女人は女性か? 男子は男性か?
今朝の朝日に
と題する記事が載っていた。
コメントを寄せてる方の中には、面識のある方もおり、名しか知らない方もおいでるがそれぞれに見識を持っておいでるかたなのだろう。その文を載せないで語るのもなんだが、一般論として釈然としない点を書いておく。
コメントしないという選択肢もあるからである
思い出すのは北九州で壁画古墳が見つかったとの大ニュースに考古学者で発言しなかった方々(あとで、高校生の時いたずら書きをしたと名乗り出た方があった)。
円空仏で名高い円空の書いた書物が見つかったとの大ニュース。その時、わたしの師である円空仏研究でも知られていた五来重氏は一切発言しなかった―あとで現代人が書いた贋作だったことが判明。
釈然としないのは、正像末の歴史観、法華経、社会法である儒教に触れないで、全て真宗内のこととして見る傾向に対してである。
ー以下、さーっと流し読みした印象ー
そこに男性の関係者が何人かいて、女性を語ってはいたが「変成男子(なんし)」(法華経提婆品)の「男子」については、誰ひとり触れていない。
彼らは、まさか自分を変成されて行き着く「男子」と思っているのではあるまい。
今の男性は、「われら五逆十悪」(蓮如上人)の凡夫以外は存在しないはずだ。
なのに、
(「愚昧の今案」を語られなかった親鸞聖人とは違い)今案を、時代背景まで持ち出し女人を語り、
「男子」に触れようともしない学者さんや教学者しかいないことはない、と思いたいのだが・・・
懺悔してもらわないと、ただ混乱するばかりだ。
それらを抜きにして大新聞に意見を語る人たちは、善知識?生き仏?のこころ(慢)になっていはしないか・・・。
ハハァー・・・。仰せの通りとはいかない、
もちろん、差別はあってはいけない、あたりまえのコメントに、
皆、同じようなAAAA・・・が、ならぶあたりに
何かが劣化(端的にいうなら―問題整理が出来ない)しているように思えてならないのだが・・・。
と、あらためて見出しを見ると「男性に生まれ変わって成仏」「夫・子に従うべき」・・・とある。
見出しも見出しだ
男子と男性は違うよ、儒教社会(三従、五倫五常社会)における仏典翻訳の問題、それをはっきりしないと言葉が一人歩きしますよ、
と、コメントを求められた人の中で、誰かが言っていてもいいような気がするのだが・・・。
聞かれた通り・・・反応しているのだろうな
多分フォルダーで言うと上位フォルダーになる
第3願(悉皆金色の願)は
どうなるのだ?