石動山(天平寺)と東西を結ぶお寺

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木魚を枕に寝ている可愛い小坊主を見ることがあるが、これは大きい。一休さんばかり思っていたが、鼠がいる所を見ると、涙でねずみを描いたとの説話のある小僧時代の雪舟のようだ。


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この奥に、それぞれのお堂が出来る前の三社権現があった。152段の階段を奥に、今も奥之院と呼ばれているのだろうそこからの景観がすばらしかった(邑知潟開拓前は、より素晴らしかっただろう)。


間もなく夏至だからと言うわけではないが、中間の彼岸の日、朝日が石動山からあがり、邑知潟を通り、真西に沈む地にお寺がある。

20代から何度も調査し、『能登国三十三観音のたび』(北國新聞社刊・絶版)にまとめた。

17日羽咋能登教務所での4組合同坊守研修会に出向く折、時間の余裕があったので、訪ねて見たくなり寄った。

 

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40年ほど前、この近くにお住まいの門野實さんが、能登国三十三観音御詠歌について書いておられることを知り、訪ねたことがあった。その門野さんの本にひょっとしたら芭蕉句碑が出ているかも知れない、と探すのだが見つからない。門野宅は今はない。



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門野實著

万葉集能登
昭和41年8月発行。
発行所鳥屋町公民館。

 

あの時は、夜、門野家にたどり着き、札所を訪ねている旨を話すと、若いのにとすごくお喜びになられ、夕食だけでなく風呂まで沸かして、もてなして下さった。

門野さんはお医者さんで、家で開業しておられたのだった。

 

能登国三十三観音のたび

能登国三十三観音のたび