どこかに行ってしまった、ストラップ

 

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昨日(2016年6月28日)、携帯の画面が消えてつかなくなった。
販売所(ショップ)で調べてもらうと電池がだめになっていた。
5年以上も使っているので、切り替えた。
周りがガラ系といっている携帯の新しい機種である。
置いたところが分からなくなるので、ストラップを付けなくてはならない。
そう思っていたら、昔、布教師の方からいただいた阿弥陀経の青色青光~白色白光をイメージしたストラップがあることを思いだした。
理由は分からないのだが、その方とは会うこともない。
分からないのだから、人生の機微なのだろうが、それだけにみんな違ってみんないい、そのままのようにも思えるなぁーと、取り出してみた。

-2016年6月29日記事の引用ー

 

2週間ばかり前

青・黄・赤・白色のストラップが綺麗だったので、もう字も読めず、satoshiのどの文字かがなくなっているストラップとつなぎ、身近に綺麗なストラップにがあることに喜んでいた。

 

数日前、携帯と外れて行方不明。

 

さびしいなァ・・・からの連想・・・

昨晩、母の実家近く、わたしがものごころついた頃から可愛がっていただいた方(90歳)の通夜で、輪島市石休場町照福寺に行ってきた。

小さい頃、参道横にある田の、田植の折には朴葉飯を入れた米びつを凛々しく見守るのが、ボクの役割で

近くに見事な桜があった。

その桜が、住む人もいなくなったその方の家の前に移植されている。お寺へあがる先に寄ってみたが、3分咲きほどだった。

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昭和30年頃の輪島市石休場村安町-照福寺参道からー


 

帰りは、バスを乗り継いで輪島へ向かった道ー白米、曽々木の海岸線を通って帰った。

 

桜・・・

海・・・