「妙好人を育む 別院・風土」高岡教区大三組第二小会 第4回同朋のつどい テーマ 別院のある暮らし 於城端別院善徳寺   

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血染めの御名号。1997年5月30日撮影。10字と6字の名号で特に6字には血書の跡が見て取れた。


 

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このような立派なチラシが用意されていた。

法話が始まる1時間前に見た。

 

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 キーワードが妙好人

鈴木大拙師は、数え60から真宗を世界に広めたいとの願いを持たれ(『鈴木大拙 真宗入門』佐藤平訳)、まず英文で(於けるニューヨーク、アメリカン・ブッディスト・アカデミー)真宗入門を講義なされた。どれほど高邁な理論であろうとも、法のみ、あるいは実践不可能な行であれば、教にはならない。

末法に唯一残ったというか仏教の根源が表にあらわれ生き続けたのが、凡夫の救い=真宗だった。

その行者の代表が「妙好人」、と考えたのが大拙の60過ぎだったようだ。

その妙好人は、赤尾の道宗にはじまり石見の才一によって理想の一つの完成と捉えた論が載るのが『日本的霊性』である。

上は『日本的霊性』(角川ソフィア文庫)の目次。

ならば、道宗さんのお寺を何を置いても訪ねなければなるまい。

朝7時過ぎに珠洲を出発して一端城端別院を通り過ぎ赤尾へ向かった。

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 散居村展望台より

 

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 小栗栖(こぐりす)地内

 

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 赤尾山道善寺・上新屋

弥七御書がある。

 

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上梨白山宮

このFB友だちで白山大好きの方がおいでるので、一枚。石碑には「こきりこの(里?)」と刻まれている。

だいぶ前のことだが、ここを通った時、舞台を組んで「こきりこ節」踊りを踊っておいでるのに出会ったことがある。

 今年の5月11日~12日に白山宮御開帳三十三年式年大祭が行われていたのだ。

三十三年は白山本地(十一面)観音との関わりによる。

 

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 漆谷・慰霊碑

碑文

殉難の記

昭和十五年の新春は奇しくも雪の無い

穏な日和で迎えたのであるが、一月二十四日から

降り始めた雪は連日連夜止むことなく

降りしきり住民は屋根雪おろしに明け

暮れる毎日であった。一月二十八日の午後雪始末の

一段落した上の村の人たちは念佛道場の

雪降しのためかんじきを履き丈余の雪を

かき分けながら村中谷にさしかかったところ

大音響とともに表層雪崩が発生し

一瞬にして民家四戸と十三名の尊い

生命を奪ってしまった 嗚呼時過ぎて

五十年今もなお痛恨の極みであるが

ここに亡き十三名の冥福を祈って碑を建て

常磐に慰霊の誠を捧げる

 平成二年清秋

 

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 漆谷道場

「血染めの名号」がある。

天正元年(1590)、本願寺織田信長に対していた時、諸国の門徒に檄文を送った為、越中、加賀、能登に大規模な一向一揆が発生した。五箇山門徒一揆に参加する人達は漆谷念仏道場に集結し、寺宝である蓮如上人真筆の無碍光仏・六字と十字の名号・正信偈文4幅に血判(43名)を押して出陣したと伝えられている。

能登教区十組門徒会の方々をを引率して訪れた時(1997年5月30日)、「血染めの名号」を拝見したはずだったが、あれから22年この場所にたどり着くのがやっとだった。

 アルバムに当時の写真があった。

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1997年5月30日、能登教区第10組門徒会研修旅行引率の折、今杉が切られている。

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血染めの御名号。1997年5月30日撮影。10字と6字の名号で特に6字には血書の跡が見て取れた。

この年、続いてメインの目的地である道宗さんのお寺に寄った。

そこで坊守さんが正座し、やわらかく由来を解説し語って下さった。門徒会の幹事や手伝いは元高校校長さんたちだったが、語りの素晴らしさにこぞって感動し、絶賛なさった。もちろん、引率していた私もである。

それから、8組、紫会などの坊守会研修でも道宗さんのお寺を訪ね、お話しに聞き入ったものだった。

当時の写真を拡大したりして見ていると、薪に寝る有名な道宗像の上部に、道宗の法名がかかっており、「永正十三年五月二十日 行徳寺釈道宗」と読める。

ご命日にお参りしていたことになる。

何という偶然、その日別院でお話ししたのだから、そのことを知っていたら切り口も変わっただろうな、と少し残念気分。

が、このことがきっかけで、お話しなさっている写真も含め貴重な写真に出会えたのだから、行ってきてよかった。

次世代の方も素晴らしい方だった。

 

 

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午後 講義(城端別院)

その後、大福寺さんで勉強会、懇親会。

桜ヶ池クワガーデン泊
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二十一日朝、城端の景観。

 

帰り、引用した『真宗入門』の訳者・佐藤平(顕明)さんと深い関係がある松扉さんのお寺にお寄りし、先人を偲んだ。