能登半島地震。漸く連絡が取れだした紫会エリヤ


能登沖地震

25日午前9時42分。のちに能登半島地震と名づけられる地震が起きた。


その日観光ボランティアガイド研修「椿の里を訪ねて」があり、会員のうち参加予定の14名は珠洲市役所前にいて、すずなり市場(旧すず駅)には金沢方面を中心とする参加者9名が待っておいでるはずだった。


出発時間までしばらく時間もある。私は市役所前で取材においでた新聞社支局長にコースなどについて説明したり、雑談していた。


その時、自分で気づいたのか、誰かがオヤッ、停電?と言ったのだったか、停電になったなぁ…と、思う間もなく五階建ての市役所がワーと揺れ出した。
腰をかがめながら駐車場の真ん中へと動き、揺れの収まるのを待った。


遠方からも来ておいでる企画を中止には出来ない。
家を心配しながらも予定通り進めた。

夕方~

夕方の余震では柱にしがみついた。家人たちは揺れのなかを動いていた。
「あぶないがィ、なにしとるげ…!!」と、へっぴり腰でしがみついたまま、当主らしく注意ことばに置き換えて、悲鳴を上げた。


朝の揺れに比べると…問題にならなかったので動いていたというのだが、外にいて地震に出会っていた私としては、家での揺れはギャーでしかなかった。


25日は、見舞いの電話・メールなどはポツポツ入っていたが、夜9時近くから頻度が増した。そこでつながりにくくなっている状態が緩和されつつあることを知った。


TVでは輪島河井ー鐘樓倒壊・鳥居崩壊、門前門前ー寺院・通りの建物倒壊・半壊、道下(とうげ)ー多くの建物倒壊、深見ー道路に落石で孤立、能登有料道路横田インターー道路陥没、を流し続けている。

珠洲市仏教会講演会ー講師・太田浩史師ー

26日珠洲市仏教会講演会(講師・南砺市となみ民芸協会長、真宗大谷派大福寺住職太田浩史氏)の会所。
講演を聞いている最中に、本堂が一度ギシギシ揺れた。

推進員協議会講義

27日推進員協議会講義。50名近くの参加。
みなで『正信偈』をお勤めしている最中に白壁が落ちた、が、壁の下近くの人以外はお勤め中でもありほとんど気づかなかったようだ。
時計が10分遅れているのは地震時の停電時間、今、壁土がちょっと落ちた旨を伝え、講義に入った。

紫会

次回の紫会は、4月6日に道下と接する黒島のお寺を会所として行う予定になっている。
黒島は震源地により近い。
26日夕方、会所と隣接する5組の坊守会長さんから、6日は中止せざるを得ない旨の電話が入った。
生かしていただいた、との電話口での声。
そして、勉強会ができません、すみません…とやっと通じたであろう電話の中で、一時も猶予のない状況の中で、お詫びの言葉をおっしゃった。


27日、6組の会長さんに電話が通じた。
前日ご主人の住職さんがようやく1時間寝た、電話も前日の晩から時折通じるようになった、水がないのがこたえる、とのこと。
私の電話を携帯に転送し、ヘッドホーンのようにして、動き(働き)ながらお話しなさっているとのこと…。
電話を切る間際に、この方も研修会開けなくてゴメンナサイ…とおっしゃる。


こんな時にあってもやさしい言葉がでてくる人たちに、せめて水とチョコレート(しか浮かばなかった)ぐらいは届けたいと思った。
チョコレートを食べれば元気が出る。喉が渇くので水(お茶)の発想だ。


輪島・門前の親戚も断水状態だという。
28日の午後からは体が空く。


昨日(28日)の朝、お朝事最中に余震。座ったまま動けず。


その後、ホームセンター、スーパーへ行き。20㍑用ボトル2、10㍑4,清涼飲料水・お茶ボトルそれぞれ30本、チョコレート15箱、軍手40枚を購入。
親戚3ヶ寺には、栗ご飯も用意し、ポット4本ずつとチョコレートの組み合わせを15袋作って輪島・門前に向かって出発した。
途中、先日コンビニの経営者夫婦に親戚に見舞いに行くときはチョコ、お茶を買っていくよ、といっていた手前、そのコンビニに寄り、さらにお茶20本、チョコ30箱、地震にどうのという飲料水ポット24本入りを積み込み…
能登空港前でガソリンを満タンにして最初の目的地に向かった。


紫会は7,6,5組にそれぞれに会長・副会長がおいでるので6ヶ寺、その方々と隣接するお寺2ヶ寺、親戚3ヶ寺、門徒さん宅1軒。
そのあと中島町の2ヶ寺に寄って帰る、という予定で動いた(この中島周りは通行止めで引き返した)。


順路は、輪島市熊野、石休場、河井、気勝平、繩又、旧門前町皆月、高根尾、広岡、黒島、阿岸である。
熊野、石休場は28日の朝方水道が復旧したのだそうだが濁っていて使えず、皆月からは断水。


能登町柳田の橋からすでに道路の方が低くなっていたが、道路のひび割れはもとより、震源地に近づくにつれ陸地が全体にひどく陥没している印象を受けた。15万キロ走った私の車のシートが沈んで弾力がないように、道路や景観全体が低い目線から眺めているような感じなのである。


橋やマンホールが随分高く、門前に入ってからはマンホールを避けながら運転せねばならない状態だった。
高根尾へ行く道、広岡、黒島、阿岸はTVでは映っていない地域で、川を挟んで門前・道下の反対側の田村・高根尾道は20㌢ほども水道の取り出し口が道路に突き出ていた。
24㌢陸地に動いたといわれているが、土が一気に川・海に流れ込んでしまった…それが特に門前の海岸部近くにかけて起こった、の印象…
 

ずーっと凸凹・段々になっている道を走り続けたため、夕食のラーメンを食べに入った店では、食べている間、体が揺れ続けていた。

 
地盤が広い範囲で沈んだ…で充分…。
個々の被害は書かない。
(※後、新聞で確認したところ液状化が原因と見られる最大で約一㍍のマンホール浮き上がり現象とあった。)


0じゃなくて、1からの出発です。
長い歴史にはこういうことも多くあったのでしょう…。またはじめればいいのだと思います。
しばらく遠く(の親戚方)へ行きますが、またお会いできたときには…

 
こういう重い言葉も承った。


通れる道は結局一本しかなく、家に、午後9時に帰った。

f:id:umiyamabusi:20070325155932j:image我が家の被害。戸の開き具合から10㌢ほどの横揺れがあったようだ。
燈籠がこうなので、古い墓石、建物は想像できる…であろう。