天女の羽衣ー能登町・田ノ浦海岸―(地産地消文化情報誌『能登』34号)

「天女の羽衣―能登町・田ノ浦海岸―」

34号が25日に届いた。
本文では触れることが出来なかったが、蓮如上人が「正信偈大意」に天女の羽衣の重さを書いておられる。
お書きになっている通りに重さを量ったところ、それが6グラムだった(昨年9月25日、七尾「御祓川」で)。
そのことにも触れながら、能登の天女伝説を書こうと思って書いた、その本が届いたのである。
 f:id:umiyamabusi:20190126125326j:image
能登」34号
f:id:umiyamabusi:20190126125322j:image

f:id:umiyamabusi:20190126125317j:image
重厚で、綺麗な本に仕上がっている。

切り株だけの衣掛柳

そして、今朝、朝日新聞に「天女が舞い降りた湖」の題で余呉湖が載っていた。
f:id:umiyamabusi:20190126125504j:image
「天女の羽衣」の導入に、三保と余呉の天女の羽衣を書いた。
三保は羽衣伝説の代表だし、
余呉は、加賀藩主の祖とされる菅原道真出生伝承と関わる、天女の羽衣だからである。
本文には

 また、余呉湖(長浜市)には、加賀藩主前田家との縁を伝える「天女の衣掛柳」がある。
それは、湖水で狩りをしていた武将が菅沢で天女がたわむれているのに出会い連れ帰る.三年経って子が出来たのを機に天女は天に帰っていく。
 その子が加賀藩主、前田家の先祖の菅原道真だというのである(『三壺聞書』)

と書いた。
『三壺聞書』は、宝永年間1704~11に、加賀藩士山田四郎右衛門が著した越登賀の武将・名将の記録。

その余呉湖の天女伝説が、本の届いた翌朝の新聞に載ったのだから、偶然に驚いた。
文を読んでいくと。

余呉湖に残る羽衣伝説は、14世紀にまとめられたとされる「帝王編年記」の723年の条に、記されている。話はこうだ。
 昔、天女が舞い降り湖で水浴びしているうちに、男に羽衣を隠される。天に帰れず、男の妻となり子をもうけたが、やがて羽衣を見つけ天に帰る。男は嘆き暮らした―。伝説はその後、男は「桐畑太夫」、子の一人は後の菅原道真、などと広がりを見せる。
 「子どもの頃はよく伝説を聞かされた」。余呉地域づくり協議会で伝説の発信などに取り組んできた水上仁昌さん(73)はふり返る。中でも、今に残る象徴として大切にしてきたのが、天女が羽衣をかけたとされる「衣掛(きぬかけ)柳」だ。
 衣掛柳は、江戸時代の宝永年間に余呉の庄屋が地元の菅山(かんざん)寺へ伝説を報告する古文書に出てくる。羽衣掛の柳は昔から根元の株が枯れることなく、大きくなっても上へは伸びず、衣が掛けやすいように枝葉が横に広がつている―。
 昨年末、伝説の柳を見ようと湖畔を訪れると、切り株だけが寂しく残っていた。聞けば、高さ約18㍍の柳が2017年秋に強風で折れたという。水上さんは当時ショックを受けたが、「絶やしてはいかん」という思いも強まった。そんな折、木からひこばえ(若芽)が出ていることが確認された。

とあって、写真の柳は2017年秋に折れて、切り株だけになっているのだという。
驚き二乗だ。

もうこの柳は無い。
この右下に載っている写真
f:id:umiyamabusi:20190126130551j:image
貴重な写真になった。
いつ撮ったのか調べて見ると、2011年4月4日、親鸞聖人750回忌記念展を見るため、長浜付近を旅し、3日に余呉湖畔に泊まった折の写真だった。

-その時,長浜近くの小堀泰道君のお寺へ寄ったのです。ー

衣掛柳―2011年4月4日撮影

その時の写真を、載せる。
f:id:umiyamabusi:20190126154437j:image
羽衣対岸(琵琶湖寄り)国民宿舎前からの余呉
f:id:umiyamabusi:20190126154431j:image
同上
f:id:umiyamabusi:20190126154426j:image
四日朝、同上
f:id:umiyamabusi:20190126154422j:image
余呉湖北側周回道路脇 碑文「魚魂浄地」
f:id:umiyamabusi:20190126154415j:image
右碑には「北野神社𦾔地」とあって、道真との関係を物語る。
f:id:umiyamabusi:20190126154410j:image

f:id:umiyamabusi:20190126154405j:image

f:id:umiyamabusi:20190126154359j:image

ひとこと真宗余呉の太鼓踊り

余呉には、無形民俗文化財「太鼓踊り」がある。
そのいわれが、『滋賀県湖北昔話集』に載っている。f:id:umiyamabusi:20110402180504j:image

余呉 太鼓踊りの由来」
f:id:umiyamabusi:20190126162734j:image

能登から原木を髪でなった縄で引っ張ってきた人足の疲れを癒すために、太鼓踊りを踊った」との抜き書きが出てきた。

滋賀県湖北昔話集』國學院大學説話研究會編 昭和60年2月刊。
ガリ版刷りで524ページ。限定140部。
もうこれは稀覯本だろう。その、貴重な書物に、能登余呉を結ぶこころ暖まる話が収載されていた。
索引から―話者・橋本四郎、住所・下余呉