真宗公開講座(刈谷市金勝寺さん)-6月5日(水)

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開式前。この後も続々と入堂なさる方が続かれた。


 

今も(8日)
講座の時のメモを取っておいでたかたのお姿などが濃くなったり薄くなったりしながらずーっと浮かんでいる。

鈴木大拙ってご存じですか?一番前においでた女性が,石川の人ですね、とお応えになったり、

翌六日に祥月命日をお迎えになる方・・・清沢満之井上円了佐藤春夫の名を挙げるとあちこちでメモをお取りになる。そのメモ取りが,聞く時は聞き、ちょっとした間のメモ取りであって、ずーーと極めて「知的な雰囲気」が続く、法座の場だった。

話している私の方が深い学びをいただき、「法縁」があらためて確かな呼び声となっているような時を過ごさせていただいた。 

 

昨日(7日)司会をなさっていた総代の方(だろう)から、お手紙が届いた

その中に,『妙好人千代尼』の183頁

「千代は、俳諧はものを憐れむのを基本とするものです。(中略)

ものを憐れみ、さまざまな「いのち」と共感し合う千代のこころ根・・・・」

を引用なさっておられ、それが次の深まり、さらに勉学に励まなければの思いにさせていく。

 

話す内容を準備しメモ書きにした時

三河真宗の土徳世界だったことが次々に見えていた。しかも深い。

刈谷は東経135度。

名舟と同じ。経はまことの教えが五濁悪世であろうとチャンと貫く普遍の教えだから「お経」と、経という文字が使われている。太平洋側日本海側の違いはあっても、地球軸の傾きはあっても、ほぼ同じ時に日の出を迎えているー同志が今、刈谷で触れあっているというところから話させていただいた。

 

講義用に作ったメモ書きー三河妙好人

参州(三河)七三郎、三州(三河)利右衛門、三州その(三河のお園)

深励を尋ねて往き易くして人無し。そのまま。

某妻女後生嫌いでこの世好き。私(その)も、そのわたしを如来様が一番駆けに・・・。

見るもの聞くものが仏法。橋は流れても月影は流れまい(開悟院)。

不用意に出る一言一句が梵鐘のように美しい

三河真宗』一九八八年・昭和六三年ー「三河の土徳」 

三州梅吉(列伝になし)
『信者めぐり』三田(さんた)老人(源七)丹波
和兵衛(野田村ーお園は知れず、苦しい時に篤信家と聞いた)・・・臨終間際の利兵衛同行に思い切って「暗いか明るいか」訪ねた。このほうで見にゃならぬようなことなら、無になるお方があるでのう。

息も絶え絶えながら唱えているお念仏に、仏恩報謝の念仏かを問う。ー(和兵衛)往生は仏仕事と聞かせて貰う上からは機の上のことは聞かぬでもよいわいの!

吉蔵、おみせ、おその(既出)。三河 松林寺老師  三河普元寺老師