教・宗・派ー一人居て喜ばば二人と思うべし
親鸞作と伝える『御(ご)臨末(りんまつ)之(の)御(ご)書(しょ)』と呼ぶ一文があります。
一人居(い)て喜ばゞ二人と思ふべし。
二人居て喜ばゞ三人と思ふべし。
その一人は親驚なり。
我れなくも、法(のり)は尽きまじ和歌の浦
あをくさ(青草)人のあらんかぎりは
草が生い茂るように人がいる限りは、教えはいつまでもこの人々に受けつがれていきます。この歌も親鸞の歌として伝わってきました。
哲学者の三木清は、未刊の遺稿「親鸞」でこの部分を取り上げ、「(親鸞一人)のためと思われた救済の教えは、救済の成立すると同時にそれがもともと『十方(じっぽう)衆生(しゅじょう)』のためであることが理解されるのである」と書いています。
教員を辞し、住職になって能登教務所に出入りするようになって、大谷専修学院の存在を知り、そこの卒業生が活躍していたこともあって「青草びとの会」があることを知った。
大谷専修学院ホームページには、次のようにある。
青草びとの会は、真宗大谷派の僧侶養成学校「大谷専修学院」の同窓生の学習会です。
卒業生を中心に活動していますが、卒業生以外の「会友」もおられます。
僧侶・寺=宗教者がどうあるべきかをお互いに学んでいこうという場です。
青草の名乗りは、親鸞作と伝えられる次の歌と、それを受けた学祖・信國 淳師の下記の言葉に依っています。
「我なくも法は尽きまじ和歌の浦/あをくさ人のあらんかぎりは」(『御臨末の御書』親鸞)
「われら 一向に念佛申して 佛天のもと 青草びととなりて 祖聖に続かん」(信國 淳)
大谷専修学院同窓生学習会・青草びとの会では、
広く一般に手に取っていただける書物の刊行を願って、
2005年『新編 信國淳 選集』(全五巻)、
2006~2007年『教行信証講義』(全三巻)竹中智秀
2015~2016年『竹中智秀選集』(全八巻)を出版し、
HPには、学院で教鞭を執っておいでた児玉暁洋選集(法藏館刊)も紹介している。
どうぎょうーににん【同行二人】
「一人居て二人」でよく知られているのは「同行二人」である。
辞書には、次のようにあり、お遍路さんを思い浮かべる。
一緒に神仏に参詣(さんけい)する人。道づれ。「ー二人」(福武国語辞典)
西国巡礼者などがいつもと一緒に巡礼しているという意で笠に書きつける語。[補説]この場合、「同行」を「どうこう」、「二人」を「ふたり」とは読まない。(デジタル大辞泉)
共にの広い意味では
『梁塵(りようじん)秘抄(ひしよう)』(治承三年・一一七九、後白河法皇撰)の次の僧歌がある。
二九九 大峰通るには仏法修行する僧居たり 唯一人 若や子守は頭をなでたまひ 八大童子は身を守る ※若=若王子、子守=子守明神
「宗」(真言・浄土真)では、弘法大師、親鸞聖人だけど、「教」(仏)レベルだと権現も含めて同じだな、と思っていたが、
3月9日の戸城三千代さんのFBに、面白いというか、なるほど…と感嘆する記事が載っていた。
この文にコメントが77件も寄せられており、いずれも貴重なコメントである。
昔、『巡礼の社会学』(前田卓)を読んで面白かったが、それ以来のワクワク感で戸城さんの文を読んだ。
ところで、私たちも含む真宗門徒には、かつて取り上げた由緒地巡拝が盛んに行われていた時代があった。
現今でも、御遠忌などには、思い出したように巡拝ツアーが企画されることもあるけど、
門徒の豊かな文化が、やせ細っているようにしか見えない。
もう一度、豊四郎巡拝の残り分を活字化することが、この時代に生き、資料を手にしているものの、使命かとも思うのだが、
落ち葉掃除の次に、蔵書整理に取りかかってしまい
思いは遠い先のことになっている。