『定本 吉野秀雄全歌集 第一巻』ー「歎異鈔を誦みつつ」『早梅集』

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『定本 吉野秀雄全歌集 第一巻』彌生書房昭和52年6月10日刊、全三巻


整理の順番待ちというか、抜かして別のことに行っていたため、本箱に、古本屋さんから購入した『定本 吉野秀雄全歌集』三巻が並んでいる。

どこかで吉野秀雄氏の歎異鈔を詠んだ短歌に出会った。

歌集からどの短歌だったか、記憶をたどると

歎異鈔読みゆくなべに上人(しやうにん)の鏡の御影(みえい)おもかげにたつ

ふるさとに母が称(とな)ふる念仏の耳の底よりわれをいざなふ

の二首だったような気がする。

全歌集を購入したのは今年の2月26日だから、

この頃は『親鸞に出遇った人びと』から資料探しをしていた頃だった(それ以外は見ていないのだが)。

親鸞に出遇った人びと4』に吉野秀雄+浅井成海とあり、

「わたしと仏教」に「現在のわたしには、歌によって親鸞を讃へる以外に手段のないことを告白せねばならない。」とあって、

十二首の話かが載っている。

二首と十二首じゃ全く違うが、ともあれ、歌集を購入して確かめたのである。

それは、『早梅集』「昭和十一年後半より同十九年前半に至る」とあって昭和二十二年七月上浣の後記がある歌集に載るのと同じ歌々だった。

じっくり味わいたい・・・。

 

歎異鈔を誦みつつ

うつし身の孤心(ひとりごころ)の極(きは)まれば歎異(たんい)の鈔(せう)に縋らまくすも

因縁(えにし)ありてこの夜の寒きはらわたに聖(ひじり)のことば沁みとほりつつ

業(ごふ)深きわが身一人(いちにん)のためにこそこのよぎ書(ふみ)は今に残れか

よきひとの傷(いた)み哀しぶ語りごと声さながらに伝はれるはや

若きより繙(ひもと)きなれし書(ふみ)なれど今宵(こよひ)のわれはおしいただきぬ

言の葉はまことしづかに而(しかう)してわがはたた肝(ぎも)うち慄ふなれ  ※慄(おそ)

歎異鈔読みゆくなべに上人(しやうにん)の鏡の御影(みえい)おもかげにたつ

兎(うさ)の毛の尖(さき)なる塵の罪にすら嘆きはつきず宿業(しゅくごふ)にして

いづる息の入る間(ま)も待たぬ命ゆゑかくあるままにすがらしめたまふ

ふるさとに母が称(とな)ふる念仏の耳の底よりわれをいざなふ

年の瀬の深夜(ふけよ)の空をちりばめてまたたく星よ永劫(とは)のさびしさ

久遠劫(くをんごふ)来尽(らいじん)未来際(みらいざい)の一瞬(ひととき)と霜夜の星は冴えわたるかも

 

 

 

 

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親鸞に出遇った人びと4』同朋舎1992年6月30日刊。この本は本人の著書から選んだ作品と解説からなっていて、著者の息吹に触れることができる好著である。