岡崎-御堂山?御坊山?、岡崎別院-6月4日(火)、5日(水)

三河との関わりは

○近世仏教研究会三河合宿:一九八二年(昭和五七年)八月二十四日~二十六日-宗旨人別帳と寺檀制    幡豆(はず)郡 吉良町
○蓮師土呂調査:一九九五年(平成七年)一〇月二三日。東岡崎13時40分上宮寺、土呂
ボーイスカウト日本ジャンボリー珠洲大会(二〇〇六年八月六日)岡崎幸田,第八団 が当寺で泊

があった。

土呂の蛇骨調査がバタバタと通り過ぎただけだったので、今回の刈谷行きに際して,4日の晩は岡崎で泊まり、じっくり御堂山へ行ってくるつもりだった。

5日、jr岡崎駅前のタクシーに乗り込む。すぐに場所が分かるだろうと思っていたのに、運転手さんがそこを見つけ出すことが出来ず、後続車の邪魔にならないようロータリー内を少し移動して場所を探すのだが、焦っておられるためかカーナビ操作を何度もやり直していると、上司のような人があらわれ、御堂山をゴドウヤマと教える。ナビを入れ-今から思うと御坊山が近くにあり、そこへ行ってしまったようだ。それも迷いに迷ってだ。中学生が歩いていると「聞こう」というし,昔の印象であの山がそうではないかと思える岡があったので向かって貰おうとすると、カーナビ-はこちらを指しているといって取り合わず、狭い道で迷うというあんばいで、ついたところが神社。写真はそこの写真。犬の散歩している人に聞いても「蛇骨・御堂山教会」はわからず、探している間にメーターはどんどん上がるし、結局辿りつけなかった。

6日晩遅く家へ帰ったのだが、そこで調べると、あの山ではないかと言ったところが、御堂山教会のある場所だった。

こんなのあり?

どうして大蛇済度が知られていないのだろうと、タクシーに乗って3ヶ月目という運転手さんと愚痴を言いながら、岡崎別院まで乗車した。それがまたトオーーオ-ィ。

それで岡崎って人口どのくらいなの?と聞くと(誰に聞いたか忘れた)30万ほどだそうだ。いくつかの目的地に歩いてつける広さの市ではないことを知って,岡崎を後にした。

 岡崎別院はよかった。

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岡崎別院


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土呂城跡碑。左に「御堂山が本丸の跡で、これより北二丁(約二二〇)メートルの御坊山が二の丸の跡と伝えられている(栗田古文書より)とある。


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1995年10月23日撮影の大蛇済度の「蛇骨」

 

真宗公開講座(刈谷市金勝寺さん)-6月5日(水)

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開式前。この後も続々と入堂なさる方が続かれた。


 

今も(8日)
講座の時のメモを取っておいでたかたのお姿などが濃くなったり薄くなったりしながらずーっと浮かんでいる。

鈴木大拙ってご存じですか?一番前においでた女性が,石川の人ですね、とお応えになったり、

翌六日に祥月命日をお迎えになる方・・・清沢満之井上円了佐藤春夫の名を挙げるとあちこちでメモをお取りになる。そのメモ取りが,聞く時は聞き、ちょっとした間のメモ取りであって、ずーーと極めて「知的な雰囲気」が続く、法座の場だった。

話している私の方が深い学びをいただき、「法縁」があらためて確かな呼び声となっているような時を過ごさせていただいた。 

 

昨日(7日)司会をなさっていた総代の方(だろう)から、お手紙が届いた

その中に,『妙好人千代尼』の183頁

「千代は、俳諧はものを憐れむのを基本とするものです。(中略)

ものを憐れみ、さまざまな「いのち」と共感し合う千代のこころ根・・・・」

を引用なさっておられ、それが次の深まり、さらに勉学に励まなければの思いにさせていく。

 

話す内容を準備しメモ書きにした時

三河真宗の土徳世界だったことが次々に見えていた。しかも深い。

刈谷は東経135度。

名舟と同じ。経はまことの教えが五濁悪世であろうとチャンと貫く普遍の教えだから「お経」と、経という文字が使われている。太平洋側日本海側の違いはあっても、地球軸の傾きはあっても、ほぼ同じ時に日の出を迎えているー同志が今、刈谷で触れあっているというところから話させていただいた。

 

講義用に作ったメモ書きー三河妙好人

参州(三河)七三郎、三州(三河)利右衛門、三州その(三河のお園)

深励を尋ねて往き易くして人無し。そのまま。

某妻女後生嫌いでこの世好き。私(その)も、そのわたしを如来様が一番駆けに・・・。

見るもの聞くものが仏法。橋は流れても月影は流れまい(開悟院)。

不用意に出る一言一句が梵鐘のように美しい

三河真宗』一九八八年・昭和六三年ー「三河の土徳」 

三州梅吉(列伝になし)
『信者めぐり』三田(さんた)老人(源七)丹波
和兵衛(野田村ーお園は知れず、苦しい時に篤信家と聞いた)・・・臨終間際の利兵衛同行に思い切って「暗いか明るいか」訪ねた。このほうで見にゃならぬようなことなら、無になるお方があるでのう。

息も絶え絶えながら唱えているお念仏に、仏恩報謝の念仏かを問う。ー(和兵衛)往生は仏仕事と聞かせて貰う上からは機の上のことは聞かぬでもよいわいの!

吉蔵、おみせ、おその(既出)。三河 松林寺老師  三河普元寺老師

刈谷市金勝寺さんで、珠洲焼に会う

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刈谷市金勝寺さん座敷。珠洲焼・清水武徳氏作

6月5日(水)、刈谷金勝寺さん公開講座におじゃました。

刈谷と私の住むエリアとの関係を導入に使うため、次のメモ書きをしておいた。

文化人類学の元になる柳田国男氏の『海上の道』が
柳田国男 明治三一年夏学生 渥美半島伊良湖岬(いらごみさき)  一ヶ月椰子の実三回。伊勢・渥美・知多 常世の波 黒潮日本海流)」から始まった。そして「常滑」焼きの地である。

一方日本海側は、折口信夫の『古代研究』がタブ(万葉のツママ)との出会いによって始まっている。
折口信夫  昭和二年六月 三八才 気多でははが国を想う。昭和四年四二才『古代研究』漂着神を祀ったたぶの杜、岬のたぶ「磯の上の都万麻を見れば…」  対馬海流青潮リマン海流  」そして珠洲古陶である。

中世古陶の流通範囲から見れば太平洋側の列島東半分が「常滑」であり,日本海側の東半分を「珠洲」が占めた。

その意味からは日本二大古窯と言える。

東経上からは
東経一三七度 伊良湖 刈谷   佐味 向田 鹿波 名舟  。

一三七度一五分 赤羽根(渥美)  蒲郡 富山 飯田

となっている、昔日本列島ここが真ん中というラジオ番組があったが、そのラインなのだ。

その常滑の中心地のお寺に珠洲があるので驚いたのだが、作者の清水さんは刈谷の人だそうだ。

 

交流の極地のような作品に、おもいがけず出会わせていただいた。

 

岡崎 土呂、 同行・妙好人

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蓮如上人と伝承』使用写真。1995年(平成7年)10月23日撮影-土呂御堂山


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蓮如上人52歳像、土呂。同日撮影


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『おやまブックレット1 蓮如上人と伝承』西山郷史、1998年12月25日、2001年4月1日2刷、真宗大谷派金沢別院発行、現在絶版


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『信者めぐり』編輯近江国野洲郡小津村字大林・宇野最勝、越中国婦負郡山田村字今山田・竹田順道、大正11年、平成18年9月1日16版、大八木興文堂発行


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三河真宗』昭和63年4月真宗大谷派岡崎別院発行

4日に岡崎に向かうが、『蓮如上人と伝承』(1998年12月25日初版発行)の「8 動物と龍女」のところで「大蛇が女人となって救済される話は、出口光善寺のほかにも、三河土呂旧跡(岡崎市福岡町)などに伝えられており・・・」と書いており、土呂旧跡の「蛇骨」の写真を載せている。

この冊子の元となる「おやま御坊」連載の取材のために岡崎を訪れ、この蛇骨のある「御堂山」や「上宮寺」を訪ねた記憶がある。

ノートを見ると1995年(平成7年)10月23日に逗子から東岡崎で降りて調査し、その日のうちに金沢まで行っている。上宮寺・蛇骨の記憶があり本宗寺さんの「蓮師・如光連座像」写真もあることを思うと、急いだ通り過ぎ調査で、どこへ行ってきたのか周りの風景が消えているのだ。それから24年、今度は泊まりがけでその地に向かうことになる。

 

それとは別に『三河真宗』(昭和63年、真宗大谷派三河別院刊)を見ると、「土徳をおもう」というエッセーもあって、そのころすでに三河でも「土徳」を用いている。

 

仏教が生活になっているのは真宗門徒

仏教を生きた教えとして生活の中に活かし続けてきたためで、そういう人が育たなかったら、かつての仏教国に見られるように哲学か思想、学問の対象としてしか存在しなかっただろう(鈴木大拙師の中国で禅、日本で真宗が仏教を守ったとの説による)。

その仏教に生きた人々の手本を、同行とか妙好人という。

土徳の岡崎にも知られた妙好人がいるはずだ、と調べて見ると

妙好人伝に載る人々には、参州七三郎(「七三郎生涯記」あり)、三州利右衛門、三州その(おその)、三州梅吉がおいでる。三河のお園は著名で『妙好人千代尼』にも3個所にその名をあげた(が、このところ三河より「岡崎教区」で考えていたため結びつかなかった)。

また、播州の三田老人が訪ねた『信者めぐり』には、

三州和兵衛、義蔵、おみせ、おそのの同行、ほかに三河松林寺老師、普元寺老師が載っている。

『信者巡り』は、三田老人が播州の人ということもあり、多くの妙好人を輩出した山陽・山陰の同行を訪ねたのだろうと思い込んでいたので、東の方の同行(妙好人)を訪ねてと書いていて、三河の人々を訪ねていたことを知って驚いている。

この方々とは、帰ってから岡崎・刈谷の光景を思い出しながらじっくり対話しようと思う。

 

2019年6月の法話・講義予定

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2014年

 


6月の法話・講義予定(参加自由分)

◇5日(水)

刈谷市・金勝寺(こんしょうじ)さんー公開講座

13時半開会 刈谷市高津波町5-67

☎0566-21-3857

 

◇9日(日)~11日(火)

深見・養福寺さん-祠堂経法話

13時半~ 輪島市門前町深見12-54

☎0768-43-1125

 

20日(木)

高岡教区第3組第2小会『同朋のつどい』

会所:城端別院善徳寺さん本堂

午後2時~4時頃

 

◇27日(木)能登教区第十組同朋会推進員会定例講義

内容:正信偈・和讃

会所:飯田西勝寺

午後13時半~

 

あと定例の4組合同坊守会(17日・月,能登教務所),8組坊守会(24日・月)が予定されている。

 

20日は,講義後南砺市を中心とする石仏研究会、民俗、民藝、真宗史研究者の方々と交流会を持つ予定。

5日には1週間切ったので、懐かしい人々と連絡を取り、前日は岡崎、5日は清水に泊まることにした。

 

真宗民俗・習俗研究の先駆者

刈谷は知多、渥美に近い。

伊良湖岬で椰子の実に出会った柳田国男

能登羽咋でタブを見てまれびとを思った折口信夫

民俗学の方法論では、歩いていると語りかけてくる立場にたった帰納の柳田だが、内容では柳田は真宗民俗を避けた。

真宗を歩いたのは宮本常一網野善彦に影響を与えた中沢厚、あるいは平山敏治郎赤松啓介などだろう。

柳田、折口に学んだ五来重は、柳田国男を尊敬しつつも大谷大学で宗教民俗学を樹立した。その方法は修験者と共に行場にあったことで明らかだろう。

宮本、五来、網野は同系統であり、宮本の流れである常民研究所に行った宮田登、福田アジオにも同じ匂いを感じる。

 

少しでも真宗と民俗・習俗を考えるなら、いつまでも柳田を言っていてはいけないのだ。

 

刈谷は、その原点の一つとでもいうべき寺檀制を問う研修合宿(昭和57年)があった吉良にも近い。近世仏教研究者の合宿以前に、野口武徳や福田アジオらは社会・家族論の視点から寺檀制を問うており、合宿では野口、福田論文が基本レジメになっていた。

 寺檀制確立によって近世家族が成立したことを問うていたのに、その二つの学問は交わることなく、それから37年。

 家族は形を変え(=核家族)、さらに孤・独がエリアにあるだけの社会になろうとしている。人は集団動物である。家族を基盤として、講組織、五人組などさまざまな共同体が組織され、孤・独を生み出さないしくみと,法座という和かな空間が育てられていた歩みがあった。

 

 そのようなことを思い出させ、考えさせてくれるであろう、岡崎の地へ、おかげさまで-数日したら向かう。

そして

二大古陶-常滑珠洲-

 

柳田国男(1875~1962)明治31年夏、大学生。渥美半島伊良岬に一ヶ月 椰子の実が流れ着いているに3度出会う。『海上の道』へ。

折口信夫(1887~1953)昭和2年6月 38歳 気多でははが国を想う.昭和4年42歳『古代研究』漂着神を祀ったタブの杜。

「磯の上の都万麻を見れば・・・」 

『真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』―『蓮如と真宗行事』以降 のまとめ

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握り葉の蓮のいわれや御紐解(加賀おなむ,7歳)が聞見される


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明日から蕗刈り。11月8日の報恩講・御講(寺御講)料理に用いる。一斉に緑が広がり伸びるこの時期、「安居」を思う。


 5月23日に書いた『真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』(仮)の項目

A5版・一頁11ポイント・44字×18行として大まかに整理した。

自分の執筆以外で、今となっては目につきにくい基本報告などは〈参考〉にし、ほかを大きく3分類としどの程度のページになるのか出して見た。

 数百ページだと思っていたのに、Ⅰ章(仮)から500ページを越えた。それで、4分類にし少し絞って見たが、内訳は以下の通り、1946ページにもなった。

300~500ページにするのは、各章から代表的なものを選んであとは、どこにその文があるか出典をはっきりさせておけば資料化できるし、パンフのように探しようがないものは本文に残せばいいとかやりようがあるが、ここまで統一データーにできるようにしたのをパソコン内だけに取り込んでおくのはもったいない。せめて2,3部プリントアウトしておきたいが2000ページ近くをひとまとめにはできないし、かといって何分冊にもすれば探すのが大変になるだろうから、2分冊までだ。

A5をB5にして・・・と、今日も1日、坐ったままの時が流れていきそう・・・。

 

つづき・・・

(上の写真は、いきそう・・・と書いていたら、明日の蕗刈り後に用いる「重し」運び作業があたった、・・・そのついでに撮った写真)

A4袋とじはA5に出来るが、B5袋とじはB4―B4はプリンターが対応できない。 11ポイントを10.5にするか・・・この作業も大変。

何分冊かに分けるしかなさそう・・・

 

真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』(資料)『蓮如真宗行事』(1990年)以降       1946ページ

Ⅰ 概論・風土・行事・報恩講・用語・儒教・年表      (51+237+169+65=573ページ)

1 目次・概論              〈51ページ〉
○目次・項目案6P
※教化習俗論・項目・目次(案)11P
1真宗データ年代別執筆原稿12P
2その後の執筆2p
3後書きは2と同じ。ブログ真宗習俗論に向けて5P
4行事・太子・論文候補3P
5寺檀制『門前町史』慶安二年4p          
(参考1)項目案
(参考2)真宗門徒の生活レジメ14P、010922
(参考3)信仰執筆ジャンル別文献8P020125(金)埋文
2 風土・土徳、年中行事             〈237ページ〉
1、「節談説教の背景」『日本の歴史と芸能』H319910610、28P(本文24P)
2、「節談説教」参考「対談―芸能の風土・芸能民の歴史」平成3年1991、11P
3(参考)一向宗が重宝「御夜話集」1P
4、「オザ」と真宗門徒『人づくり風土記・石川』平成3年199110520、12P
5、「日本海における半島の宗教民俗」男鹿・能登『東北の海の民俗』昭和61年・19860724、20P
6、「農民の暮らしと信仰」『石川歴史館』4p
7御国政に付き申し上げ候帳冊2p
8御国政との出会い・O氏2p
9舞台丨土徳、塾、記事20180625、2p
10風土3点「まれびとの国」能登立国1300年2018年北國3P
11「加越能一如」の心を2018年2月23日富山新聞5P
12「薬師の里」十二願、七作仏、能登19号3P
13根上・民間信仰・観音4p
14志賀五輪板碑70基2005(平成17)北國2p
15行事・項目(案)5P
16小林家年中行事『尋源』38号24P
17中島・門前の仏教・真宗(概観・町史)15P
18O氏へ、小林、橋本年中行事・御国政・村松家由来3P
19年中行事『中島町史』30P
20仏事概論『中島町史』通史6P※鹿島は「講」に
21年中行事~盆『能登島町史』7P
22加賀門徒地区の年中行事・根上本文13P
23(参考)年中行事と真宗国、加民・長岡博男氏2p
24(参考)門前町諸岡の正月行事、加民・佃和雄氏2p
25正月御座・月忌(とき)始め能登島・鹿島2p
26「蓮如忌」『日本民俗大辞典』1P
27彼岸3月9月鹿島・根上1P
28花祭り中島町史』2p
29青二十日西谷内・サノボリ『中島町史』3P
30祠堂経・別経、門前3P
31盆・雨乞い9P
32「報恩講・お取越・御講凪」『日本民俗大辞典』おしっちゃ・引上会3P
33報恩講(引上会)門前、中島、能登島、根上7P
34すす払い3P                               
(参考)能登立国、20180514石動山1P
(参考)改悔文、千代尼句、刷り物
3用語論(他力本願・あう)儒教・教義          〈169ページ〉
1真宗門徒の日々『宗教民俗研究』第17号2007年、辞典8語33P
2他力本願記事・地鳴り『広辞苑』9P
3門徒言葉・民俗語で真宗は語れるか.レジメ2p
4「中瀬序文」『百姓覚えた者はない』平成17・2005、2p
5-1柳田にもあった走り移民・中瀬精一氏4p
5百姓覚えた者はない・項目4p
6※前出?『年中行事、日本民俗用語』残すべきもの12P
7『日本民俗大辞典』項目13P
8『日本民俗大辞典』項目・執筆者13P
9儒者関係全てブログ物忌み論(仏忌、太宰、御文)24P
10儒者教行信証』と論語7P
11儒者各論・季路問、事鬼神4p
12儒者・?蛄春秋を知らず・荘子4p
13聖学問答・太宰春台2p
14物忌み論(悲嘆述懐、仏忌御文、太宰・門徒)7P
15(参考)門徒ものしらず論・森・太宰春台23P
16「あう」「値う」「遇う」について2p
17こんごう『日本民俗大辞典』1P
18末法論・穆王3P
(参考)春すすめ、加民・山下久男氏1P
(参考)門徒衆・用語・木遣り、加民・松原一秀氏4p
4年表・歴史・一揆        〈65ページ〉
1一向一揆真継伸彦氏ブログ8P
2決定版、近世年表―お斎、千代・一茶30P
3西勝寺と同時代記年表15P
4(参考)年表千代女5P
5(参考)年表一茶以降7P

Ⅱ  蓮如 講 御消息・御崇敬・説教・和歌・民謡・同行    (266+215=481ページ)

1 蓮如・蓮能尼・白比丘尼一揆期        〈266ページ〉
1「現代に生きる蓮如蓮如と北陸―」『蓮如のすべて』1995年19P
1-3「蓮如習俗論」『講座蓮如』第2巻41P
1-2「北陸の蓮如忌」教行社平成5年(1993)13P
2「蓮如上人と伝承」略年表3P
3「蓮如太鼓」12月常田富士男氏2p
4『蓮如真宗行事』はじめに、研究史14P
5「一刎蓮如道」能登24号2p
6蓮如上人伝・論『蓮如さん』北陸の宗教民俗19881025、13P
7(参考)お文御書・表
8百姓の持ちたるような国・門徒の持ちたる国ブ7P
9蓮崇本・いきさつ郡誌7P
10(参考)蓮崇本・ヘンジャ御書取り決め3P
10蓮崇本・ヘンジャ御書「珠洲の風物詩」能登2p
11蓮如上人全て・高山別院蓮如忌09年3月29P
12嫁おどしの面『蓮如さん』2p
13(参考)嫁おどし肉附き面・藤島秀隆氏1996年平成8年5月12日3P
14蓮如忌レジメ・嫁脅し面など全13P
15極楽へ我行くなりときくならば『わが家の仏教浄土真宗』四季社200406、2p
16※なし
17五帖御文に見る男女9P
18御文「誓玄本」の行方、含光教寺順誓9P
19真野書評『蓮如真宗行事』北國新聞2p
20雪の果ての蓮如さん(上)北國対談昭和56年4p
21伝承の中の巨人・北國平成10年2月12日(木)3P
22金沢ケーブル放送・連続蓮如・案項目18P
23蓮光寺小仏・釶内2p
24-1蓮如35歳「白比丘尼」「能登」7号『能登のくに』6P
24-2蓮如35歳「海ゆくツバキ」「能登」27号2p
24-3蓮如35歳「白比丘尼輪島市常田富士男氏2月4p
25蓮如真宗行事、後書き2つ4p
26蓮如忌―門前・中島・根上4p
27蓮如さん現代講・北國新聞平成10年4月9日(木)3P
28道西・町野総道場、木地師の里・永光寺年代記5P
29蓮如が歩いた北陸の地・北國新聞、平成8・19960317、3P
30正光寺室町時代の位牌・蓮能尼19881226北國記事1P
31蓮能尼の手紙、大桑氏へ20170910、12P
(参考)蓮如上人御遺言6P
(参考)百姓は農民か?(網野善彦氏)7P
書評『蓮如北國新聞2004
2 御消息・講・御崇敬・漆           〈215ページ〉
1講、鹿島『鹿島町史』20P
2講、中島『中島町史』6P
3「講と民間信仰」『新修根上町史』通史編平成7年3月31日23P
4講・門前、中島、能登島、根上、小松教務所26P
5法義相続の諸相―講レジメ2p
6(資料)御消息、真宗近世資料制作年12P
7「御消息とその時代」『御消息について』12P
8御消息について『新修門前町史』2p
9根上町の御消息10P
10御消息一覧表・根上8P
11御消息~日講以外一覧4p
11御消息一覧表2p
11(資料)御消息一覧表1P
12「御消息」地域宗門史を整理19901202北國新聞2p
13(資料)御消息表・御消息データー
14(資料)御消息発給日一覧
15「御消息」と近世の教化※表は別32P
15(資料)表「御消息」と近世の教化
16珠洲歓喜光院御影について2006作4p
17御崇敬、年表歓喜光院~、3山資料11P
18御崇敬『中島町史』『能登島町史』9P
19御崇敬『日本民俗大辞典』1P
20御示談最終回を迎えて3P
21御崇敬・不時御崇敬勤修状況・和田勝氏調べ20P
22御崇敬北國「能登の御崇敬」19831123富来中山、砺波和年氏5P
(参考)ままお講の復活、内灘加民・中山又次郎氏
(参考)鳥屋町の講・加民・小倉学氏10P
(参考)田の島のお講、加民・小倉学氏3P
(参考)講の調査、加民・林昇氏5P
(資料)乗如上人以降年表歓喜光院~11P

 

Ⅲ 説教・和歌・民謡・同行 周辺                             (217+212=439ページ)

1 談義・説教・節談       〈217ページ〉
1※a2の風土で使用―節談『踊る人々』1991年23P
2「節談説教」(『石川県の民俗芸能』)9P
3節談例・広陵師含・民俗芸能例3P
4表・年表・説教2003年1月(高岡7組レジメ)3P
5舞台北國「民話の力」020204、2p
6(参考)安津見の伝説、怪力しろく話・加民・今村充夫氏5P
7-1引砂のさんにょもん『伝説とロマンの里』2p
7-2引砂の三右衛門話・北國連載民話2p
8-1猿鬼「能登」17号2p
8-2猿鬼2002北國連載民話、4P
9-1千ノ浦又次・北國連載民話3P
9-2千ノ浦又次、常田富士男氏3P
10-1千石の豆の木「能登」22号2p
10-2千石の豆の木解説4p
11長太「済度される鬼神―続き因縁話の世界」(『説話論集』第16集)42P
12(資料)長太狢記序并ニ長太異形の事13P
13-1 長太『能登志賀町の昔話伝説集』4p
13-2長太『能登のくに』6P
13-3長太北國新聞連載民話2002年11月11日、3P
14石山合戦など、塩谷菊美氏とのやりとり5P
15「民間信仰と和歌」『加能民俗研究』7号19810330、15P
16和歌の流れ論・観経~連歌・~蓮如、42P
17「聖人追慕和歌」ファイルから。冷泉等覚など人物4p
17「聖人追慕50首」翻刻大谷俊太氏6P
18経緯550回忌追慕和歌[ブログ]2p
19貴族らも和歌で追慕親鸞聖人550回忌新史料を発掘「北國」文華欄20131219、3P
20-1聖人追慕和歌・北國2p
20-2聖人追慕和歌・朝日新聞2p
20-3親鸞 五百五十回忌の和歌「北陸中日新聞」2p
20-4五百五十回忌頃の出来事1P
(参考)論文、和歌一遍が作り、親鸞は作らなかったか
(参考)白山の垂迹
2 民謡(目連、いろは歌、数え唄)、和歌、相撲   〈212ページ〉
1目連二話・来歴・くどき・おんない『庶民生活資料集成』26P
2目連、高梨一美氏『東アジアの祭祀伝承と女性救済―目連救母と芸能の諸相―』7P
3高梨一美氏『沖縄のかみんちゅたち 女性祭祀の世界』などやりとり8P
4目蓮尊者「じょうかべ」5P
5東蟹谷ちょんがれ節・おやべ4p
6法話資料・目連『真宗聖典』4p
7「越中の民俗信仰」伊藤曙覧氏・書誌紹介2p
8「消えゆく能登の法事歌」昭和56年1021、5P
9『信後相続歓喜嘆』抄22P
10「口頭伝承」民謡とわらべ唄(部分)『能都町史』昭和55・1980、14P
11『七尾の民謡と子守歌』10P
12盆踊り・盆、相撲『鹿島町史』6P
13『金沢民謡わらべ唄』・福井民謡23P
14『石川県の民謡』昭和42年5月10日北陸放送版15P
15「まだら」『能登のくに』5P
16やれやれ参考だいつのオカッツアマ・加民・長岡博男氏1P
17(参考)なむぶつ・ほたるこい加民・長岡博男氏3P
18『おやべのうたごえ』昭和53年3P
19(資料)井波御坊大持曳歌信心盡20P
20数え歌・安心数え歌尾口村2p
21表道場「信心数え唄」2p
22信心数え歌・広陵兼純氏2p
23数え唄・いろは歌論2p
24信心数え唄・松岡なみ桑名池田勇諦氏3P
25「能登の暮らしに息づく相撲」「北國文華」15P
26相撲『鹿島町史』3P
3 巡拝、同行・妙好人           〈74ページ〉
1順拝「江戸の道・巡拝の道」『能登のくに』6P
2真宗旧跡御御順拝・論14P
3豊四郎その他巡拝帳23P
4句を通して妙好人に・小栗純子氏批判2p
5千代尼と領解文・中野白暮、ひとことなど20190323、19P
6用語論・妙好人ブログ4p
7大拙・信心の里、2006年平成18年6月3日北國2p
8二十四輩聖人の歌。枕石寺縁起4p

Ⅳ、本尊、哲学、権現・判然・祭、太子、盆、葬、料理・斎、共同体、法話、今後                                          (31+188+35+79+80+41=453)
1 本尊、哲学、講師、五来師    〈31ページ〉
1初期のお内仏・門徒託8P
2真宗法宝物・門徒本尊3P
3五来重氏の真宗、善人・悪人論16P
4五来先生の思い出2108,3P
5戸坂潤氏と仏教・北陸中日,1P
(参考)高野山における親鸞聖人像

2 権現、神仏判然・祭り     〈188ページ〉
1移り行く行事の日1998平成10年3月30日1P
2真宗と観音「根上町史」2p
3権現メール御国政・村松、小林家、末世、キリコ・山車、石動、蓮能尼20170910安居後7P
4権現O氏とのやりとり・北國・中日執筆24P
5真宗と権現・神祇―問メモ3P
6真宗と神祇―白山と真宗2p
7石動権現・藤原家通
8「この人に聞く―祭り―」朝日新聞6P
9「祭りの国」深い背景2016年(平成28年)3月5日中日2p
10「七夕ギリコ・盆ギリコ」『奥能登のキリコまつり』10P
11タタキド祭り・共同体行事が問いかけるもの2013、2p
12祭り論―金沢、能登、キリコ『おもしろ金沢学』16P
13O氏秋安居後丨七夕ギリコ・山車・石動山6P
14「金沢の天神信仰」『北國文華』14P
15「天神・地蔵と異界―都市金沢の宗教空間―」『情念と宇宙』21P

16前書き「能登国三十三観音巡礼札所について」『能登国三十三観音のたび』6P

17書評「能登国三十三観音のたび」『宗教民俗研究』第16号2006年(平成16年)4p
18真宗が関わる能登国三十三観音「椿森」「鹿渡島」「万行」「江曽」15P
19真宗が関わる能登国三十三観音「小田中」「柳田」「高田」「谷内」20P
20能登文献・論文能登国三十三観音巡礼札所2p
21「真宗の―」絵馬論やりとり16P
22「蛸島早船狂言」口上、由来書8P
23※長太ムジナにも「はいや音頭」
24仏を拝む神職2家P1
(参考)権現本地
(参考)女人参詣・御文来意鈔一帖7通
(参考)『カミとホトケの幕末維新』参考天神金沢二十五天神表
(参考)大坂観音1P
(参考)天神金沢二十五天神表
(参考)能登国三十三観音「若部住吉」
(参考)能登国三十三観音石動山
(参考)「真宗の文芸世界と絵馬文化」戸澗幹夫氏

3 太子・太子講  〈35ページ〉
1太子縁起、和讃などの引用3P
2真宗と太子信仰・井波レジメ1996042118、18P
3春のタイシと暮れのダイシ6P
4「慈悲の象徴・聖徳太子」ロータリー2p
5太子講『能登島町史』1P
6太子所蔵・津幡・金沢地区3P
7本念寺 太子縁起2p
(参考)さまざまの真宗法然、女人、コンゴウ・蓮如35歳、御消息年表など
(参考)考太子資料10ヶ寺能登地区・歴博
(参考)歴博48太子縁起22P

4 葬制・盆・年忌           〈79ページ〉
1「水と信仰」『いしかわ』11P
2四門「奥能登に見る真宗以前」昭和56年5月21日5P
3「鹿島・盆」踊りは別『鹿島町史』5P
4盆・ぼん踊り、門前、鹿島、根上『能登のくに』8P
5こんごう能登島など4p
6「葬儀・法要・墓制」『門前町史』24P
6-2「葬制」中島6行追加1P
6-3「葬制」能登島昭和58年21P
(参考)こんごう武生地方のコンゴウ、加民・斎藤槻堂氏
(参考)対談七夕・盆・加民5P

5  精進料理・斎(六斎)      〈80ページ〉
1「斎(とき)」『日本民俗大辞典』1P
2「真宗と精進・お斎料理・行事」一切経~レジメ23P
3「真宗と精進・お斎料理・行事」康永~レジメ9P
4「真宗における精進料理」若坊守レジメ3点、36P
5「輪島塗の彩」「自然人」1993、9P
6「輪島塗」江戸期から論・全国ブランド平成2、19820126北國2p
(参考)「とき・斎」『真宗大辞典』
(参考)「實悟記」斎・精進
(参考)ほんこさんとお斎レジメ食平等8P
(参考)親鸞と小豆がゆ、加民・伊藤曙覧4p
(参考)進士流1P
(参考)当屋・もっそう、加民・小倉学氏1P
(参考)律令・六斎日『日本思想体系』

6  共同体、老人、女人  周辺・エッセー、今後  〈41ページ〉
1「共同体におけるお年寄り」『老熟の力』17P
2新聞「半島に刻む戦後70年の記憶」2015年(平成27)中日2p
3「磯部に消えたか福子伝承」北國新聞・昭和59年(1984)1月24日2p
4「ユートピアに生きる鬼」新聞1998年0201、3P
5竜女・女人の参拝・雨乞い『能登のくに』の真宗化4p
6壁谷一郎家 明日ありと・・・碑7P
7私の聞法昭和60年(1985)7月3日・北國4p
8「笑顔の扉」2061月、今現在説法4p
9野辺の送り7p
10蓮能尼の手紙・誓玄本2p
11真宗年中行事と聴聞・聞法・12組門徒会13P
家とは最後の場所分析、展望
(参考)大小の月、民衆教化
(参考)5に使用Oさん20170910、8P
(参考)思い出の手紙―網野善彦
(参考)書評『日本史の中の女性と宗教』
(参考)半檀家制文献・野口武徳氏
(参考)法然聖人行状絵図卅四部分

 

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

第10組同朋会推進員協議会講義2019年度第5回。5月27日(月)

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暑めの日だったが30数名の参加があった。

今回はなぜ5月の講義が第5回なのか―7月に年度初めを迎える明治期の制度。

声明の基本、

そして、十二光仏、聞見など。

加賀の任誓

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『大地の仏者』昭和58年1月31日、能登印刷KK出版部刊、序が真継さんだ・・・。


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目次2-1


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目次2-2


フェイスブック(FB)にメッセンジャーというのがあって、そこで質問をいただき調べることが、すごく勉強になる。

忘れていたことも、思い出せる。

任誓ーおそらく鳥越でーを見てこられた方がおいでになる。

任誓の名を見た途端、

私は『大地の仏者』を読んでいただきたいと思った。

この仏者たちは昭和55年頃から「コミュニティジャーナルいしかわ」という雑誌に連載されたもので、任誓を大桑斉さんが書いている。

毎号、わくわくしながら読んだものだった。

 

現在南砺市錚々たる真宗の学者さんたちが研究しておいでるのは、頓成師のはず。

 

午前中は、ちょっとした打合せが「珠洲古陶と末法」の勉強会になった。

 

『真宗教化と民衆ー習俗・民俗・文化ー』(仮)―分類、項目

1990年(平成)8月10日、『蓮如真宗行事』(木耳社オリエントブックス1700円)その後、蓮如上人500回忌を迎えるにあたり

1998年『蓮如真宗行事 能登の宗教民俗』として再刊。前書き・後書きを変えたが、内容は変わらない。元原稿は「日本民俗学」「加能民俗研究」「北陸の民俗」や単行本に発表したもの、書き下ろしもあって、多くの学術書が一般的に取っている形での出版だった。

その1990年から29年、その間にもいろいろ書いている。

 

出版の方は、講義・別院機関紙連載をまとめた『蓮如上人と伝承』を金沢東別院から1998年12月25日に出版、2001年4月1日2刷、現在は絶版となっている。

昨年は法藏館さんから『妙好人千代尼』を出させていただいた。これは加賀の千代女が妙好人と言われているのに、妙好人としての千代尼をとらえた書籍が皆無といっていいほどなかったのと、真宗・時代・信心の句をどういただいていけばいいかをたずねながら書かせていただいたもので、書き下ろしである。

昨年の1月20日発行2月20日2刷ということなのだが、ここへきて、ようやく毎日膨大な本が出版されている仕組みというか大変さに―ある程度なのだろうけど気づき出している。

 それはそうとして、ある年代まで一日一枚をモットーに書いていたので膨大な量になっている29年分を整理しておかないと、わけが分からないままになってしまう。

それで、いくつかのグループに分け、つまつまと整理してきたのが以下である。

今、Aグループの1、2まで通しNoを振った。A5版、一頁44字、18行として、全体を統一していこうと思っている。

 

Aグループは概論・目次・風土・土徳・年中行事・報恩講・用語論・儒教・年表報恩講・御書で約80編

Bグループは蓮如 講 御消息・御崇敬・説教・和歌・民謡・同行 周辺で、約140編

Cグループは本尊、哲学、共同体、太子、葬制、盆行事、祭り、神仏判然期、料理・斎、法話、今後で、約100編

計約320編を取り込んである。

 

今月中には、重なりなどを整理しながら同形式に揃え、プリントアウトまで持って行きたいと思っている。

 

 

※念のため 『蓮如真宗行事』系を見ると、どうも絶版のようだ

 まとめようと思ったのは、書いた書籍などが手に入れにくいので一冊にまとめて置こうと思ったためで、となると「コンゴウ参り」「小林家年中行事」あたりも加えなくてはならなくなるのかな?

 

A 概論・目次・風土・土徳・年中行事・報恩講・用語論・儒教・年表報恩講・御書

A1 目次・概論
○目次・項目案6P
※教化習俗論・項目・目次(案)13P
1真宗データ年代別執筆原稿12P
2その後の執筆
3後書きは2と同じ。ブログ真宗習俗論に向けて5P
4行事・太子・論文候補3P
5寺檀制『門前町史』慶安二年4p
参考1、2月まで項目案
参考2、真宗門徒の生活レジメ14P、010922
参考3、信仰執筆ジャンル別文献8P020125(金)埋文

A2 風土・土徳、年中行事
1、「節談説教の背景」『日本の歴史と芸能』平凡社H319910610、28P(本文24P)
2、「節談説教」参考「対談―芸能の風土・芸能民の歴史」平成3年1991、11P
3(参考)一向宗が重宝「御夜話集」1P
4、「オザ」と真宗門徒『人づくり風土記・石川』平成3年19911052、12P0
5、「日本海における半島の宗教民俗」男鹿・能登『東北の海の民俗』慶友社昭和61年・19860724、20P
6、「農民の暮らしと信仰」『石川歴史館』4p
7御国政に付き申し上げ候帳冊2p
8御国政との出会い・O氏2p
9舞台―土徳、塾、北國新聞20180625、2p
10風土3点「まれびとの国」能登立国1300年2018年北國記事3P
11「加越能一如」の心を2018年2月23日富山新聞5P
12「薬師の里」十二願、七作仏、能登19号3P
13根上・民間信仰・観音4p
14志賀五輪板碑70基2005(平成17)北國2p
15行事・項目(案)5P
16小林家年中行事『尋源』38号24P
17中島・門前の仏教・真宗(概観・町史)15P
18O氏へ、小林、橋本年中行事・御国政・村松家由来3P
19年中行事『中島町史』30P
20仏事概論『中島町史』通史6P※鹿島は「講」に
21年中行事~盆『能登島町史』7P
22加賀門徒地区の年中行事・根上本文13P
23(参考)年中行事と真宗国、加民長岡2p
24(参考)門前町諸岡の正月行事、加民佃2p
25正月御座・月忌(とき)始め能登島・鹿島2p
26「蓮如忌」『日本民俗大辞典』1P
27彼岸3月9月鹿島・根上1P
28花祭り中島町史』2p
29青二十日西谷内・サノボリ『中島町史』3P
30祠堂経・別経『門前町史3P
31盆・雨乞い9P
32「報恩講・お取越・御講凪」『日本民俗大辞典』おしっちゃ・引上会3P
33報恩講(引上会)門前、中島、能登島、根上7P
34すす払い3P
参考能登立国、20180514石動山1P
参考改悔文、千代尼句、刷り物1P

 

※以下これから

a3用語論(他力本願・遇う・民俗語彙)
a3、真宗門徒の日々
a3、他力本願「いのち」に目覚める言葉北國新聞
a3、他力本願・地鳴り『広辞苑
a3、他力本願・本文メモ
a3、門徒言葉・民俗語で真宗は語れるか
a3、門徒衆・用語、加民
a3『年中行事、日本民俗用語』―残すべきもの
a3『日本民俗大辞典』ア~サ項目
a3『日本民俗大辞典』タ~ワ項目
a3『日本民俗大辞典』項目・執筆者
a3bブログ前半物忌み論(仏忌、太宰、御文)
a3b儒 『教行信証』と儒者、鬼神論以外
a3b儒 季路問、事鬼神
a3b儒 蟪蛄春秋を知らず・信、荘子など
a3b儒 親鸞聖人と論語孟子荘子など
a3b儒 聖学問答・太宰春台
a3b儒 門徒ものしらず・森竜吉・太宰春台
a3b物忌み論(悲嘆述懐、仏忌御文、太宰・門徒
a3「あう」「値う」「遇う」について
a3こんごう『日本民俗大辞典』
a3春すすめ、お寺加民山下
a3走り移民・中瀬
a3「中瀬序文」『百姓覚えた者はない』平成17・2005
a3百姓覚えた者はない
a3末法・穆王

a4年表・歴史・一揆
a4ブログ一向一揆3 真継伸彦
a4決定版・近世年表丨お斎、千代・一茶
a4西勝寺と同時代記年表
a4年表千代女
a4年表一茶以降
a4門徒会推進員  年中行事と年表レジメ

 

蓮如 講 御消息・御崇敬・説教・和歌・民謡・同行 周辺
b1 蓮如・蓮能尼・白比丘尼一揆
b1「現代に生きる蓮如蓮如と北陸―」『蓮如のすべて』1995年
b1「蓮如上人と伝承」略年表
b1「蓮如太鼓」12月常田富士男
b1『蓮如真宗行事』はじめに、研究史
b1△書評『蓮如北國新聞2004
b1◎「一刎蓮如道」能登24号
b1◎「蓮如習俗論」『講座蓮如平凡社第2巻
b1◎「北陸の蓮如忌」教行社平成5年(1993)
b1◎蓮如伝承と論『蓮如さん』北陸の宗教民俗19881025
b1お文御書・表
b1百姓の持ちたるような国、門徒の持ちたる国、ブログ
b1蓮崇本(ヘンジャ御書)いきさつ郡誌
b1ヘンジャ御書「珠洲の風物詩」能登
b1ヘンジャ御書取り決め
b1ヘンジャ風物詩①
b1高山別院蓮如忌09年3月レジメ
b1嫁おどしの面蓮如さん
b1嫁おどし肉附き面 藤島秀隆1996年平成8年
b1嫁脅し面・ブログ下書き
b1極楽へ我行くなりときくならば『わが家の仏教浄土真宗』四季社
b1五帖御文の男女
b1御文「誓玄本」の行方
b1御文丨光教寺願誓小木・大谷
b1斎・蓮如上人御遺言
b1真野書評『蓮如真宗行事』北國
b1雪の果ての蓮如さん(上)昭和56年.北國
b1伝承の中の巨人・平成10年2月12日(木)・北國
b1放送・蓮如連続案FM金沢
b1網野善彦 百姓は農民か?侍能工商
b1蓮光寺小仏・釶内

b1蓮如35歳「海ゆくツバキ」「能登」27号
b1蓮如35歳「白比丘尼」「能登」7号
b1蓮如35歳「白比丘尼輪島市常田富士男2月
b1蓮如真宗行事、後書き2つ
b1蓮如
b1蓮如忌の季節  平成10年4月9日(木)北國
b1蓮如弟子、町野総道場、木地師の里
b1蓮如が歩いた北陸の地。北國、平成8・19960317
b1蓮能尼伝承―畠山正光寺、北國
b1蓮能尼手紙・Oさん20170910安居後


b2御消息・講・御崇敬・漆
講、ままお講の復活、内灘加民
講 『鹿島町史』真宗の講
講、中島仏事・講『中島町史』
講、鳥屋町の講・加民
講、田の島のお講・加民
講『新修根上町史』通史編平成7年3月31日刊講と民間信仰
講の調査・林昇、加民
講 講を中心とした資料全般『根上町史』
講 十五日講分析手紙
講 門前、中島、能登島、根上、小松教務所

○御消息・概論レジメ
御消息、真宗近世資料制作年
御消息「御消息とその時代」『御消息について』本文
御消息『新修門前町史』
御消息 ~日講以外一覧
御消息・根上
御消息・根上資料
御消息20218表
御消息メモ   表抜き
御消息根上「御書一覧」『根上町史』
御消息◎「根上町の御消息」『根上町史』
御消息時代年表
御消息新聞「御消息」調査平成2年12月2日北國新聞
御消息表
御消息表・御消息データー
御消息表・御消息発給日一覧
御消息表・概説御消息論
御消息表・論

御崇敬、珠洲歓喜光院御影について
御崇敬、年表歓喜光院~、3山資料
御崇敬『中島町史』『能登島町史』
御崇敬『日本民俗大辞典』
御崇敬・御示談最終回ブログ
御崇敬・不時御崇敬勤修状況・和田氏調べ
御崇敬北國「能登の御崇敬」19831123

b3 談義・説教・節談
a2の風土で使用―節談『踊る人々』1991
「節談説教」(『石川県の民俗芸能』県教委)
芸能能登節談説教
節談例(含・民俗芸能)
表・年表・説教2003年1月(高岡4組レジメ)
舞台 民話の力020204 北國
安津見の伝説、しろく話加民
引砂のさんにょもん『伝説とロマンの里』
猿鬼「能登」17号
猿鬼・説教2002
三右衛門話・北國
石山合戦 塩谷氏
千ノ浦又次・北國民話
千ノ浦又次9月常田富士男
千石の豆の木「能登」22号
千石の豆の木解説
長太「済度される鬼神丨続き因縁話の世界」(『説話論集』第16集)
長太狢記序并ニ長太異形の事
長太『能登志賀町の昔話伝説集』
長太『能登のくに』
長太北國新聞連載民話2002年11月11日

民間信仰と和歌」『加能民俗研究』7号
和歌の流れ論―観経~連歌・~蓮如
「聖人追慕和歌」ファイル。冷泉等覚など人物追慕和歌
◎550回忌追慕和歌[ブログ記事]
◎貴族らも和歌で追慕「北國文華」親鸞聖人550回忌 新史料を発掘20131219
親鸞 五百五十回忌の和歌「北陸中日新聞
◎聖人追慕50首
◎聖人追慕和歌・朝日新聞
◎聖人追慕和歌・北國
五百五十回忌200忌
参考・論文、和歌一遍が作り、親鸞は作らなかったか
白山の垂迹

b4民謡(目連、いろは歌、数え唄)、和歌、相撲
民謡 「口頭伝承」民謡とわらべ唄(部分)『能都町史』10480昭和55・1980
民謡 『おやべのうたごえ』昭和53年
民謡 『七尾の民謡と子守歌4123』
民謡 『石川県の民謡』昭和42年5月10日
民謡 だいつのおかっつあま・民謡 加民
民謡 なむぶつ・ほたるこい加民
民謡 井波御坊大持曳歌信心盡
民謡 信後相続歓喜
民謡 金沢わらべ・福井民謡
民謡 「消えゆく能登の法事歌」昭和56年1021・北國
民謡 年忌歌・まだら『能登のくに』
民謡 年忌大盃 ブログ
民謡 盆踊り・盆 年中行事『鹿島町史』

数え唄 いろは歌
数え歌 安心数え歌 尾口村
数え歌 信心数え歌 広陵兼純師
数え歌 信心数え唄・三重
数え歌 尾口 信心数え唄
数え歌 表道場 信心数え唄

目連 目蓮尊者「じょうかべ」
目連 高梨一美『東アジアの祭祀伝承と女性救済―目連救母と芸能の諸相―』
目連 高梨一美跋文・『沖縄のかみんちゅたち 女性祭祀の世界』、ブログ
目連 高梨一美氏とのやりとり
目連 「越中の民俗信仰」目連・書誌紹介
目連 『真宗聖典
目連 おやべ
目連 来歴など『庶民生活資料集成』

相撲
相撲・鹿島町史・年中行事
相撲 「能登の暮らしに息づく相撲」9369「北國文華」

b5 巡拝、同行・妙好人
「江戸の道・巡拝の道」『能登のくに』
真宗旧跡御御順拝・論
二十四輩聖人の歌。枕石寺縁起
豊四郎その他巡拝帳
豊四郎巡拝地
句を通して妙好人
参考 千代尼と領解文・中野白暮20190323
大拙・信心の里、2006年平成18年6月3日北國
用語・妙好人ブログ

C、本尊、哲学、共同体、太子、葬制、盆行事、祭り、神仏判然期、料理・斎、法話、今後
C1 本尊、哲学、講師、五来
哲学者と仏教 北陸中日
五来重先生の真宗、善人・悪人論
五来先生の思い出
参考 高野山における親鸞聖人像
初期のお内仏・門徒宅 北國
真宗法宝物・門徒本尊

C2  共同体、老人、侍能工商、女人
「磯部に消えたか福子伝承」北國新聞・昭和59年(1984)1月24日
「共同体におけるお年寄り」『老熟の力』早稲田大学出版
書評『日本史の中の女性と宗教』日本民俗学
新聞「半島に刻む戦後70年の記憶」2015年(平成27)中日
半檀家制文献・野口
法然聖人行状絵図卅四部分

C3 太子・太子講
「慈悲の象徴・聖徳太子」ロータリー
井波「真宗と太子信仰」レジメ
春のタイシと暮れのダイシ 歴博
太子講、『能登島町史』
太子資料 歴博
太子資料・歴博資料寺院
太子所蔵・津幡・金沢
太子信仰と庶民2
太子信仰と庶民  レジメ歴博
本念寺 太子縁起
歴博 太子縁起
さまざま―真宗コンゴウ・近世年表

C4 葬制・盆・年忌
「鹿島・盆」踊りは別『鹿島町史』
「水と信仰」『いしかわ』
「葬儀・法要・墓制」『門前町史』
「葬制」『能登島町史』昭和58年
「葬制」中島6行追加
「葬制」能登島昭和58年
こんごう能登島など
こんごう武生地方のコンゴウ  加民
四門「奥能登に見る真宗以前」昭和56年5月21日北國
七夕・盆・加民
盆・ぼん踊り、門前、鹿島、根上、『能登のくに』

C5 幕末~明治、神仏判然・権現・祭り
移り行く行事の日1998平成10年3月30日 北國
観音根上民間・真宗と観音
観音大坂観音
権現メール・O氏問題提起丨北國・中日
権現メール御国政・村松、小林家、末世、山車、石動、蓮能尼20170910
権現参考・権現・本地
権現参考女人参詣・『御文来意鈔』1帖7通
真宗と権現―神祇・問
真宗と神祇権現―白山と真宗
石動権現・藤原家通
祭り「この人に聞く―祭り―」朝日新聞
祭り「祭りの国」深い背景2016年(平成28年)3月5日中日
祭り「七夕ギリコ・盆ギリコ」『奥能登のキリコまつり』
祭り タタキド祭り・共同体行事が問いかけるもの2013北國
祭り 神祇・祭り論金沢、能登、キリコ『おもしろ金沢学』
紹介 『カミとホトケの幕末維新』
石動山小林家文書の行方
O氏秋安居後丨七夕ギリコ・山車・石動山
O氏石動山、小林家
天神「金沢の天神信仰」『北國文華』8
天神「天神・地蔵と異界―都市金沢の宗教空間―」『情念と宇宙』
天神金沢二十五天神表
能登観音書評「能登国三十三観音のたび」『宗教民俗研究』第16号2006年(平成16年)
能登国三十三観音鹿渡島」以下『能登国三十三観音のたび』北國新聞社
能登国三十三観音「若部住吉」
能登国三十三観音「小田中」
能登国三十三観音石動山
能登国三十三観音「谷内妙法寺
能登国三十三観音「椿森」
能登国三十三観音「万行清水」
能登国三十三観音「柳田光泉寺
能登前書き「能登国三十三観音巡礼札所について」『能登国三十三観音のたび』
能登文献・論文能登国三十三観音巡礼札所
判然期「真宗の文芸世界と絵馬文化」戸澗幹夫
判然期「真宗の―」絵馬論やりとり
判然期「蛸島早船狂言
判然期・参考教導、大教正
判然期 早船狂言口上、早船由来書
判然期・長太ムジナ「はいや音頭」
判然期・仏を拝む神職2家
判然令の頃の庶民の知恵

C6  精進料理・斎(六斎)
「とき・斎」『真宗大辞典』
「斎(とき)」『日本民俗大辞典』
真宗と精進・お斎料理・行事」一切経~レジメ資料
真宗と精進・お斎料理・行事」康永~レジメ
真宗における精進料理」a関連語~六斎日・若坊守精進
真宗における精進料理」b原点~壱人扶持若坊守精進
真宗における精進料理」若坊守精進レジメ
「輪島塗」江戸期から論・全国ブランド平成2、19820126北國
「輪島塗の彩」「自然人」1993
「實悟記」斎・精進
ほんこさんとお斎・食平等・精進、三条レジメ
親鸞と小豆がゆ・加民
進士流
当屋・もっそう・小倉・加民
律令・六斎日註
論・律令(六斎日)『日本思想体系』

C7 周辺・エッセー・背景、今後
大小の月、民衆教化
ユートピアに生きる鬼」北國1998年0201
「笑顔の扉」2061月、今現在説法『アクタス
私の聞法昭和60年(1985)7月3日・北國
壁谷一郎 明日ありと・・・碑
野辺の送り 見本4編1008、追加・北國
竜女・女人の参拝・雨乞い『能登のくに』の真宗
蓮能尼の手紙
5に使用Oさん20170910安居後
家とは最後の場所分析、展望
Oさんへ
参考新門日記
思い出の手紙(網野さん)
Mさんから、方向性ブログ20170802

 

 

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2018年1月20日初版、2月20日2刷発行


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1998年12月25日初版、2001年4月1日2刷発行


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1998年3月31日発行


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オリエントブックス、1990年8月10日発行

 

 

 

 

会員だより―OHYAおおや 静岡大学教育学部同窓会誌 

5月が大学同窓会誌の原稿〆切だったはずだ。

という記憶が今までの執筆原稿整理をしたり、レジメを作ったりしている最中もどこか隅っこにあった。

6月はまず5日に刈谷市(岡崎教区)でお話しをすることになっており、そろそろ宿泊先などを決めなくてはならない。

静岡、去年行ってみてよかった沼津、尾張旭市には1度会っておきたい後輩がいる。学生時代最初に行った登呂遺跡、そのすぐ近くに静岡埋文もあるようだし・・・、勿論、刈谷

 

もう5月も20日になる、と思っていた20日に同窓会から電話が入った。お客さんと『真宗聖典』(大谷派)を開いてお話ししている時だった。

3つ送ってあった原稿のどれを使いましょうか?

まだ書く予定もあるとおっしゃっていましたが・・・。

どれか、好きなのにして置いて下さい。

そんなわけにも・・・。

他の方々とのバランスもあるでしょうから、そちらでお決め下さい。

同窓会があるとは知らなかった・・・が面白かった。

ではそれで・・・

と、おまかせしその日、昨日は坊守会レジメ作り・予習、坊守会、眠い・・・で終わり

今朝、改めて何を書いたのだったか確かめようと思った。

 

ところが、下書きを見つけ出すことが出来ない、検索をするがタイトルが合わずに見つからない。

そうだ大谷地区に静大が移り、教育同窓会誌は「おおや」だった、あたりから記憶が呼び覚まされ、「予定、取りあえず保管」フォルダーにある「静大」に記事が入っているのを見つけた。

書いて送ったのは、今年の2月22日。わずか3ヶ月しか経っていない。

 

タイトルを見ると

「同窓会一期生」

「教師の一言、海を結ぶ歌声」

「くじけちゃいけない海の子は」

の3点だった。

それぞれに教員時代の出来事の一つ、学生時代こころに残ったこと、そして、50年ぶりに静岡へ行って同窓会があることを知ったこと、などそれぞれに感慨深いことを書いているが、

この「会員だより」は400字もないコーナーで、どうしてそれがまで書く字数がない。その中で「同窓会一期生」が載ることになった、とういうことだ。

21支部があって、支部以外の卒業生が初めて書く機会を作ってくださった杉田先輩のご厚意が、間もなく形になる。

なのに、書いた本人が「一期生」?って、と記憶をたどったら、同窓会一期生のつもりで書いていた。

この機関紙は、年一回9月の発行。編集部スタッフだけでも7人おいでる。大きな組織なのだ。

まもなく顔写真を言ってくるはずだ。

 

この16日に顔写真を撮った。

それは、5月10日打診、13日に6月10日締めの、これは真宗関係の原稿依頼があり、18日に2000字、写真、プロフィールなどを送らせていただいた。それに合わせて16日に間衣姿の写真をとったのだ。

同窓会誌に間衣姿を載せると混乱するだろうから、説明を付けるともう一コーナーいるので使えない。

学生時代の写真・・・というわけにはいかないのだろうな。

 

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OHYAおおや 静岡大学教育学部同窓会誌 2018vol61、24頁、平成30年9月1日発行

 

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