっしゃる獲得者振りで語り教えているという慢(心)-どうだい分かったかい顔、いわば喜・樂とは対極に立とうする話や著書の多いこと(そう読んだわけではない)。
 つい先日も、生き、学問をやってきた証を残すために本を出すと書いている周辺著作に出あい、嘆いていたところだったので、期せずして、これを夢見ていたのだとよりクリアーに近づきたい著作が出たことに、拍手(合掌かな)しているのだ。
 こういう先学がおいでになり、出会えた「歓喜」。

 今も、この文を書きながらにっこりしている。

 

 本が届いてわずかの間だが、いいぞ、いいぞと何人かに勧めた。
 すなおに買うという人、確かに大桑さんが言っているように近代教学は江戸教学を通ってきているのだとの感想を漏らした人。なーに、教学って…?