燈籠山祭り前日―19日

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町内最東へ。雨模様でシート。

飯田の祭礼は、20日恵比寿と関連した日取り。

海辺の町内では、かつては渚・海を曳いた。

19日は各町内をお披露目で曳いて歩く。

キャーラゲ、笛・太鼓・鉦、それに合わせて子どもたちの合いの囃しが入る。

FBで写真を入れたら、左の欄に載ってしまった。

写真欄はどんな順で本を書いてきたのか、の参考欄にしておきたいので、一端削除し、ブログからシエアに変えた。

fb の写真用書籍2019年7月19日(金)

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左の写真欄に関わってきた書籍を―関わりの少ないもの古い順に―取りあえず12冊載せた。左から

 

『石川・富山 ふるさとの民話』は2011(平成23)年11月10日北國新聞社刊。【能登のはなし】引砂の三右衛門、白比丘尼少彦名神、猿鬼伝説、曽我兄弟と虎御前、龍灯伝説、恋路物語、千ノ浦又次、小田中太郎の浦島伝説、平時忠伝説、鬼神大波平行安、長太ムジナ、腰巻き地蔵の13話執筆。2002年1月から12月にかけて北國・富山新聞での連載を加筆修正したもの。

 

蓮如さん 門徒が語る蓮如上人伝承集成』は1988(昭和63年10月25日橋本確文堂企画出版室刊、企画・編集加能民俗の会。本文のかなりと注釈、蓮如伝承と北陸の真宗民俗、久乃木村豊四郎の順拝、蓮如の言葉と和歌を執筆。

 

蓮如真宗行事』は1990(平成2)年8月10日木耳社刊。当時の肩書きは石川県立飯田高等学校教諭。オリエントブックスの一冊。

 

蓮如上人と伝承』は1998(平成10)年12月25日真宗大谷派金沢別院刊。おやまブックレット1。2001(平成13)年4月1日2刷発行。元は別院機関紙「おやまごぼう」に連載。

 

能登のくに―半島の風土と歴史―』2003(平成15)年7月7日北國新聞社刊。西山・吉岡康暢編、能登空港開港記念出版。ユートピア半島―能登の風土と地名―、寄り来る神と仏、薬師仏・少彦名神の里、南方海上との接点―能登国三十三観音巡礼札所―、お国ぶり―能登はやさしや土までも―、幸を供える―ムラのドウゴトー、巡る神がみ―平国祭・お出で祭り―、盆に向けて―休み日と雨乞い-、報謝と祈り―奥能登のあえのこと―、語り継がれる高僧―泰澄・行基・弘法-、和歌の伝承―人麻呂・家持・西行-、波間に消えた義経―平家伝説と義経主従-、白比丘尼―春を知らせる永遠の乙女-、江戸の道・巡拝の道―定住する人・巡る人-、長太はおるかー能登の節談説教-、海の歌・海の芸能―まだら・三夜・早船狂言-の本文17編、ほかに「海を結ぶ文化」フォーラム、「キリコ祭り・日韓合同調査」報告、風土・民俗、考古歴史地図、索引作成。35単位・能登学で利用出来るように考慮。

 

能登国三十三観音のたび』2005(平成17)年12月10日
北國新聞社刊。発行NPO法人能登ネットワーク、写真206枚使用。カバー西...のぼる。

 

珠洲散策のーとvol1』2008(平成20)年3月31日、観光ボランティアガイド「きらり珠洲」・奥能登岬みちづくり協議会刊。原点にすべて振り仮名を付け、ガイドの人たち教育現場で利用出来るように作成。

 

『石川県立飯田高等学校百周年記念誌 伝説とロマンの里』
2012(平成24)年10月21日、百周年記念事業実行委員会(会長西山・編著)刊。制作北國新聞社出版局。飯田高校通勤範囲北能登地域の伝説とロマンを114項目1000字で網羅、それに考古遺跡巡りを付けた。1000字にしたのは、案内板などに転用しうることを考慮。各項に写真数点ずつ使用。卒業生が原執筆者として参加。

 
『写真アルバム 能登半島の昭和』2014(平成26)年7月11日、いき出版刊。写真解説執筆者17人の選任から始め、印刷・キャプション書きを並行して行うといった短期間の作業だった。多くの新出写真が載っており、貴重な資料である。 『能登の揚浜塩田』2016(平成28)年3月30日、奥能登塩田村刊。2011年6月能登里山里海が世界農業遺産に認定されたのを機に開かれたフォーラム・レジメを広げ、一般向けに一冊も存在しない「揚浜塩田」本を作った。歴史、支えた人々・教育、伝承と文化・御塩蔵、作業と用具、関係文献などすべてを網羅した。これ一冊で揚浜塩田のすべてがわかる冊子になったのだが、ちょっと地味にしすぎた感は否めない。著者は長山直治、大安尚寿、横道嘉弘(塩田村代表)氏と編著の私である。
 
妙好人 千代尼』は2018(平成30)年1月20日法藏館臥龍文庫刊。2月20日2刷。装幀は熊谷博人氏。よく表紙が例えば落ちついていてとかその人の好きな言葉でーいいですねーとおっしゃる方が多い。
最新刊で、真宗関係。真宗関係はほぼ30年の間があり、その間に書いたもの、および風土・民俗関係(『能登』1号~伝説の風景)をどうしたらいいか思案中。
 
 
 

鶴来別院、白山町浄養寺さん、『中部地方の石の民俗』

17日(水)早朝、鶴来別院、元白山・安久濤淵、白山町浄養寺さん付近を散策。

巨石・名石が眼についた。

亀石、腰掛石などいろんな石があるが、巨石をながめているうちに、そういえば「石」について書いたことがあったのではないか?との記憶が蘇ってきた。

本箱を見ると『中部地方の石の民俗』(昭和62年2月5日、明玄書房刊)があり、そこの「石川県の石の民俗」を書いていた。

その30頁に

鶴来町舟岡山の麓の妙法の石室は、霊亀二年(716)、そこに籠もっていた泰澄の夢中に、白馬に乗った貴女が、白山比咩神社拝殿前の岩上に示現したといい、また安久濤淵のほとりの岩石上に金弓・銀弓をもった一人の貴女が忽然と来たって、白山登山を勧めたという話がある。

と書いている。

 参考文献を見ると『加賀志徴』を挙げているから、そこにでも記載されていた話なのだろう。ともあれ、この日巡った一帯は、宗教史上重要なエリアであることは間違いがない。

 『中部地方の石の民俗』に載る写真は、いずれも面白い写真―たとえば図3白尾の石神は、さざれ石で成長していき巌となる石だというので訪ねたのだった―なので、あげておいた。

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鶴来別院


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加賀藩家老本多家の門。文化財としての価値が高いのに移築した経緯その他全く説明がない。せめて旧本多家門ぐらでも・・・せつめいが


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句仏上人句碑台座部、亀石のように見えるのだが、今まで気づかなかったのだけれど石垣根の意匠が凝っている。


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鶴来別院境内の石


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何度か訪ねている五輪・宝筺塔印等の墓石群。今度説明を受けて、清流の奥、もっと山側にあったのをここへ移したのだという。元地が元白山の墓地域だった可能性が高い。少し下流域が一向一揆の拠点寺院清沢願得寺(現鶴来別院)が在ったエリアで、一帯を総合的に調べる必要があるだろう。


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白山町浄養寺さん巨石。元白山安久濤ヶ淵に近く白山修験の原点寺院群を引き継いでいるのが今は真宗の浄養寺さんである。白山麓には白山開山泰澄と関わる石が多く、この石も何らかの伝説を有していたのではないかと考えられる。


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『中部日本の石の民俗』27頁~54頁、昭和62年2月5日 明玄書房刊


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図1 義経腰掛け石(石川郡白峰村


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図2 義経の船隠し石(羽咋郡富来町関野鼻)


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図3 住吉神社の石神(河北郡七塚町白尾)


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図4 千体地蔵(輪島市町野町)


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図5 諸願堂(羽咋郡志賀町大島)

 ※図1の説明ー義経は泰澄の間違い。写真の解説に書いてしまうと間違いに気づいても、直し方が分からない・・・。

「野辺の送り」2019年7月17日(水)

今日の北國新聞朝刊

16日、金沢泊。ホテルで記事を見た。

 

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「野辺の送り」2019年7月17日(水)

7月盆の金沢門徒さんのお墓参りなどで金沢に2日間。暑さもあって、新聞記事だけ載せ、バターンキュー。

新聞を見せ、「長老」を故「お母さん」と読みかえて見てください、などとお話ししながらお墓参りをした。

「北國を取っているのだけど・・・」といいつつ、

この記事に気づいている人はいなかった。 

※メモ

6月10日(月)依頼。7月5日の〆切

7月3日(水)送付。

16日(火)の休刊日明け・盆がらみの17日、あるいは8月に掲載との連絡。

18日石橋さんのFBのお返事に、

西山 郷史 最後に「おかげさまで 南無阿弥陀仏」を入れていたのですが、字数オーバーで削除。読む人がそれぞれに、最後は思いを一言でまとめればいいのかなと思い、こだわりませんでした。このコーナー開始(夕刊)からいろいろな思い出があります。千代尼の215頁に取り上げた方です。
と書いた(18日午前5時半)。
妙好人千代尼』の後書きに触れた石見さんのお話である。

秋の(特別)展覧会・珠洲焼資料館―平成8年~16年ごろ

平成8年49歳~平成16年57歳の8年間珠洲焼資料館の館長(嘱託)をお引き受けした。

その間住職としては教区会議員、教区副議長、議長、蓮如上人500回御遠忌をお迎えし、ほかに加能民俗副会長、若山荘調査お手伝い、ちょっとだがロータリ―会員にもなるなど、いくつも頭の中に部屋を持っているような動きをしていた。

 

その資料館では、友の会の旅行や秋の展覧会などを行った。

秋の資料館30年記念に向けて関係書物を探していたら、書斎から展覧会パンフがいくつか出てきたので、紹介する。

あいさつ文を読んでみると、かつての自分がそんなことを考えていたのか、と信じられない思いと、珠洲焼を取り巻くいい資料でもあるので、合わせ記録する。

【索引】珠洲焼、海揚がり、正院焼、三盃焼、普正寺遺跡、経塚、末法、須弥山、古備前、亀山、東播、法道(方道)仙人、渥美、柳田国男折口信夫、気多、たぶ、古瀬戸

 

 

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海を旅した珠洲


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祈りよ、とどけ!―経塚と珠洲焼―


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第2回中世のやきもの―備前・亀山・東播系須恵器―


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中世の瀬戸


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中世の渥美

海を旅した珠洲
    一ごあいさつ一
この度、当資料館では、皆様方のご協力を頂き、「海を旅した珠洲焼」展を開催させていただくことになりました。
 三方が海に開ける珠洲は、早くから海上交通の要の地として多くの船が出入りし、8世紀初めには、すでに船を作る技術者集団がいたことが知られています。この恵まれた地で、平安時代末から室町時代にかけて珠洲焼が生産され、各地に運ばれて行きました。
 「海を旅した珠洲焼」では、その名のとおり、珠洲焼と海との関わりを主眼とした展示を行っております。旅の途中で海に沈み、網に掛かって再び地上に帰ってきた「海揚がり」と呼ばれる珠洲焼を中心に、中世の港の様子がよくうかがえる金沢市普正寺遺跡の出土資料、珠洲焼を生産した窯跡からの出土資料、珠洲焼以外の「海揚がり」などを展示しました。
 「海揚がりの珠洲焼」を眺め続けた静かな海の底を想像したり、当時の沿岸航路を推定するなど、しばし、ロマンの世界にお浸り下さい。そして、今回テーマとしました流通を始め、未解明の問題を数多く残しております珠洲焼世界に、さらなる関心をお寄せいただけますならば、これに勝る喜びはありません。
 なお、当展を開催するにあたりまして、次の方々・諸機関からご出品を頂きました。ご芳名を記し、お礼申し上げます。
石川県穴水町歴史民俗資料館・石川県押水町教育委員会・石川県立埋蔵文化財センター・石川県立歴史博物館・石川県輪島市教育委員会・石川県輪島市立民俗資料館・井山鈴夫・小黒耕修・清水辰夫・善慶寺・中谷文雄・新潟県上越市立総合博物館・長谷川昭平・福井県陶芸館・水島国嗣(アイウエオ順・敬称略)
 また、江戸時代に当地で焼かれました「正院(しょういん)焼・三盃(さんばい)焼」を、一階で展示しております。二階常設展示とも併せて、ごゆっくりご覧下さい。
                     館長 西山郷史 

P2 引き揚げられた珠洲

P3 海への旅立ち

P4 海の道と港湾都市

 

祈りよ、とどけ!―経塚と珠洲焼―
ごあいさつ
 この度、当資料館では、皆様方のご協力を賜り、「祈りよ、とどけ!一経塚と珠洲焼一」展を開催させていただくことになりました。
 当展は、テーマータイトルからもうかがえますように、人々の救いに関わり、平安時代には鎮護国家・五穀豊饒の役割も担うなど、社会を支えてきた仏教の中に生きた珠洲焼を取り上げております。
 釈迦の言葉は金言・真言と呼ばれ、その教えの体系である経典の書写には、毎朝、高山の清澄な水を汲みに出掛けたり、また、筆の穂先に植物を乾かしたものを用いたりと、厳しい作法に基づく書写行が求められました。教えを広げ伝えるため、多くの高僧・修験者が書写を行っていたころ、仏教の歴史観からは、教えそのものが見えにくくなるという未曾有の時代が訪れます。
 末法到来…この誰もが経験したことのない暗黒の時代を迎えるにあたって、教えを残し、後代に伝えていくために考え出されたのが、経典を堅固な容器に納めて残すという方法でした。経典が保存される場所は、とりもなおさず教えが存在する場です。そこは、宇宙の中心である須弥山と考えられ、その場所をはっきりと示すために経塚が築かれました。
 一方、焼物においては、利用目的から、より堅牢で強い品が求められていきます。その成果の一つが珠洲焼で、経典を保護する経筒の外容器として、珠洲焼流通圏では銅製品などと共に珠洲焼も利用されました。
 いわば、よい焼物を作りたいという願いと、大切な教えを末代まで伝えたいという願いが一体となり、後世に伝えられたのが、今回の展示品・経塚出土資料といえるでしょう。
 当資料館では、これまで一貫して中世文化の一端に触れていただくことを目的とした展示を行ってまいりました。今年、開館10周年を迎えるにあたり、この間、混迷の度合いを深めている現代世相に対しても、何かを問いかける展示ができないものかと考え、企画したのが当展です。
 時代を超えた大きな願いに触れながら、秋のひとときをごゆっくりとお過ごしください。なお、当展覧会を開催するにあたりまして、次の方々・諸機関から資料提供などのご協力をいただきました。ご芳名を記し、お礼申し上げます。
福島県喜多方市郷土民俗館・新潟県北蒲原郡安田町教育委員会新潟県加茂市青海神社・新潟県見附市小栗山不動院新潟県柏崎市立博物館・新潟県西頸城郡青海町教育委員会新潟県西頸城郡青海町青海神社・富山県魚津市宮津八幡宮富山県西礪波郡福岡町歴史民俗資料館・富山県西礪波郡福光町荊波神社・石川県立歴史博物館・石川県教育委員会・(財〉石川県埋蔵文化財センター・金沢大学・石川県能美郡辰口町長滝区・石川県能美郡辰口町立博物館・福井県立博物館・関矢章二・中山巳喜男・西井龍儀・野村気可・向喜久雄(順不同、敬称略)
                     館長 西山郷史

P2展示資料目録

P3 末法到来 正法・像法・末法弥勒信仰、埋経の材質と種類

P4山岳宗教と経塚 藤原道長 金峯山経塚 修験者 如法教 円仁 勧進

P5 埋経から納経へ 旧仏教と新仏教 六十六部廻国行 経筒

 

 

常滑信楽・越前・加賀・平成11年度

 ※パンフ不明(どこかにあるかも知れない)

 

第2回中世のやきもの―備前・亀山・東播系須恵器―
 この度、当資料館では、皆様方のご協力をたまわり、第2回中世のやきもの一備前・亀山・東播系須恵器一展を開催させて頂くことになりました。昨年度は、中部圏・中世のやきもの―常滑信楽・越前・加賀―をご覧頂きましたが、また、新たな趣きを感じ取っていただけるものと思います。
 山陽道の古代山岳霊場において、華々しい活躍をしたといわれる方道仙人の伝承が珠洲においても伝わっていたり、『梁塵秘抄』からは、験者が頻繁に両方の地を行き来していた様子が窺え、これらの地域と珠洲は、元々深いつながりを有していました。
 瀬戸内と日本海。フィールドこそ違っていますが、海のルートを視野に入れたやきものは、それぞれの地で、独自の展開を遂げていきます。悠久な時がもたらしたふれあいと創造性。その一端に触れていただければ幸いです。
 なお、当展覧会を開催するにあたりまして、次の方々から資料のご出品をいただきました。ご芳名を記し、お礼申し上げます。
明石市立文化博物館、伊藤晃、岡山県教育委員会岡山県古代吉備文化財センター、岡山県立博物館、静円寺光明院、備前市教育委員会広島県立歴史博物館、福山城博物館(あいうえお順、敬称略)
平成12年10月21日              館長 西山郷史

※下半分 展示資料一覧 

P2 中世のやきもの・主要な中世窯

P3 備前窯 

P4 亀山窯 勝間田窯 東播系須恵器窯 十瓶山窯

付録 中世土器・陶器の分類(楢崎彰一氏案) 

 

中世の瀬戸
 御挨拶
 この度、当資料館では、愛知県陶磁資料館の協力をたまわり、同館と共催で『中世の瀬戸』展を開催させていただくことになりました。
 本館では、開館以来、一貫して中世の須恵器系陶器である「珠洲」を主たるテーマとして展示を行ってきましたが、平成11年度より、他地域の中世陶器を紹介する、『中世のやきもの』展を開催しております。
 平成11年度は『常滑信楽・越前・加賀』展を、平成12年度は『備前・亀山・東播系須恵器』展を開催し、今年度は第3回中世のやきもの展として、中世の日本列島で唯一、施釉陶器を生産した瀬戸窯を取り上げます。
 「瀬戸物」といえば、やきものの代名詞のように知れ渡っていますが、その原点とでも言うべき「古瀬戸」の器種構成や、文様などの製作技法、その変遷について紹介します。また、石川県出土の「古瀬戸」も展示し、県内における流通にも触れております。
 「古瀬戸」を通して、中世文化の深さに触れていただき、また、「珠洲」に対しても新たな視点で鑑賞していただければ幸いです。
 本展を開催するにあたり、次の方々から資料のご出品をいただきました。ご芳名を記し、お礼申し上げます(敬称略)。
【県外】愛知県陶磁資料館、(財)瀬戸市埋蔵文化財センター、瀬戸市歴史民俗資料館
【県内】石川県教育委員会、(財)石川県埋蔵文化財センター、石川県立歴史博物館、羽咋市歴史民俗資料館、鹿島町教育委員会七尾市教育委員会穴水町教育委員会輪島市教育委員会
      平成13年10月20日       館長 西山郷史

※下半分 展示資料一覧

P2 中世のやきもの

P3 瀬戸窯の始まり・古瀬戸窯の分布

P4 古瀬戸の展開 

 

中世の丹波

 ※パンフ不明

 

中世の渥美―渥美・湖西窯―

 ご挨拶
 このたび、当資料館では、皆様方のご協力を賜り、『中世の渥美―渥美・湖西窯―』展を開催させていただくことになりました。
 当館では、平成11I年度より、「珠洲焼」と同時代のやきものである『中世のやきもの一常滑信楽・越前・加賀一』『中世のやきもの―備前・亀山・東播系須恵器―』『中世の瀬戸』『中世の丹波』展を継続して開催して参りました。
 このたびの『中世の渥美―渥美・湖西窯―』展で、主な中世やきものの紹介が一巡りすることになります。
 「渥美」を産んだ渥美半島で、明治31年夏、当時大学生だった柳田国男が、流れ寄る椰子の実を見て、日本人の源郷を南方に求める『海上の道』を著すきっかけとしました。また、「珠洲」を産出した能登半島においては、折口信夫が、昭和2年6月に気多の杜のタブに出会い、南方の「ははが国」を想定しました。「渥美」「珠洲」を産んだ半島が、文化人類学の出発点となったことは、優れたやきものを育てた地がもつ、深い文化土壌の流れがあってのことでしょう。
 秋の薫り漂う珠洲の地で、「渥美・湖西」に触れ、壮大なロマンに浸っていただけたら幸いです。
 なお、当展覧会を開催するにあたりまして、次の方・諸機関から資料提供などのご協力をいただきました。こ芳名を記し、お礼申し上げます。
愛知県陶磁資料館 渥美町郷土資料館 小野田勝一 湖西市教育委員会 田原市博物館 宝海天神社 (あいうえお順、敬称略)                                                      館長 西山郷史

 ※下半分 展示資料一覧

P2 中世のやきもの

P3 渥美窯 湖西窯

P4 中央貴族とのつながり

 

 

 

 

珠洲焼復興40周年・珠洲焼資料館開館30周年記念プロジェクト【索引】珠洲古陶、末法、無常講式、承元の法難、白骨の御文などは文末に。

 先の話だが、10月20日(日)、珠洲焼資料館で「珠洲古陶の中世―若山荘」と題してお話しする(予定)。

今年は、珠洲焼に関していくつかの節目の年で、秋に向けて記念事業がいくつか企画されている。

すでに、下のポスター出来上がっており、当寺掲示板にも貼って道行く人に見てもらっている(今は、24日の定例講座と教務所・夏の子どもの集いを掲示しているが、終わり次第、再掲示する)。

準備の一環として、お盆の帰省者たちに、新図書館にコーナーを設け珠洲焼関係の書籍および講義予定者の執筆本等を並べて見ていただくというか、秋に向けて盛り上げようという話がある。

これらの書籍は、図書館で集めたものの他に、今はどう言っているのか知らないが、私が館長をしていた頃、資料館にあった文化財課に届いていた発掘報告書などを調べあげないとどういうものがあるのか分からない。

準備にいそがしい舟見さんにその旨を申し上げていたら、両方(図書館、資料館書庫)で調べ上げた文献目録(計44冊)が届いた。

それを元に、書斎のあちこちを探して昨日追加分(14冊)を作成した。

もう少し、ちゃんとお手伝いしないといけないのだが・・・。

 

2019.9.18 -29 渋谷ヒカリエ[東京・渋谷]

2019.10.5-11.10  珠洲焼資料館ほか[石川・珠洲

 

 

カテゴリーに真宗・仏教を加えたのは、珠洲古窯が生産された若山庄時代の荘園領主は皇太后宮藤原聖子(皇嘉門院)で、実質管理者が異母弟・九条兼実、さらに慈円(慈鎮)も義弟である。

兼実・法名円照と法然上人、青蓮院での親鸞聖人のお髪剃り執行者であり「越天楽今様」『愚管抄』の慈円(慈鎮)和尚、承元の法難の当事者・後鳥羽上皇は後、承久の乱隠岐に配流されたあと、「白骨の御文(御文章・御勧章)」の元となる「無常講式」を著しておいでる。後鳥羽上皇の浄土信仰に「唯信鈔」の聖覚法印が関わっておいでることもあり、「講式」は覚如上人の「報恩講式」に通ずる。

珠洲古陶の中世―若山荘」は、仏教・真宗、像法から末法の浄土観・原風景にどこまでも迫りうる質を有しているのである。

【索引】珠洲古陶、珠洲焼文献、像法、末法後鳥羽上皇、無常講式、承元の法難、白骨の御文(御文章・御勧章)、九条兼実慈円(慈鎮)、聖覚法印、唯信鈔、愚管抄

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珠洲焼資料館、市民図書館 方向以外の珠洲焼関係書籍など

 

 

 

吉野秀雄氏ご命日【索引】歎異鈔、浅井成海、鏡の御影、念仏、正信偈

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「寒蝉鈔」『定本 吉野秀雄全歌集 第二巻』昭和52年7月10日彌生書房刊


昨日は鈴木大拙師、西条八十氏の祥月ご命日だった。

もう寝ようかと思った頃に戸城さんのFBで知った。

今朝そのことを思っていて、今日は?

と、作りつつある一覧表を見ると、吉野秀雄氏のご命日(明治35・1902年7月3日~昭和42・1967年7月13日)である。

そう気づいたのだから、読まれる日を待って棚にある『定本吉野秀雄全歌集』をこころして読めばよかったのに、別の本を探すのに時間が取られ、羽アリが作ったゴミ掃除までしていたら、そろそろ夕刻。

たまには、静かに歌を鑑賞しよう。

   次の歌集がこころを揺さぶる

寒蝉集                                                              
     玉簾花
  昭和十九年夏、妻はつ子胃を病みて鎌倉佐藤
  外科に入院し、遂に再び起たず、八月二十九
  日、四児を残して命絶えき。享年四十二。会
  津八一大人戒名を授けたまひて淑真院釈尼貞
  初といふ

 

病む妻の足頸にぎり昼寝する末の子をみれば死なしめがたし

 

幼子は死にゆく母とつゆ知らで釣りこし魚の魚籃(びく)を覗かす

 

歩みゐて流るる涙のごはねば道辺人(みちのべびと)はいぶかしみ佇(た)つ

 

をさな子の服のほころびを汝(な)は縫へり幾日(いくひ)か後(のち)に死ぬとふものを

 

をさな児の兄は弟(おとと)をはげまして臨終(いまは)の母の脛(すね)さすりつつ

 

息絶えし汝(なれ)の面(おもて)の蚊を追ふと破れ団扇(うちわ)をわがはためかす

 

亡骸(なきがら)にとりつきて叫ぶをさならよ母を死なしめて申しわけもなし

 

命なき汝(な)が唇(くちびる)のうごめくと母はつぶやきわれも然(しか)見つ

 

わが門(かど)に葬儀自動車の止(とど)まれるこの実相(ますがた)をいかにかもせむ

 

屍(かばね)にもいまは別れむ泣きぬれて歎異(たんい)の鈔(せう)を誦(ず)しまつりつつ

 

母死にて四日泣きゐしをさならが今朝(けさ)登校す一人また一人

 

をさな子が母を夢見し語り言(ごと)くりかへしわれは語らしめつつ

 

念仏をとなへながらに或る折のなまめきし汝(な)が声一つ恋ふ

 

末の娘(こ)と障子の穴をつくろへり汝(なれ)の位牌に風は沁ませじ

 

おのづから朝のめざめに眼尻(まなじり)を伝ふものあり南無阿弥陀仏
 ※一〇一首中。以下「百日忌」「彼岸」昭和二十年「乙酉年頭吟」「仰寒天正述傷心」「寒日訪友」「狩野河畔」・・・と続く。


    たらちねの母

 

  昭和二十年十一月二十二日、母高崎にて逝く。
  享年六十七。仏法を篤信し、およそなすべき
  をなしたるの人なりき

 

こときれし母がみ手とり懐に温めまゐらす子なればわれは

 

去年妻をなくしし我をいやましにいとしみまして母は逝きにき

 

息の緒(お)の絶ゆればすでにみ仏の母に唱ふる称名(しょうみょう)念仏(ねんぶつ)

 

通夜の酒母のめぐみといただきて酔ひつつもとな涙しながる

 

白き髭(ひげ)膝に触るまでうなだれてとむらふ父を母も嘆きね

 

添ひあゆむ母の枢(ひつぎ)に村里の欅(けやき)のもみぢ散りかかるなり

 

堪へかてにわが敲(う)つ馨(けい)のごんごんとこの世の母は焼けたまふなれ

 

たらちねの母を焼く火のほのほだち鉄扉の隙に見ざるべからず

 

 上州富岡にて納骨の折に

 

いだきゆくお骨の母よ枯桑の畑のこの道いま通るぞも

 

妻の骨けふ母のほねひと年にふたたびひらく暗き墓壙(はかあな)

 

   またおもひいでて

 

在りし日の母が勤行の正信偈わが耳底に一生ひびかむ

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子どものつどい夏―能登教務所

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2019年(令和元年)7月12日(金曜日)北陸中日新聞・朝刊 能登

 


昨日(7月12日・金)、能登教務所からのポスターが見つかったので、募集を終えたポスターと入れ替えた。

その募集が同じ日の北陸中日新聞・朝刊に載っていたというので、紹介。

元気で夏を!・・・だ。

 

一向宗が重宝々々ー出典?【索引】一向一揆、改作法、前田利常、門跡、御夜話集、地子、

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気になる用語の索引として、このブログを書いているのだが、時折、ここに載っていたのか・・・。と出典を見つけ(何度目か、が多い)、安心して元へ戻し、次にどうだったか?がわからないことがままある。

タイトルの「門跡が重宝」もその一つ。

聞こうと思っても、聞く相手―研究者仲間がいなくなっていることもあるし、そう言ったという「前田利常」との関わりで研究者の姿を思い浮かべても、メッセンジャーとかメールとか無言やりとりが増え、かつてのように何でも電話とはいかない時代になっていることも思う。

何よりも、自分の満足のために、ひょっとしてものすごく忙しい時の中にいる人に聞いていいのか?もある。

ということで、多分「図書館叢書」のいずれかに載っていたはずの言葉、その原点メモは宿題・・・と。

 

しばし、本箱の叢書を探してみるが、その本そのものが見つからない。多分『微妙公御夜話』。

 

書斎と呼んでいる場所を何度も見るが見つからない。

別宅、最近「臥龍文庫」と呼ぶ建物へ行って探すが見つからない。

代わりに叢書の『咄随筆』『国事雑抄 上・中・下』『亀の尾の記』『三壺聞書』『三州奇談』『稗史集 上・下』『自他群書』『寝覚めの蛍』『加越能金砂子』が面白そうなので書斎へ持ってきた。若いころに買った本への回帰現象というか、新たな視点で読みたくなっている、ということなのだろう。

それらの中に「重宝」はなさそうなので、国会図書館のデーターに『御夜話集』がないか調べると、あった・・・。

とその時、ひょっとしたら部屋の中の本箱にあるのでは?

と思いつき、見ていくとあった。

ものを見たら、元のところに戻しておく・・・それが出来ずにウン十年。ともあれ見つけることが出来た。

次の文である。

一、伊藤内膳検知奉行致し候節、在々に一向宗有之、寺地被下罷在候。是等御取上、地子に被仰付候へば、大分之御銀上り可申と申上候へば、内膳合点せぬか、國の仕置大方門跡より被致、我等仕置は少分之事、一向宗が重寶々々と御意候由。
「微妙公御発語」『御夜話集 上編』石川県図書館協会刊 152P

 

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 「門跡が重宝」ではなく、「一向宗が重宝」だった。

それに、何度も農政が変わっており、普通の一向宗真宗)寺院、道場は「地子地」だった。「地子米」の語があり、今も、当地ではなまってジュシュマイと言っている。