『地産地消文化情報誌(マガジン) 能登 April 2019 春 35号』

f:id:umiyamabusi:20190419130843j:plain

本文に用いいた写真の一枚。左・白比古神社、右山田寺観音堂


今朝、能登35号が届いた。

いつものように濃い内容。綺麗な写真。

 

わたしの連載「伝説の風景」34は、「良川(中能登町)ー観音・鵜様―」。

鵜様の宿・鵜家(ういえ)家に道中を紹介する「鵜様道中ミュージアム」を開設することが、昨日の北國新聞に載っていた。

伝説の風景では、ミュージアムの看板写真を載せた。

バッチリタイミングが合った。

 

f:id:umiyamabusi:20190419105409j:plain


f:id:umiyamabusi:20190419105425j:plain

目次

 

f:id:umiyamabusi:20190419125930j:plain

北國新聞2019年(平成31年)4月18日(木曜日)朝刊石川北版

 

 

 

 

 

受賞歴あっても 20を超す大学不採用―若手研究者は追い込まれていった(1面)ずっと研究していたかった(33面)~朝日新聞

 

今朝4月18日(木)朝日新聞朝刊の記事にはいろいろ考えさせられた。

内容以下の通りで、様々な受け止めができるだろうが感じたこと、分析は避け、2016年2月2日、43歳で逝かれた西村玲(りょう)さんの研究内容が江戸中期の仏教研究で、

31歳の時に博士(文学)、翌年日本学術振興協会特別研究員に選ばれたこと。

36歳の時「日本学士院学術奨励賞」を受賞し、ほとんど独擅場言ってよい成果を続々と挙げていた」

といわれほどの評価。(1面)

小見出し―「非常口」だった結婚―が直接の理由なのだろう・・・43歳で先立たれた、という(33面)。

 

ほとんど独擅場の研究がそこで完結した、と書いてあるのである。この方の名をどこかで見た記憶があり、研究成果の著書がないか調べると、

『近世仏教論』(法藏館書店刊)があった。

2018年2月10日刊である。

私の『妙好人千代尼』は同出版社から一月前に刊行された。

何度か宣伝・広告で共に新聞欄などで一緒になっていた研究書だったのだ。

3回忌祥月命日の1週間後に刊行されていることになる。深いご縁に、おのずと手が合わさり、西村さんの論を刊行なさった法藏館に頭が下がり続けている。

すぐに『近世仏教論』を注文した。

次の引用は、アマゾンなのだが、今、夜8時40分。

「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。」となっている。

 

彼女の願いを受け継ごうとの意欲を、少しでもお持ちの方々に読まれればいいなぁ・・・。

近世仏教論

近世仏教論

 

 

 

 

 

f:id:umiyamabusi:20190418200250j:plain

1面


f:id:umiyamabusi:20190418200431j:plain

33面前半


f:id:umiyamabusi:20190418200533j:plain

33面後半



 

蓮如忌1週間前の案内

行事の1週間前にはポスターを書き各所に貼ってもらうために配布する。

一方、能登教区第10組同朋会推進員会では、4月は数ヶ寺で蓮如忌があるから、そこにお参りするよう促して、4月は協議会学習会をやめている。

先日役員会を開いた時に、蓮如忌にお参りくださいとは言っているけど、どのお寺が蓮如忌を営み、法話があるないも含め、情報を知る手立てがないのではないか・・・・と問うてみた。

例えば、当寺だったらポスターを町に張り出すのだから、皆が知っていると思うのは、ちょっと思い上がりで、門徒さんだけがポスターで気づく、程度なのだろう。

 

それで、葉書で案内を出すことにした。

私が10組で蓮如忌を営んでおられると思っているのは、南から宗玄覚性寺、飯田西勝寺、正院西光寺、宇治本龍寺の4ヶ寺のはずだ。

西光寺は「ヘンジャ御書」名の蓮如忌で名高いが、お参りだけやもう営んでおられないお寺もあるかも知れない。

それで、今年は状況の分かる当寺の案内を出すことにした。

もちろん、会員であっても他三ヶ寺の門徒さんには案内を出していない。

絵解きは、民話では笑い話に分類されている「嫁おどし」の場面を中心に語るつもり。

 

 

 

f:id:umiyamabusi:20190418173401j:plain

推進員協議会メンバーへの案内

 

 

 

 

f:id:umiyamabusi:20190418170455j:plain

f:id:umiyamabusi:20190418170439j:plain

 

蓮如上人御影道中御出立―しんらん「交流館」さんのツイッターより。

 
今朝、ツイッターに「蓮如上人御影道中」御出立が載った。載せたのは「しんらん」交流館さん。
シエアを使いFB(西山郷史)に載せた。
これからは蓮如忌一色だ。
石川では、吉崎に御影が到着する時は必ず新聞紙面を飾る。
私は、まだ御影道中の名がついていない頃の昭和61年5月3日から5日、すなわち連休で学校が休みの時、御下向について福井市から木之本まで歩いたことがある。
が、本願寺の御出立の様子を知ることはまずない。
このところ、FBやツイッターとつながりだしたため、思いがけない情報が入ってくる。
蓮如上人御影道中御出立などは、私にとって知りたい最たるものだ。

 私が知りたいことは、他の人にとっても知りたいことがあるかも知れない。それで、シエア・・・・・・。

umiyamabusi.hatenadiary.com

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

 
画像に含まれている可能性があるもの:屋外
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、屋外
画像に含まれている可能性があるもの:2人
しんらん交流館さんはHigashi Honganji Templeにいます。

【ごしゅったつ❗️蓮如上人御影吉崎別院御下向式】
今年で346回目。たくさんのご門徒や関係者、観光の方に見送られ、福井県あわら市の吉崎別院に蓮如上人御影が向かいました。
吉崎別院では、4月23日から5月2日まで「蓮如上人御忌法要」が勤まります。
7日間、240キロを徒歩で吉崎別院に向かいます。
詳しくは、吉崎別院別院ホ...ームページ
http://www.yoshizakibetsuin.com/goeidoutyu/index.php
中学生が見た蓮如上人御影道中
jodo-shinshu.info/2019/01/10/17461/
#東本願寺 #蓮如上人御影道中 #福井 #吉崎 #あわら市 #吉崎別院 #徒歩 #御下向式 #御影 @ Higashi Honganji Temple

もっと見る

さくら道ー14日の家、16日8組坊守会、17日七尾能登教務所(4組)通り

f:id:umiyamabusi:20190417215021j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417215036j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417215112j:plain

17日、羽咋から四組合同坊守研修会会場七尾市能登教務所に向かう途中、羽咋市本江を通ると墓地が見えたので寄る。


f:id:umiyamabusi:20190417214941j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417215007j:plain

正願寺さん。8組坊守会会所。


f:id:umiyamabusi:20190417214847j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417214911j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417214927j:plain

町野町金蔵慶願寺さん。坊守会会所はここだと思って皆が来るのを待ちながら散策。待てど暮らせど人の姿が見えないので、連絡取ると、会場は隣の正願寺さんだった。


f:id:umiyamabusi:20190417214812j:plain

輪島市町野町大西山


f:id:umiyamabusi:20190417214529j:plain

八太郎峠を越え、鈴屋川沿い


f:id:umiyamabusi:20190417214437j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417214450j:plain

f:id:umiyamabusi:20190417214507j:plain

14日西勝寺庭

 

歌人の系譜 近藤千英(ちふさ)・小鳥隆枝さん 、明治22年刊『言海』を通して

義母・小鳥隆枝さんの蔵書を整理していたら、『今井邦子短歌全集』・『若山喜志子全歌集』・塩田良平著『枕草子評釈』・『昭和万葉集』などとともに、使い古してはいるが大切に扱ってきた様子が一目で見て取れる大槻文彦の名著『言海』があった。『言海』の初版本である。これはどこにでもある本ではない。

どうして『言海』があるのか、ちょっとした『言海』の旅をたどる・・・。

その前に、

 『想(おもひしふ)集』小鳥隆枝歌集

 昭和61年、短歌新聞社刊。

について。

 

義母の歌集。説明に書いたように題名・跋文を書いた女婿の倉本四郎氏は、この頃「週刊ポスト」の3ページ書評・ポストブックレビュ―を連載していた。末っ子の女婿である私は、「明日香」第五十一巻第十二号、小鳥隆枝著「想集 批評特集」(昭和61年12月1日刊)に「「想集」に寄せて」を書かせていただいた。現役高校国語教師として、売れっ子ライターの四郎さんに対抗すべく気合いを入れて書いた思い出がある。

子どもたちをつれて小鳥家へ里帰りすると、孫を可愛がりながらも隆枝さんは、絶えず、歌集「明日香」の校正・編集をなさっていた。

私も時折手伝いながら、身近な実作者と暮らすことにより、生きた授業につなげそうな思いを抱いていた。

その時の「批評特集」には、若山旅人・宮地伸一・岩波香代子・塩田良平氏夫人忠・山田昭全氏などが寄稿なさっている。

 

 

f:id:umiyamabusi:20190415205856j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415205840j:plain

『想集』昭和61年8月5日 短歌新聞社刊 あとがきに「女婿の倉本四郎には多忙な著述のひまをみて題名及び跋文の労を煩わし、その義弟である立原由起生氏には装丁など一任いたしました。」とある。この装丁を見た時本本体の蟋蟀が秋の草の間から出てくるセンスにただ驚いたものだった。


f:id:umiyamabusi:20190415210046j:plain

大槻文彦 自費出版経緯 


f:id:umiyamabusi:20190415210013j:plain

言海 近藤印


f:id:umiyamabusi:20190415205957j:plain

言海」背表紙


f:id:umiyamabusi:20190416190024j:plain

大槻文彦

 

 背表紙の「小鳥隆枝蔵書」はわたしが貼ったものだが、見開きには「言海」、上に「書禄 第五九七六〇」とあって、「近藤~」の印が押されている。

 

この近藤家は、岡山藩士で小鳥隆枝さんの母の実家。

その母が生まれた時、岡山藩主が言祝いで、

「池水にうつりて匂ふ

 藤の花

 ももふさちふさ

 末栄えやも」

と詠んで贈った。

その歌から、その子は近藤千英(ちふさ)と命名された。

この「言海」は、千英さんが嫁いだ沼津・藤沼家、さらに

小鳥家に嫁いだ娘の隆枝さんへと読み継がれた本なのだろう。

昭和61年に刊行された小鳥隆枝歌集『想(おもひ)集』「あとがき」に、隆枝さんは次のように書いておいでる。

 

「私は幼時から短歌に親しんで来たと申しますか、生母が誕生し、その命名の時に藩主池田侯から賜ったという

「池水にうつりて匂ふ藤の花ももふさちふさ末栄えやも」(母の名は近藤千英)」

この歌を、祖母の口から幾度も聞いて育ちました。

「清営」という雅号を持つその母も折につけ歌を詠み、父も当時の軍人らしく、古今の名歌を「歌集」と名付け墨書して机上に置いておりました。

学生時代は毎年、宮中の新年歌会にクラス揃って出詠しておりましたが、勿論真似ごとに過ぎませんでした。」

 

※ここから、「想集」の説明に書いた、いつも楽しそうに校正をしていた義母の思い出に移っていくのだが、順序の変えかた、写真説明の変更の仕方も分からないので、そのまま。

 

今、気づいたのだがそして、あとがきに「祖母の口から幾度も聞いて・・・」とある。

どうして母の口からではないのか?

 私の父は、11歳の時母に先立たれている。それで私は父方の祖母を知らない。

隆枝さんも・・・・・・。

だとすれば、この『言海』は、隆枝さんにとって、母の形見ということになる・・・・・・

 

一本杉通り・七尾市

3月31日(日)、七尾一本杉に寄った。

高澤ろうそく店さんの建物がいい建物だと思っていたが、思いに違わず「国登録有形文化財」だった。

一本杉通りには、高澤さんを入れて5軒の文化財があるというので(パンフ)、散策しながら観賞しようと歩き出したのだが、天候が豹変する日で、途中で引き返さざるを得なかった。

登録文化財は合わせて3軒見つけただけだった。

次の写真で、文化財になっていない建造物がある。

気づかなかった2軒―どこに違いがあるのだろう。

 

疑問は疑問として、イベントの無い静かな日に

散策するのに絶好のエリアだ。

近くには光徳寺はじめとする真宗寺院

小丸山公園もある。

 

 

 

 

f:id:umiyamabusi:20190415131104j:plain

高澤ろうそく店

 

 

北島屋茶店

f:id:umiyamabusi:20190415124531j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415124552j:plain

しら井

鳥居醤油店

f:id:umiyamabusi:20190415124512j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415115847j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415115829j:plain

 

坊守会・同朋推進員会講義資料―分かりやすくか、そのままか?

写真添付一枚は文中に収めることはできるのだが、分けて載せようとすると文頭に集まってしまう。それで、ここにまず、説明。

次のレジメ「資2-1」「資2-2」は『真宗聖典』をお持ちでない門徒さん方の研修資料として、『真宗聖典』からの引用。

聖典も「小倉」は原文の「をくら」を「おくら」のように表しており原文ではないので、資2-2中ほどのように『論語』原文というか、聖人引用した『論語』と学校教育で用いている『論語』の

違いまで載せた。

 

わたしが勉強会で聞く立場だと、

「ゴエンジョサン、おらチュウガクもまともにイットランゲサケ、こんな難しいがわけワランゾケェ・・・!」

と反応するか

「こんな難しいがを、アナカシコ、アナカシコにシタッタガカネ(もったいないコッッチャネ)」と、出会うはずのない引用書に出会って手が合わさるかのどちらかだろう。

 

あらためて見てみると、引用文献の読み方だけでも難しい。

講師の手ほどき用にしておくべきものだったと思う(配ろうと思うから作れるので、わたしの手ほどき用にしたら、形にならないのは眼にみえている)。

f:id:umiyamabusi:20190415085948j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415090010j:plain

聖典』の参考個所。「仏説無量寿経」巻上19(聖典のページ)、「仏説阿弥陀経」128・130、「尊号銘文」519、「一念多念文意」543・541、「正信偈大意」747~8、「正像末和讃」(愚禿悲嘆述懐)509、「教行信証」化身土・末398、『真宗聖教全書二宗祖部』201、『論語』先進十一265、あと「大意」2個所、「無量寿経巻上」1個所の引用。


f:id:umiyamabusi:20190415085915j:plain

f:id:umiyamabusi:20190415085934j:plain

基本レジメ―正信偈(6行~8行)、御和讃(同朋奉讃6首ごと)、御文(五帖2通ずつ)


f:id:umiyamabusi:20190415085855j:plain

大谷派勤行集』。赤本。教えの基本・要が載る宝庫。


今、4組の年2回から8回の定例講義、自坊での春秋彼岸・蓮如忌(これは毎年定期)、その他布教使としてのお話しを時々している。

定例講義

十二組(そ)門徒ー中能登羽咋市の一部。会所(えしょ):上・下地区・各寺持ち回り。対象:各寺2名宛の門徒会員(役員)さん。春秋年2回

四組(そ)合同坊守11組:七尾市東部,12組中能登町―旧鹿島・鹿西町、羽咋市の一部,13組七尾市中・西部・旧能登島町14組七尾市―旧中島町田鶴浜町、会所:能登教務所、対象:お寺の奥さん方。年8回。

八組坊守会ー輪島市東部―南志見・町野地区、旧柳田村、旧能都町宇出津・波並・矢波地区、会所:3地区交互に各寺持ち回り、対象:お寺の奥さん方。年8回。

十組同朋会推進員協議会ー珠洲市・旧珠洲郡・小木・真脇の門徒さん方、住職さん、坊守さんも一、二名。年6回。会所:当寺・西勝寺

 

坊守会は3年単位なので、来年6月が区切り。

それまでに、両方とも11回ある。

門徒さんがいつもお持ちになっているのが「大谷派勤行集」なので、そこに載っている要はやっておきたい。

「勤行集」の表紙が赤いので、「赤本」といい、そういえばお互いに通じ合う。

 

四組合同では、2月から全体を見すえた1回目をはじめ、今月(17日)が3回目になる。

8組は、明日16日が1回目。

10組同朋会推進員会は3月27日、親鸞聖人お逮夜日に学習したところである。

 

明日の8組は、以前も講師をしており、バス研修旅行もしており、会所がお寺庫裡、すなわち畳にテーブル、休憩時間はコーヒー御菓子タイムなので、さあァー続きを始めますよ・・・、に持って行くのが苦労するくらい、和気藹々の研修。

4組合同は、30代の若い坊守さんも多く、会所が教務所の研修室

なので、学校での授業に近い雰囲気。

この方々は、お寺の方なので全員『真宗聖典』『歎異鈔』を持って参加される。

 

だから、例えば、第18願については、まず『聖典』18ページを開いて下さい、といった形で、講義を進めることができる。

ところが、推進員の方は『真宗聖典』をお持ちでないを原則にしているので、聖典の○ページをプリントでお渡ししようと試みた。→最初にもどる。

 

反省を行かし

次回の資料を作ろう。

 

 

どこかに行ってしまった、ストラップ

 

f:id:umiyamabusi:20160629214643j:image
昨日(2016年6月28日)、携帯の画面が消えてつかなくなった。
販売所(ショップ)で調べてもらうと電池がだめになっていた。
5年以上も使っているので、切り替えた。
周りがガラ系といっている携帯の新しい機種である。
置いたところが分からなくなるので、ストラップを付けなくてはならない。
そう思っていたら、昔、布教師の方からいただいた阿弥陀経の青色青光~白色白光をイメージしたストラップがあることを思いだした。
理由は分からないのだが、その方とは会うこともない。
分からないのだから、人生の機微なのだろうが、それだけにみんな違ってみんないい、そのままのようにも思えるなぁーと、取り出してみた。

-2016年6月29日記事の引用ー

 

2週間ばかり前

青・黄・赤・白色のストラップが綺麗だったので、もう字も読めず、satoshiのどの文字かがなくなっているストラップとつなぎ、身近に綺麗なストラップにがあることに喜んでいた。

 

数日前、携帯と外れて行方不明。

 

さびしいなァ・・・からの連想・・・

昨晩、母の実家近く、わたしがものごころついた頃から可愛がっていただいた方(90歳)の通夜で、輪島市石休場町照福寺に行ってきた。

小さい頃、参道横にある田の、田植の折には朴葉飯を入れた米びつを凛々しく見守るのが、ボクの役割で

近くに見事な桜があった。

その桜が、住む人もいなくなったその方の家の前に移植されている。お寺へあがる先に寄ってみたが、3分咲きほどだった。

f:id:umiyamabusi:20190414065418j:plain

昭和30年頃の輪島市石休場村安町-照福寺参道からー


 

帰りは、バスを乗り継いで輪島へ向かった道ー白米、曽々木の海岸線を通って帰った。

 

桜・・・

海・・・ 

 

『同朋』4月号

添付と、文章を合わすことができないのでそれぞれに載せていきます。

 

※タイトル=句集『春暁』部をクリックしてください。

f:id:umiyamabusi:20190412104225j:plain

月報一面。すごい標語が載っている。「こう考えている限り」とお書きになり「かぎり」に変えておいでる。直接お会いしたことがないわたしでも、おそらくそこから平野師にであっていけるのだろう。、

f:id:umiyamabusi:20190412104207j:plain

引用の原典『平野修選集』第一巻の月報「一一のはな」を探した。なんとご本人自筆を載せたものだった。

f:id:umiyamabusi:20190412104326j:plain

f:id:umiyamabusi:20190412104339j:plain

松本梶丸著書。松本さんには歴史学者の金龍静さんと一緒に松任の御自坊におじゃまし調査した際、お話しを窺ったことがある。

f:id:umiyamabusi:20190412112428j:plain


f:id:umiyamabusi:20190412104415j:plain



f:id:umiyamabusi:20190412104246j:plain



 

母が俳句を詠み、『同朋』に投稿しているので『同朋』を取っている。

 

 

 本文

今月号では次のことばが、今朝のわたしの理解ごころに響いた。

「真実に会えば、人は目覚める。人はやさしくなる。この道理を 南無阿弥陀仏という。」平野修

(『平野修選集第一巻』月報「一一のはな」)

 

 

「泥の中から 蓮は花咲く そして 宿業の中から 僕は花咲く」(岩崎航「日付の大きいカレンダー」)

 

『生命の見える時-一期一会-』(松本梶丸)の引用にも頭が下がった。

 

もう一つ「我が子の死」(『西田幾多郞随筆集』岩波文庫)。

とらえ方はおいておいて、このような文がある(見た)記憶がなかった。本はあるのでサーと読み直したが、哲学的だった。

その中のワンセンテンスをとらえ、いいと紹介する筆者(今手もとに『同朋』がないので、著者名がかけない)の感性がすごい。

 

それで、『日付の大きいカレンダー』と『生命の見える時-一期一会-』を古本で注文した。