「妙好人を育む 別院・風土」高岡教区大三組第二小会 第4回同朋のつどい テーマ 別院のある暮らし 於城端別院善徳寺   

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血染めの御名号。1997年5月30日撮影。10字と6字の名号で特に6字には血書の跡が見て取れた。


 

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このような立派なチラシが用意されていた。

法話が始まる1時間前に見た。

 

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 キーワードが妙好人

鈴木大拙師は、数え60から真宗を世界に広めたいとの願いを持たれ(『鈴木大拙 真宗入門』佐藤平訳)、まず英文で(於けるニューヨーク、アメリカン・ブッディスト・アカデミー)真宗入門を講義なされた。どれほど高邁な理論であろうとも、法のみ、あるいは実践不可能な行であれば、教にはならない。

末法に唯一残ったというか仏教の根源が表にあらわれ生き続けたのが、凡夫の救い=真宗だった。

その行者の代表が「妙好人」、と考えたのが大拙の60過ぎだったようだ。

その妙好人は、赤尾の道宗にはじまり石見の才一によって理想の一つの完成と捉えた論が載るのが『日本的霊性』である。

上は『日本的霊性』(角川ソフィア文庫)の目次。

ならば、道宗さんのお寺を何を置いても訪ねなければなるまい。

朝7時過ぎに珠洲を出発して一端城端別院を通り過ぎ赤尾へ向かった。

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 散居村展望台より

 

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 小栗栖(こぐりす)地内

 

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 赤尾山道善寺・上新屋

弥七御書がある。

 

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上梨白山宮

このFB友だちで白山大好きの方がおいでるので、一枚。石碑には「こきりこの(里?)」と刻まれている。

だいぶ前のことだが、ここを通った時、舞台を組んで「こきりこ節」踊りを踊っておいでるのに出会ったことがある。

 今年の5月11日~12日に白山宮御開帳三十三年式年大祭が行われていたのだ。

三十三年は白山本地(十一面)観音との関わりによる。

 

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 漆谷・慰霊碑

碑文

殉難の記

昭和十五年の新春は奇しくも雪の無い

穏な日和で迎えたのであるが、一月二十四日から

降り始めた雪は連日連夜止むことなく

降りしきり住民は屋根雪おろしに明け

暮れる毎日であった。一月二十八日の午後雪始末の

一段落した上の村の人たちは念佛道場の

雪降しのためかんじきを履き丈余の雪を

かき分けながら村中谷にさしかかったところ

大音響とともに表層雪崩が発生し

一瞬にして民家四戸と十三名の尊い

生命を奪ってしまった 嗚呼時過ぎて

五十年今もなお痛恨の極みであるが

ここに亡き十三名の冥福を祈って碑を建て

常磐に慰霊の誠を捧げる

 平成二年清秋

 

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 漆谷道場

「血染めの名号」がある。

天正元年(1590)、本願寺織田信長に対していた時、諸国の門徒に檄文を送った為、越中、加賀、能登に大規模な一向一揆が発生した。五箇山門徒一揆に参加する人達は漆谷念仏道場に集結し、寺宝である蓮如上人真筆の無碍光仏・六字と十字の名号・正信偈文4幅に血判(43名)を押して出陣したと伝えられている。

能登教区十組門徒会の方々をを引率して訪れた時(1997年5月30日)、「血染めの名号」を拝見したはずだったが、あれから22年この場所にたどり着くのがやっとだった。

 アルバムに当時の写真があった。

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1997年5月30日、能登教区第10組門徒会研修旅行引率の折、今杉が切られている。

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血染めの御名号。1997年5月30日撮影。10字と6字の名号で特に6字には血書の跡が見て取れた。

この年、続いてメインの目的地である道宗さんのお寺に寄った。

そこで坊守さんが正座し、やわらかく由来を解説し語って下さった。門徒会の幹事や手伝いは元高校校長さんたちだったが、語りの素晴らしさにこぞって感動し、絶賛なさった。もちろん、引率していた私もである。

それから、8組、紫会などの坊守会研修でも道宗さんのお寺を訪ね、お話しに聞き入ったものだった。

当時の写真を拡大したりして見ていると、薪に寝る有名な道宗像の上部に、道宗の法名がかかっており、「永正十三年五月二十日 行徳寺釈道宗」と読める。

ご命日にお参りしていたことになる。

何という偶然、その日別院でお話ししたのだから、そのことを知っていたら切り口も変わっただろうな、と少し残念気分。

が、このことがきっかけで、お話しなさっている写真も含め貴重な写真に出会えたのだから、行ってきてよかった。

次世代の方も素晴らしい方だった。

 

 

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午後 講義(城端別院)

その後、大福寺さんで勉強会、懇親会。

桜ヶ池クワガーデン泊
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二十一日朝、城端の景観。

 

帰り、引用した『真宗入門』の訳者・佐藤平(顕明)さんと深い関係がある松扉さんのお寺にお寄りし、先人を偲んだ。

尾田武雄さんのブログより―南砺市大福寺でのつどい

 

NEW !
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が、太田浩史氏の計らいで城端別院善徳寺で講演会をされた。その後で先生を囲む会が大福寺で開かれた。万葉料理研究家で最近『大門素麺』の著書を出された経沢信弘らと共に参加した。能登と砺波のつながりなど談論風発で楽しい夜であった。知識の豊富な先生に多くを教わり、また元気が湧いてきた。

※ここから西山の記事
向かって左から
谷中秀治さん、尾田武雄さん、西山、太田浩史さん、寺本信一(青嶺)さん、経沢信弘さん、塚本昌紀さん
後ろの法然聖人は著名な人の作(この説明ならちっちゃな子でも書ける。ひとしきり皆が話題にしておいでたのをボーと聞いていてメモしなかった) 

会のはじめの方には、とやま民俗学会でのご活躍が著しい加藤享子さんも和に加わっておいでた。

 

谷中秀治さん 

 

谷中秀治 (Hideji Taninaka)bass プロフィール
 
1959年 富山生まれ
22才コントラバスを始め、地元ミュージシャンと活動。
1987年渡米、ニューヨークで活動。
JVCジャズフェスティバル
Heinekenジャズフェスティバル、
オランダRotteldamジャズフェスティバル
などの他、NYのジャズクラブなどでも演奏活動。
11年間ジャズの他、即興音楽、民族音楽にも出会う。
1998年帰国後、富山を拠点に、ジャズの他、
アンデスグループ「WAYNO」、
地元富山のグループ「アペラッチャコ」と
活動を続けている。
主な共演者
マルウォルドロン、ホレスパーラン
渡辺香津美本田竹広田村翼
エブリンブレイキー、デレックベイリー
ハンベニック、ウィリアムパーカー
ロイキャンベル、ゼインマッセイ、
富樫雅彦坂田明、板橋文男、林栄一
ジュニアマンス、藤井貞泰、山本剛、
梅津和時、八尋知洋etc
 
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行本清喜氏のブログより。

声も素敵な方だった。

 

尾田武雄氏


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明治の妙好人砺波庄太郎の御講です。
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著書

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 太田浩史さん

太田さんはブラジルに報恩講御布教で2週間出向かれ、帰った翌日から蓮如上人御影道中御上洛の随行教導(布教師)として5月2日から9日、吉崎から京都まで随行なさった。

ご本人に叱られるかも知れないが、ものすごい行である。わたしも5月3日~5日にかけて歩いたことがあるので、大変さと自然の中を歩く感動がほんの少し理解出来る。お説教をなさりながら・・・となると想像を絶する。

その記録をA5100頁に「蓮如上人御影道中上洛随行記」としてまとめられ、この集まりにお配りになられた。出だし部を少し読んだだけだが出色の記録である。

さまざまな分野で活躍なさっているその一端。

 

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寺本青嶺(信一)氏

薩摩琵琶演奏家、師匠

寺本靑嶺(てらもとせいれい)□. 金沢市出身(1943年生まれ)。京都在住の折、. 当時の京都琵琶協会会長(故)平井春嶺氏に師事. して、薩摩琵琶正派を学ぶ。現在は「奏拳の会」. を主宰し後進の指導にあたり、各地で演奏活動を. 行っている。

 

経沢信弘氏の著書 

桂書房から『大門素麺』を発刊された


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万葉料理研究で著名な割烹まる十店主経沢信弘氏が、今度桂書房から『大門素麺』を発刊された。僭越ながら序文「大門素麺と砺波」を書かせていただいた。1冊1000円に税である。
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塚本昌紀氏 
当社(一般社団法人地域・観光マネジメント)は、地域のみなさまと協力して地域資源を活かした着地型観光商品の造成と観光誘客事業を行っております。事業を通じて地域の賑わいの創出や経済効果をもたらし、地域が持続して発展していける仕組みづくりや事業をさせていただければという思いから、活動しております。   代表理事 塚本 昌紀

<名称>
一般社団法人 地域・観光マネジメント

設立:平成27年11月 代表理事:塚本 昌紀  従業員:13名(非常勤職員含む)2019年4月現在

【富山オフィス(本社)】
〒930-0023 富山県富山市北新町2丁目2番7今井ビル6B
TEL:076-471-6103  FAX:076-471-6104

【福井オフィス】
〒919-0131福井県南条郡南越前町今庄75-39-2今庄タクシー2階 (JR今庄駅前)
TEL:0778-45-1710  FAX:0778-45-1755

 
加藤享子さん


他にも、わたしにとっては幻の方である久保尚文さんや

立山博物館の加藤さんも参加なさる予定だったという。

 

 

松扉哲雄師『自知叢書』シリーズ


昨日(17日・月)、教務所で「自知苑叢書」の出版元はどこかと訪ねられた。

 

「自知苑叢書」は父の大学時代の先輩である松扉哲雄さんが、自坊明円寺から出しておられた本のシリーズである。

数年前、わたしは現御住職と相談して、松扉さんの御著書で、県立図書館にないものを図書館におさめさせていただいた。

いい書物は、皆の目に止まることができるようにしておきたい・・・ささやかな願いを行動した。

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如来にあう』
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『回向の御名』
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如来の願船』
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『遇光のよろこび』
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『道俗の帰外』
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『和讃に聞く(三)』
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『和讃に聞く(二)』
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『和讃に聞く(一)』
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『自身に遭う』
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『人間成就 巻頭言(一)』
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『虚仮不実の身』
以上11冊松扉哲雄氏(以下氏略)著
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『人間成就』松扉哲雄、亀井鑛著

 

女人は女性か? 男子は男性か?

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韋提希夫人像。2013年坊守会引率の折、上越市性宗寺さんで。韋提希夫人の像と聞いた途端、一行からため息と歓声が混じり合った感動の声があがった。



今朝の朝日に

朝日新聞ー仏典の女性差別どうするー9月18日(火)

と題する記事が載っていた。

コメントを寄せてる方の中には、面識のある方もおり、名しか知らない方もおいでるがそれぞれに見識を持っておいでるかたなのだろう。その文を載せないで語るのもなんだが、一般論として釈然としない点を書いておく。

コメントしないという選択肢もあるからである

思い出すのは北九州で壁画古墳が見つかったとの大ニュースに考古学者で発言しなかった方々(あとで、高校生の時いたずら書きをしたと名乗り出た方があった)。

円空仏で名高い円空の書いた書物が見つかったとの大ニュース。その時、わたしの師である円空仏研究でも知られていた五来重氏は一切発言しなかった―あとで現代人が書いた贋作だったことが判明。

釈然としないのは、正像末の歴史観法華経、社会法である儒教に触れないで、全て真宗内のこととして見る傾向に対してである。

ー以下、さーっと流し読みした印象ー

そこに男性の関係者が何人かいて、女性を語ってはいたが「変成男子(なんし)」(法華経提婆品)の「男子」については、誰ひとり触れていない。

彼らは、まさか自分を変成されて行き着く「男子」と思っているのではあるまい。

今の男性は、「われら五逆十悪」(蓮如上人)の凡夫以外は存在しないはずだ。

なのに、

(「愚昧の今案」を語られなかった親鸞聖人とは違い)今案を、時代背景まで持ち出し女人を語り、

「男子」に触れようともしない学者さんや教学者しかいないことはない、と思いたいのだが・・・

懺悔してもらわないと、ただ混乱するばかりだ。

それらを抜きにして大新聞に意見を語る人たちは、善知識?生き仏?のこころ(慢)になっていはしないか・・・。

ハハァー・・・。仰せの通りとはいかない、

もちろん、差別はあってはいけない、あたりまえのコメントに、

皆、同じようなAAAA・・・が、ならぶあたりに

何かが劣化(端的にいうなら―問題整理が出来ない)しているように思えてならないのだが・・・。

 

と、あらためて見出しを見ると「男性に生まれ変わって成仏」「夫・子に従うべき」・・・とある。

見出しも見出しだ

男子と男性は違うよ、儒教社会(三従、五倫五常社会)における仏典翻訳の問題、それをはっきりしないと言葉が一人歩きしますよ、

と、コメントを求められた人の中で、誰かが言っていてもいいような気がするのだが・・・。

聞かれた通り・・・反応しているのだろうな

 

多分フォルダーで言うと上位フォルダーになる

第3願(悉皆金色の願)は

どうなるのだ?

 

石動山(天平寺)と東西を結ぶお寺

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木魚を枕に寝ている可愛い小坊主を見ることがあるが、これは大きい。一休さんばかり思っていたが、鼠がいる所を見ると、涙でねずみを描いたとの説話のある小僧時代の雪舟のようだ。


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この奥に、それぞれのお堂が出来る前の三社権現があった。152段の階段を奥に、今も奥之院と呼ばれているのだろうそこからの景観がすばらしかった(邑知潟開拓前は、より素晴らしかっただろう)。


間もなく夏至だからと言うわけではないが、中間の彼岸の日、朝日が石動山からあがり、邑知潟を通り、真西に沈む地にお寺がある。

20代から何度も調査し、『能登国三十三観音のたび』(北國新聞社刊・絶版)にまとめた。

17日羽咋能登教務所での4組合同坊守研修会に出向く折、時間の余裕があったので、訪ねて見たくなり寄った。

 

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40年ほど前、この近くにお住まいの門野實さんが、能登国三十三観音御詠歌について書いておられることを知り、訪ねたことがあった。その門野さんの本にひょっとしたら芭蕉句碑が出ているかも知れない、と探すのだが見つからない。門野宅は今はない。



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門野實著

万葉集能登
昭和41年8月発行。
発行所鳥屋町公民館。

 

あの時は、夜、門野家にたどり着き、札所を訪ねている旨を話すと、若いのにとすごくお喜びになられ、夕食だけでなく風呂まで沸かして、もてなして下さった。

門野さんはお医者さんで、家で開業しておられたのだった。

 

能登国三十三観音のたび

能登国三十三観音のたび

 

 

 

 

旧「能登のうみやまブシ(西山郷史)」から、現「能登のうみやまブシ=西山郷史」への移動

現代のメールではなく、ましてfbやツィターでやりとりすることもない方々との間で、誰でも開けるブログ記事でもって長年情報を伝え続けてきた。

そのブログが、2月から新URLに変わったので、古くからお世話になっているそれらの方々に、新URLを知らせることが出来ないままでいた。メールその他の連絡方法が無い時は賀状に一言添えるのがいい方法なのだが、それまでに日がありすぎる。

 

時折ブログを開いていたそれらの方が、能登のうみやまブシ(西山郷史)を開いてみると、1月26日から更新がなく、もう5ヶ月も経過している。

さすがに元気なのだろうか?と、さりげないお便りが届くことがある。

勿論、お返事は書くが、文の中に更新のないブログ?を気にしておられることが見えているので、今朝3時に目が覚めたのを機に、前のURLブログを今一度見直した。

かつてのURLと違っている。入ることが出来なかった以前の記事に入ることが出来た。ということは編集も出来るのである。

うきうきとしてURLが変わりましたと付け加えたのがこの記事。

2019-01-26の記事は

※以下が無い現URL記事と2種類存在することになった。

なにはともあれ、よかった・・・・・・。

 

2019-01-26

天女の羽衣ー能登町・田ノ浦海岸―(地産地消文化情報誌『能登』34号)

能登のうみやまブシ(西山郷史)はこの日の記事が最終記事です。
次回からURLがhttps://umiyamabusi.hatenadiary.com/となり、タイトルも
能登のうみやまブシ=西山郷史となります。ご迷惑をおかけしますが、これからは
umiyamabusi.hatenadiary.com
をよろしくお願いします。

「天女の羽衣―能登町・田ノ浦海岸―」

34号が25日に届いた。
本文では触れることが出来なかったが、蓮如上人が「正信偈大意」に天与の羽衣の重さを書いておられる。
お書きになっている通りに重さを量ったところ、それが6グラムだった(昨年9月25日、七尾「御祓川」で)。
そのことにも触れながら、能登の天女伝説を書こうと思って書いた、その本が届いたのである。
 
能登」34号


重厚で、綺麗な本に仕上がっている。

切り株だけの衣掛柳

そして、今朝、朝日新聞に「天女が舞い降りた湖」の題で余呉湖が載っていた。
[
「天女の羽衣」の導入に、三保と余呉の天女の羽衣を書いた。
三保は羽衣伝説の代表だし、
余呉は、加賀藩主の祖とされる菅原道真出生伝承と関わる、天女の羽衣だからである。
本文には

 また、余呉湖(長浜市)には、加賀藩主前田家との縁を伝える「天女の衣掛柳」がある。
それは、湖水で狩りをしていた武将が菅沢で天女がたわむれているのに出会い連れ帰る.三年経って子が出来たのを機に天女は天に帰っていく。
 その子が加賀藩主、前田家の先祖の菅原道真だというのである(『三壺聞書』)

と書いた。
『三壺聞書』は、宝永年間1704〜11に、加賀藩士山田四郎右衛門が著した越登賀の武将・名将の記録。

その余呉湖の天女伝説が、本の届いた翌朝の新聞に載ったのだから、偶然に驚いた。
文を読んでいくと。

余呉湖に残る羽衣伝説は、14世紀にまとめられたとされる「帝王編年記」の723年の条に、記されている。話はこうだ。
 昔、天女が舞い降り湖で水浴びしているうちに、男に羽衣を隠される。天に帰れず、男の妻となり子をもうけたが、やがて羽衣を見つけ天に帰る。男は嘆き暮らした―。伝説はその後、男は「桐畑太夫」、子の一人は後の菅原道真、などと広がりを見せる。
 「子どもの頃はよく伝説を聞かされた」。余呉地域づくり協議会で伝説の発信などに取り組んできた水上仁昌さん(73)はふり返る。中でも、今に残る象徴として大切にしてきたのが、天女が羽衣をかけたとされる「衣掛(きぬかけ)柳」だ。
 衣掛柳は、江戸時代の宝永年間に余呉の庄屋が地元の菅山(かんざん)寺へ伝説を報告する古文書に出てくる。羽衣掛の柳は昔から根元の株が枯れることなく、大きくなっても上へは伸びず、衣が掛けやすいように枝葉が横に広がつている―。
 昨年末、伝説の柳を見ようと湖畔を訪れると、切り株だけが寂しく残っていた。聞けば、高さ約18㍍の柳が2017年秋に強風で折れたという。水上さんは当時ショックを受けたが、「絶やしてはいかん」という思いも強まった。そんな折、木からひこばえ(若芽)が出ていることが確認された。

とあって、写真の柳は2017年秋に折れて、切り株だけになっているのだという。
驚き二乗だ。

もうこの柳は無いのだ。
この右下に載っている写真

これは貴重な写真だ。
いつ撮ったのか調べて見ると、2011年4月4日、親鸞聖人750回忌記念展を見るため、長浜付近を旅し、3日に余呉湖畔に泊まった折の写真だった。

衣掛柳―2011年4月4日撮影

その時の写真を、載せる。

羽衣対岸(琵琶湖寄り)国民宿舎前からの余呉

同上

四日朝、同上

余呉湖北側周回道路脇
碑文「魚魂浄地」

右碑には「北野神社𦾔地」とあって、道真との関係を物語る。

ひとこと真宗余呉の太鼓踊り

余呉には、無形民俗文化財「太鼓踊り」がある。
そのいわれが、『滋賀県湖北昔話集』に載っている。

余呉 太鼓踊りの由来」

能登から原木を髪でなった縄で引っ張ってきた人足の疲れを癒すために、太鼓踊りを踊った」との説明文がある。

滋賀県湖北昔話集』國學院大學説話研究會編
昭和60年2月刊。
ガリ版刷りで524ページ。限定140部。
もうこれは稀覯本だろう。その、貴重な書物に、能登余呉を結ぶこころ暖まる話が収載されていた。
索引から―話者・橋本四郎、住所・下余呉 

『真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』進捗状況

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6月9日(日)午後4時。法話後撮影

真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』の進捗状況。

11ポイント18行で、並べていったら、1946頁という数字が出た。

それで10.5ポイントにして22行の形で、基本として残しておくために、プリントアウトをともかくしておくことにした。

まず

Ⅰ-2風土・土徳、年中行事

をプリントアウト。 A5版に折ると2センチの厚さになった。

暫定的に作ったⅠ1~4、Ⅱ1,2、Ⅲ1~3、Ⅳ1~6の目次から、1、2編づつ選び、残りを少し多めの註にし、今ためしに行っている保存用『真宗教化と民衆-習俗(民俗)・文化』につなぐ形にするしかないのかな・・・と考えている。

道遠し、だ。

 

真宗教化と民衆―習俗(民俗)・文化』―『蓮如真宗行事』以降      1946ページ

Ⅰ 概論・風土・行事・報恩講・用語・儒教・年表      (51+237+169+65=573ページ)

1 目次・概論              〈51ページ〉
○目次・項目案6P
※教化習俗論・項目・目次(案)11P
1真宗データ年代別執筆原稿12P
2その後の執筆2p
3後書きは2と同じ。ブログ真宗習俗論に向けて5P
4行事・太子・論文候補3P
5寺檀制『門前町史』慶安二年4p          
(参考1)項目案
(参考2)真宗門徒の生活レジメ14P、010922
(参考3)信仰執筆ジャンル別文献8P020125(金)埋文

2 風土・土徳、年中行事             〈237ページ〉
1、「節談説教の背景」『日本の歴史と芸能』H319910610、28P(本文24P)
2、「節談説教」参考「対談―芸能の風土・芸能民の歴史」平成3年1991、11P
3(参考)一向宗が重宝「御夜話集」1P
4、「オザ」と真宗門徒『人づくり風土記・石川』平成3年199110520、12P
5、「日本海における半島の宗教民俗」男鹿・能登『東北の海の民俗』昭和61年・19860724、20P
6、「農民の暮らしと信仰」『石川歴史館』4p
7御国政に付き申し上げ候帳冊2p
8御国政との出会い・O氏2p
9舞台丨土徳、塾、記事20180625、2p
10風土3点「まれびとの国」能登立国1300年2018年北國3P
11「加越能一如」の心を2018年2月23日富山新聞5P
12「薬師の里」十二願、七作仏、能登19号3P
13根上・民間信仰・観音4p
14志賀五輪板碑70基2005(平成17)北國2p
15行事・項目(案)5P
16小林家年中行事『尋源』38号24P
17中島・門前の仏教・真宗(概観・町史)15P
18O氏へ、小林、橋本年中行事・御国政・村松家由来3P
19年中行事『中島町史』30P
20仏事概論『中島町史』通史6P※鹿島は「講」に
21年中行事~盆『能登島町史』7P
22加賀門徒地区の年中行事・根上本文13P
23(参考)年中行事と真宗国、加民・長岡博男氏2p
24(参考)門前町諸岡の正月行事、加民・佃和雄氏2p
25正月御座・月忌(とき)始め能登島・鹿島2p
26「蓮如忌」『日本民俗大辞典』1P
27彼岸3月9月鹿島・根上1P
28花祭り中島町史』2p
29青二十日西谷内・サノボリ『中島町史』3P
30祠堂経・別経、門前3P
31盆・雨乞い9P
32「報恩講・お取越・御講凪」『日本民俗大辞典』おしっちゃ・引上会3P
33報恩講(引上会)門前、中島、能登島、根上7P
34すす払い3P                               
(参考)能登立国、20180514石動山1P
(参考)改悔文、千代尼句、刷り物

3用語論(他力本願・あう)儒教・教義          〈169ページ〉
1真宗門徒の日々『宗教民俗研究』第17号2007年、辞典8語33P
2他力本願記事・地鳴り『広辞苑』9P
3門徒言葉・民俗語で真宗は語れるか.レジメ2p
4「中瀬序文」『百姓覚えた者はない』平成17・2005、2p
5-1柳田にもあった走り移民・中瀬精一氏4p
5百姓覚えた者はない・項目4p
6※前出?『年中行事、日本民俗用語』残すべきもの12P
7『日本民俗大辞典』項目13P
8『日本民俗大辞典』項目・執筆者13P
9儒者関係全てブログ物忌み論(仏忌、太宰、御文)24P
10儒者教行信証』と論語7P
11儒者各論・季路問、事鬼神4p
12儒者・?蛄春秋を知らず・荘子4p
13聖学問答・太宰春台2p
14物忌み論(悲嘆述懐、仏忌御文、太宰・門徒)7P
15(参考)門徒ものしらず論・森・太宰春台23P
16「あう」「値う」「遇う」について2p
17こんごう『日本民俗大辞典』1P
18末法論・穆王3P
(参考)春すすめ、加民・山下久男氏1P
(参考)門徒衆・用語・木遣り、加民・松原一秀氏4p
4年表・歴史・一揆        〈65ページ〉
1一向一揆真継伸彦氏ブログ8P
2決定版、近世年表―お斎、千代・一茶30P
3西勝寺と同時代記年表15P
4(参考)年表千代女5P
5(参考)年表一茶以降7P

Ⅱ  蓮如 講 御消息・御崇敬・説教・和歌・民謡・同行    (266+215=481ページ)

1 蓮如・蓮能尼・白比丘尼一揆期        〈266ページ〉
1「現代に生きる蓮如蓮如と北陸―」『蓮如のすべて』1995年19P
1-3「蓮如習俗論」『講座蓮如』第2巻41P
1-2「北陸の蓮如忌」教行社平成5年(1993)13P
2「蓮如上人と伝承」略年表3P
3「蓮如太鼓」12月常田富士男氏2p
4『蓮如真宗行事』はじめに、研究史14P
5「一刎蓮如道」能登24号2p
6蓮如上人伝・論『蓮如さん』北陸の宗教民俗19881025、13P
7(参考)お文御書・表
8百姓の持ちたるような国・門徒の持ちたる国ブ7P
9蓮崇本・いきさつ郡誌7P
10(参考)蓮崇本・ヘンジャ御書取り決め3P
10蓮崇本・ヘンジャ御書「珠洲の風物詩」能登2p
11蓮如上人全て・高山別院蓮如忌09年3月29P
12嫁おどしの面『蓮如さん』2p
13(参考)嫁おどし肉附き面・藤島秀隆氏1996年平成8年5月12日3P
14蓮如忌レジメ・嫁脅し面など全13P
15極楽へ我行くなりときくならば『わが家の仏教浄土真宗』四季社200406、2p
16※なし
17五帖御文に見る男女9P
18御文「誓玄本」の行方、含光教寺順誓9P
19真野書評『蓮如真宗行事』北國新聞2p
20雪の果ての蓮如さん(上)北國対談昭和56年4p
21伝承の中の巨人・北國平成10年2月12日(木)3P
22金沢ケーブル放送・連続蓮如・案項目18P
23蓮光寺小仏・釶内2p
24-1蓮如35歳「白比丘尼」「能登」7号『能登のくに』6P
24-2蓮如35歳「海ゆくツバキ」「能登」27号2p
24-3蓮如35歳「白比丘尼輪島市常田富士男氏2月4p
25蓮如真宗行事、後書き2つ4p
26蓮如忌―門前・中島・根上4p
27蓮如さん現代講・北國新聞平成10年4月9日(木)3P
28道西・町野総道場、木地師の里・永光寺年代記5P
29蓮如が歩いた北陸の地・北國新聞、平成8・19960317、3P
30正光寺室町時代の位牌・蓮能尼19881226北國記事1P
31蓮能尼の手紙、大桑氏へ20170910、12P
(参考)蓮如上人御遺言6P
(参考)百姓は農民か?(網野善彦氏)7P
書評『蓮如北國新聞2004
2 御消息・講・御崇敬・漆           〈215ページ〉
1講、鹿島『鹿島町史』20P
2講、中島『中島町史』6P
3「講と民間信仰」『新修根上町史』通史編平成7年3月31日23P
4講・門前、中島、能登島、根上、小松教務所26P
5法義相続の諸相―講レジメ2p
6(資料)御消息、真宗近世資料制作年12P
7「御消息とその時代」『御消息について』12P
8御消息について『新修門前町史』2p
9根上町の御消息10P
10御消息一覧表・根上8P
11御消息~日講以外一覧4p
11御消息一覧表2p
11(資料)御消息一覧表1P
12「御消息」地域宗門史を整理19901202北國新聞2p
13(資料)御消息表・御消息データー
14(資料)御消息発給日一覧
15「御消息」と近世の教化※表は別32P
15(資料)表「御消息」と近世の教化
16珠洲歓喜光院御影について2006作4p
17御崇敬、年表歓喜光院~、3山資料11P
18御崇敬『中島町史』『能登島町史』9P
19御崇敬『日本民俗大辞典』1P
20御示談最終回を迎えて3P
21御崇敬・不時御崇敬勤修状況・和田勝氏調べ20P
22御崇敬北國「能登の御崇敬」19831123富来中山、砺波和年氏5P
(参考)ままお講の復活、内灘加民・中山又次郎氏
(参考)鳥屋町の講・加民・小倉学氏10P
(参考)田の島のお講、加民・小倉学氏3P
(参考)講の調査、加民・林昇氏5P
(資料)乗如上人以降年表歓喜光院~11P

Ⅲ 説教・和歌・民謡・同行 周辺                             (217+212=439ページ)

1 談義・説教・節談       〈217ページ〉
1※a2の風土で使用―節談『踊る人々』1991年23P
2「節談説教」(『石川県の民俗芸能』)9P
3節談例・広陵師含・民俗芸能例3P
4表・年表・説教2003年1月(高岡7組レジメ)3P
5舞台北國「民話の力」020204、2p
6(参考)安津見の伝説、怪力しろく話・加民・今村充夫氏5P
7-1引砂のさんにょもん『伝説とロマンの里』2p
7-2引砂の三右衛門話・北國連載民話2p
8-1猿鬼「能登」17号2p
8-2猿鬼2002北國連載民話、4P
9-1千ノ浦又次・北國連載民話3P
9-2千ノ浦又次、常田富士男氏3P
10-1千石の豆の木「能登」22号2p
10-2千石の豆の木解説4p
11長太「済度される鬼神―続き因縁話の世界」(『説話論集』第16集)42P
12(資料)長太狢記序并ニ長太異形の事13P
13-1 長太『能登志賀町の昔話伝説集』4p
13-2長太『能登のくに』6P
13-3長太北國新聞連載民話2002年11月11日、3P
14石山合戦など、塩谷菊美氏とのやりとり5P
15「民間信仰と和歌」『加能民俗研究』7号19810330、15P
16和歌の流れ論・観経~連歌・~蓮如、42P
17「聖人追慕和歌」ファイルから。冷泉等覚など人物4p
17「聖人追慕50首」翻刻大谷俊太氏6P
18経緯550回忌追慕和歌[ブログ]2p
19貴族らも和歌で追慕親鸞聖人550回忌新史料を発掘「北國」文華欄20131219、3P
20-1聖人追慕和歌・北國2p
20-2聖人追慕和歌・朝日新聞2p
20-3親鸞 五百五十回忌の和歌「北陸中日新聞」2p
20-4五百五十回忌頃の出来事1P
(参考)論文、和歌一遍が作り、親鸞は作らなかったか
(参考)白山の垂迹
2 民謡(目連、いろは歌、数え唄)、和歌、相撲   〈212ページ〉
1目連二話・来歴・くどき・おんない『庶民生活資料集成』26P
2目連、高梨一美氏『東アジアの祭祀伝承と女性救済―目連救母と芸能の諸相―』7P
3高梨一美氏『沖縄のかみんちゅたち 女性祭祀の世界』などやりとり8P
4目蓮尊者「じょうかべ」5P
5東蟹谷ちょんがれ節・おやべ4p
6法話資料・目連『真宗聖典』4p
7「越中の民俗信仰」伊藤曙覧氏・書誌紹介2p
8「消えゆく能登の法事歌」昭和56年1021、5P
9『信後相続歓喜嘆』抄22P
10「口頭伝承」民謡とわらべ唄(部分)『能都町史』昭和55・1980、14P
11『七尾の民謡と子守歌』10P
12盆踊り・盆、相撲『鹿島町史』6P
13『金沢民謡わらべ唄』・福井民謡23P
14『石川県の民謡』昭和42年5月10日北陸放送版15P
15「まだら」『能登のくに』5P
16やれやれ参考だいつのオカッツアマ・加民・長岡博男氏1P
17(参考)なむぶつ・ほたるこい加民・長岡博男氏3P
18『おやべのうたごえ』昭和53年3P
19(資料)井波御坊大持曳歌信心盡20P
20数え歌・安心数え歌尾口村2p
21表道場「信心数え唄」2p
22信心数え歌・広陵兼純氏2p
23数え唄・いろは歌論2p
24信心数え唄・松岡なみ桑名池田勇諦氏3P
25「能登の暮らしに息づく相撲」「北國文華」15P
26相撲『鹿島町史』3P
3 巡拝、同行・妙好人           〈74ページ〉
1順拝「江戸の道・巡拝の道」『能登のくに』6P
2真宗旧跡御御順拝・論14P
3豊四郎その他巡拝帳23P
4句を通して妙好人に・小栗純子氏批判2p
5千代尼と領解文・中野白暮、ひとことなど20190323、19P
6用語論・妙好人ブログ4p
7大拙・信心の里、2006年平成18年6月3日北國2p
8二十四輩聖人の歌。枕石寺縁起4p

Ⅳ、本尊、哲学、権現・判然・祭、太子、盆、葬、料理・斎、共同体、法話、今後                                  (31+188+35+79+80+41=453)
1 本尊、哲学、講師、五来    〈31ページ〉
1初期のお内仏・門徒託8P
2真宗法宝物・門徒本尊3P
3五来重氏の真宗、善人・悪人論16P
4五来先生の思い出2108,3P
5戸坂潤氏と仏教・北陸中日,1P
(参考)高野山における親鸞聖人像
2 権現、神仏判然・祭り     〈188ページ〉
1移り行く行事の日1998平成10年3月30日1P
2真宗と観音「根上町史」2p
3権現メール御国政・村松、小林家、末世、キリコ・山車、石動、蓮能尼20170910安居後7P
4権現O氏とのやりとり・北國・中日執筆24P
5真宗と権現・神祇―問メモ3P
6真宗と神祇―白山と真宗2p
7石動権現・藤原家通
8「この人に聞く―祭り―」朝日新聞6P
9「祭りの国」深い背景2016年(平成28年)3月5日中日2p
10「七夕ギリコ・盆ギリコ」『奥能登のキリコまつり』10P
11タタキド祭り・共同体行事が問いかけるもの2013、2p
12祭り論―金沢、能登、キリコ『おもしろ金沢学』16P
13O氏秋安居後丨七夕ギリコ・山車・石動山6P
14「金沢の天神信仰」『北國文華』14P
15「天神・地蔵と異界―都市金沢の宗教空間―」『情念と宇宙』21P
17書評「能登国三十三観音のたび」『宗教民俗研究』第16号2006年(平成16年)4p
18真宗が関わる能登国三十三観音「椿森」「鹿渡島」「万行」「江曽」15P
19真宗が関わる能登国三十三観音「小田中」「柳田」「高田」「谷内」20P
16前書き「能登国三十三観音巡礼札所について」『能登国三十三観音のたび』6P
20能登文献・論文能登国三十三観音巡礼札所2p
21「真宗の―」絵馬論やりとり16P
22「蛸島早船狂言」口上、由来書8P
23※長太ムジナにも「はいや音頭」
24仏を拝む神職2家P1
(参考)権現本地
(参考)女人参詣・御文来意鈔一帖7通
(参考)『カミとホトケの幕末維新』参考天神金沢二十五天神表
(参考)大坂観音1P
(参考)天神金沢二十五天神表
(参考)能登国三十三観音「若部住吉」
(参考)能登国三十三観音石動山
(参考)「真宗の文芸世界と絵馬文化」戸澗幹夫氏
3 太子・太子講        〈35ページ〉
1太子縁起、和讃などの引用3P
2真宗と太子信仰・井波レジメ1996042118、18P
3春のタイシと暮れのダイシ6P
4「慈悲の象徴・聖徳太子」ロータリー2p
5太子講『能登島町史』1P
6太子所蔵・津幡・金沢地区3P
7本念寺 太子縁起2p
(参考)さまざまの真宗法然、女人、コンゴウ・蓮如35歳、御消息年表など
(参考)考太子資料10ヶ寺能登地区・歴博
(参考)歴博48太子縁起22P
4 葬制・盆・年忌           〈79ページ〉
1「水と信仰」『いしかわ』11P
2四門「奥能登に見る真宗以前」昭和56年5月21日5P
3「鹿島・盆」踊りは別『鹿島町史』5P
4盆・ぼん踊り、門前、鹿島、根上『能登のくに』8P
5こんごう能登島など4p
6「葬儀・法要・墓制」『門前町史』24P
6-2「葬制」中島6行追加1P
6-3「葬制」能登島昭和58年21P
(参考)こんごう武生地方のコンゴウ、加民・斎藤槻堂氏
(参考)対談七夕・盆・加民5P
5  精進料理・斎(六斎)      〈80ページ〉
1「斎(とき)」『日本民俗大辞典』1P
2「真宗と精進・お斎料理・行事」一切経~レジメ23P
3「真宗と精進・お斎料理・行事」康永~レジメ9P
4「真宗における精進料理」若坊守レジメ3点、36P
5「輪島塗の彩」「自然人」1993、9P
6「輪島塗」江戸期から論・全国ブランド平成2、19820126北國2p
(参考)「とき・斎」『真宗大辞典』
(参考)「實悟記」斎・精進
(参考)ほんこさんとお斎レジメ食平等8P
(参考)親鸞と小豆がゆ、加民・伊藤曙覧4p
(参考)進士流1P
(参考)当屋・もっそう、加民・小倉学氏1P
(参考)律令・六斎日『日本思想体系』
6  共同体、老人、女人  周辺・エッセー、今後  〈41ページ〉
1「共同体におけるお年寄り」『老熟の力』17P
2新聞「半島に刻む戦後70年の記憶」2015年(平成27)中日2p
3「磯部に消えたか福子伝承」北國新聞・昭和59年(1984)1月24日2p
4「ユートピアに生きる鬼」新聞1998年0201、3P
5竜女・女人の参拝・雨乞い『能登のくに』の真宗化4p
6壁谷一郎家 明日ありと・・・碑7P
7私の聞法昭和60年(1985)7月3日・北國4p
8「笑顔の扉」2061月、今現在説法4p
9野辺の送り7p
10蓮能尼の手紙・誓玄本2p
11真宗年中行事と聴聞・聞法・12組門徒会13P
家とは最後の場所分析、展望
(参考)大小の月、民衆教化
(参考)5に使用Oさん20170910、8P
(参考)思い出の手紙―網野善彦
(参考)書評『日本史の中の女性と宗教』
(参考)半檀家制文献・野口武徳氏
(参考)法然聖人行状絵図卅四部分

北陸新幹線・初乗り

6日三保と別れてから、静岡~東京に行き、初めて北陸新幹線に乗った。

目線が高いので、遠くまで見えて新鮮だった。

が、ワッサカワッサカ走って忙しい・・・。

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黒部宇奈月近く


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黒部川か?


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飯山付近

 

美穂・三保ー羽衣伝説

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羽衣を松に掛け、水あびをしている天女。羽衣を隠した在所の若者と結ばれるパターンが多いが、三保・美穂の話は一日で天へ帰っていく。


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羽衣の松付近。能「羽衣」は観世?。最も海辺寄りの松のはず。


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松通り。海と美穂神社とを結ぶ松の道。御仮屋へ向かうキリコを思ったが枝がつかえるので、足元周りを照らすのは精々提灯かな。


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美穂神社境内、神楽殿。ここへ来てみて、三保は出雲美穂が関・ミホススミ神と同じだと知った。珠洲(スス)も同じである。頭の中にトライアングルが出来た。


 学生時代の友だち、瀧口さんに案内してもらって、三保の松原・天女の里を歩いた。

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

6日(木)清水の夜明け~用宗を歩く


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用宗駅。先輩の家を訪ねて(50年ぶりかその後1度父君のお葬儀に会っているので40年ぶり)用宗へ行った。歩いて歩いてたどり着き、会えた。


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清水駅前広場、港側(北口とか西口とか有るのだろうけど、方角が分からない。朝日が昇る方だから東口方面?)


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5時10分清水港方面


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清水の朝焼け。6日4時42分