FB 2月22日(金)より  青春アイデンティティー    

 
 

静大を卒業してから静岡へ行ったのは、宇出津高校で生徒指導主任をしていて、熱海に中部地区生徒指導会議があって参加した折、帰りにわずかの時間寄ったのと、昨年5月に卒論を指導していただいた故南信一先生宅へ『妙好人千代尼』つながりで、お参り行った、その2回だけである。

その時、1年の時の下宿の先輩ですごく世話になった、sさんに電話してみると、すぐに通じ、車で下宿先跡、大学などあちこちを案内していただいた。52年ぶりに会ったのに、それこそ、下宿から何人かで風呂屋まで語りながら歩いた18歳と19歳2人がいた。私たちが卒業したのは大学紛争で校舎が封鎖されている最中だった。
その時から、同窓会などなくなったのだろうと思っていたのに、先輩は同窓会室へ行こうと、静岡県教委と同じ建物内にある同窓会室に連れて行ってくれた。彼は、静大教育学部同窓会副会長にもなっていたのだ。立派な同窓会誌(24P)、名簿がある(784P)。担当の女性に、西山君は?というと分厚い同窓会名簿を見ながら、行方不明者になっています。と答えられた。
不思議なのだが、行方不明者であろうと、同窓会員として...名があるのだ、と思った時、突然、大学の4年間実際にこの地にいたのだとの感慨が湧いた。それまで、地に足のつかない夢うつつの学生時代の印象でいたのだ。
その年、飯田高校から同級生が4人静大に進んだ。名簿を見ると全員行方不明者だった。もちろん同級生とは50年離れているわけはないので、こちら側からすると、同窓会はなかった、ということになる。
 昨日、その先輩のSさんの紹介だといって、同窓会だよりの「会員だより」(400字)に書かないかと打診があった。同窓会には21支部があり、支部外からも投稿を募ろうと話し合われ、その一人に選ばれたらしい。早速、今日一文を書いて送った。書いた文以外に、「くじけちゃいけない海の子は」にも触れたかったので、結局3文をお送りした。
今やっている論文の整理は、読みての顔が浮かんでこず、同窓会だよりはフェイスブック仲間の金田さんなど、顔が見えるのだ。
とうことで、今日は18歳から22歳の自分を訪ねていた。

画像に含まれている可能性があるもの:群衆、空、屋外
 
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上
松坂屋でバイト中に、初めて買ったLP。
夜霧のしのび逢い、涙の太陽、ある晴れた朝突然に、霧のカレリア、シベリアの灯は消えて、ダニューブ・ウェーブ、別離(わかれ)など。