鶴来別院、白山町浄養寺さん、『中部地方の石の民俗』

17日(水)早朝、鶴来別院、元白山・安久濤淵、白山町浄養寺さん付近を散策。

巨石・名石が眼についた。

亀石、腰掛石などいろんな石があるが、巨石をながめているうちに、そういえば「石」について書いたことがあったのではないか?との記憶が蘇ってきた。

本箱を見ると『中部地方の石の民俗』(昭和62年2月5日、明玄書房刊)があり、そこの「石川県の石の民俗」を書いていた。

その30頁に

鶴来町舟岡山の麓の妙法の石室は、霊亀二年(716)、そこに籠もっていた泰澄の夢中に、白馬に乗った貴女が、白山比咩神社拝殿前の岩上に示現したといい、また安久濤淵のほとりの岩石上に金弓・銀弓をもった一人の貴女が忽然と来たって、白山登山を勧めたという話がある。

と書いている。

 参考文献を見ると『加賀志徴』を挙げているから、そこにでも記載されていた話なのだろう。ともあれ、この日巡った一帯は、宗教史上重要なエリアであることは間違いがない。

 『中部地方の石の民俗』に載る写真は、いずれも面白い写真―たとえば図3白尾の石神は、さざれ石で成長していき巌となる石だというので訪ねたのだった―なので、あげておいた。

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鶴来別院


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加賀藩家老本多家の門。文化財としての価値が高いのに移築した経緯その他全く説明がない。せめて旧本多家門ぐらでも・・・せつめいが


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句仏上人句碑台座部、亀石のように見えるのだが、今まで気づかなかったのだけれど石垣根の意匠が凝っている。


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鶴来別院境内の石


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何度か訪ねている五輪・宝筺塔印等の墓石群。今度説明を受けて、清流の奥、もっと山側にあったのをここへ移したのだという。元地が元白山の墓地域だった可能性が高い。少し下流域が一向一揆の拠点寺院清沢願得寺(現鶴来別院)が在ったエリアで、一帯を総合的に調べる必要があるだろう。


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白山町浄養寺さん巨石。元白山安久濤ヶ淵に近く白山修験の原点寺院群を引き継いでいるのが今は真宗の浄養寺さんである。白山麓には白山開山泰澄と関わる石が多く、この石も何らかの伝説を有していたのではないかと考えられる。


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『中部日本の石の民俗』27頁~54頁、昭和62年2月5日 明玄書房刊


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図1 義経腰掛け石(石川郡白峰村


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図2 義経の船隠し石(羽咋郡富来町関野鼻)


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図3 住吉神社の石神(河北郡七塚町白尾)


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図4 千体地蔵(輪島市町野町)


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図5 諸願堂(羽咋郡志賀町大島)

 ※図1の説明ー義経は泰澄の間違い。写真の解説に書いてしまうと間違いに気づいても、直し方が分からない・・・。