岡崎-御堂山?御坊山?、岡崎別院-6月4日(火)、5日(水)
三河との関わりは
○近世仏教研究会三河合宿:一九八二年(昭和五七年)八月二十四日~二十六日-宗旨人別帳と寺檀制 幡豆(はず)郡 吉良町
○蓮師土呂調査:一九九五年(平成七年)一〇月二三日。東岡崎13時40分上宮寺、土呂
○ボーイスカウト日本ジャンボリー珠洲大会(二〇〇六年八月六日)岡崎幸田,第八団 が当寺で泊
があった。
土呂の蛇骨調査がバタバタと通り過ぎただけだったので、今回の刈谷行きに際して,4日の晩は岡崎で泊まり、じっくり御堂山へ行ってくるつもりだった。
5日、jr岡崎駅前のタクシーに乗り込む。すぐに場所が分かるだろうと思っていたのに、運転手さんがそこを見つけ出すことが出来ず、後続車の邪魔にならないようロータリー内を少し移動して場所を探すのだが、焦っておられるためかカーナビ操作を何度もやり直していると、上司のような人があらわれ、御堂山をゴドウヤマと教える。ナビを入れ-今から思うと御坊山が近くにあり、そこへ行ってしまったようだ。それも迷いに迷ってだ。中学生が歩いていると「聞こう」というし,昔の印象であの山がそうではないかと思える岡があったので向かって貰おうとすると、カーナビ-はこちらを指しているといって取り合わず、狭い道で迷うというあんばいで、ついたところが神社。写真はそこの写真。犬の散歩している人に聞いても「蛇骨・御堂山教会」はわからず、探している間にメーターはどんどん上がるし、結局辿りつけなかった。
6日晩遅く家へ帰ったのだが、そこで調べると、あの山ではないかと言ったところが、御堂山教会のある場所だった。
こんなのあり?
どうして大蛇済度が知られていないのだろうと、タクシーに乗って3ヶ月目という運転手さんと愚痴を言いながら、岡崎別院まで乗車した。それがまたトオーーオ-ィ。
それで岡崎って人口どのくらいなの?と聞くと(誰に聞いたか忘れた)30万ほどだそうだ。いくつかの目的地に歩いてつける広さの市ではないことを知って,岡崎を後にした。
岡崎別院はよかった。