高桑守史氏が著書(論文)に取り上げた農民漁業―漁民社会―集落

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鹿磯(かいそ)から黒島方面2012年10月29日夕刻撮影


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『日本漁民社会論稿―民俗学的研究』


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『日本漁民社会論稿―民俗学的研究』目次


昨年先立たれた高桑さんを偲びつつ、夫人とやりとりしていたら、彼が調査した「鹿磯」というキーワードが出てきた。

鹿磯は10日のブログに書いた深見、次に載せる黒島の間にある集落で、

『新修門前町史』では、鹿磯に伝わる「ちんちくりん祭り」が楽しくて、詳しく書きもし囃子言葉も覚え、鹿磯のお寺でお話しした時には門徒さんの前で歌った、そんな関わりのある地である。

町史ができたのは2005年。

 

高桑さんが鹿磯を調べ書いているとすれば、そのかなり前になるはずだ。

500頁余の大著

『日本漁民社会論稿―民俗学的研究』(1994年、未来社刊)を開いて見た。

第一篇

第四章 鹿磯ムラ漁民社会の特質と構造―出稼型漁民社会

の題で、鹿磯があるではないか。

町史の10年前、74頁におよぶ論文が発表されていたのだ。

しかもこの第一篇は、「伝承主体としての漁民社会―能登半島沿岸漁民社会=主農従魚型漁村」のタイトルで、

一章 閨(主農従漁型、43頁)、

二章 羽根(主漁従農型、31頁)、

三章 上野(共生型、71頁)、

四章 鹿磯(出稼ぎ型、74頁)

を取り上げ

第五章 漁撈活動と漁民社会―沿岸漁民社会の特質と構造

でまとめられている。

 

私の忘れたことは置いておいて、

里山里海」をキーワードにしている現今の能登を知り、どう活かしていけるのかのヒントになる本が25年前に里海集落研究の第一人者によって発表されていたという事実、に出会い愕然とした。

 

私も里海・里山関係で塩田のシンポに出、『能登の揚浜塩田』も出したのに、あの時は長山さんに表に出ていただくことにかかり果てておりー研究者・高桑氏の存在は遠すぎた。

 

沿岸を歩いてもほとんど姿を見せない漁村・漁具資料、

里海資料館がなく、民俗をやる人もいなくなった能登・・・、

気合いの入らないことを思っていても仕方がないので、

この勝れた論を載せた氏の本が県内図書館にチャンと入っているのか検索をかけて見た。

県立図書館・金沢市立図書館には蔵書があったが、他の図書館には入っていない。四つの集落を擁するそれぞれの図書館にもない。

 

いいものは残していかなければ・・・。

来月、鹿磯隣の深見で語る。

その折には、真宗の地を愛した宮本常一氏の系譜に連なる、海・海の人が大好きだった高桑さんという人がいてねェー

とどこかで語る、そこから始めよう。

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

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