刈谷市金勝寺さんで、珠洲焼に会う
刈谷と私の住むエリアとの関係を導入に使うため、次のメモ書きをしておいた。
文化人類学の元になる柳田国男氏の『海上の道』が
「柳田国男 明治三一年夏学生 渥美半島伊良湖岬(いらごみさき) 一ヶ月椰子の実三回。伊勢・渥美・知多 常世の波 黒潮(日本海流)」から始まった。そして「常滑」焼きの地である。
一方日本海側は、折口信夫の『古代研究』がタブ(万葉のツママ)との出会いによって始まっている。
「折口信夫 昭和二年六月 三八才 気多でははが国を想う。昭和四年四二才『古代研究』漂着神を祀ったたぶの杜、岬のたぶ「磯の上の都万麻を見れば…」 対馬海流(青潮)リマン海流 」そして珠洲古陶である。
中世古陶の流通範囲から見れば太平洋側の列島東半分が「常滑」であり,日本海側の東半分を「珠洲」が占めた。
その意味からは日本二大古窯と言える。
東経上からは
東経一三七度 伊良湖 刈谷 佐味 向田 鹿波 名舟 。
となっている、昔日本列島ここが真ん中というラジオ番組があったが、そのラインなのだ。
その常滑の中心地のお寺に珠洲があるので驚いたのだが、作者の清水さんは刈谷の人だそうだ。
交流の極地のような作品に、おもいがけず出会わせていただいた。