清水脩 後半 清水脩氏と真宗の歌・交響曲「蓮如」。北川博夫、土岐善麿氏、歎異抄

ブログより 2017-01-24
真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉-交声曲『蓮如』と北川博夫氏
平成11年10月16日・17日、当寺で「蓮如上人500回御遠忌法要」を厳修した。

その時のアトラクションに、北川博夫・辰彦氏、越中おわら道場を招待し、演奏して頂いた。

その時のポスター

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そこには、「◎「交響曲蓮如』」・「心の故郷ー童謡ー」(CD)から数曲ずつ
[出演]声楽家・北川博夫氏(両CDのソリスト)その他」と印刷し、紹介している。

 

北川氏は、『真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』(CD)【交声曲「蓮如】以外にも、暁烏敏(作詞)・立野勇(作曲)「十億の人に」、深沢富子(作詞)・渋沢沢兆(作曲)「源三さん」を独唱しておいでる。
当寺では、その「源三さん」を、ご子息の北川辰彦氏(近年、レシピ・アン?音楽と料理で幸せのおもてなし?、BSフジなどでもご活躍中)がお歌いになった。

深く印象に残っている。

 

交声曲「蓮如
※『真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉より

土岐善麿作詞・清水脩作曲によるもので・蓮如上人四百五十回御遠忌〔昭和24年)を記念して制作されました。
蓮如上人〔1415~1499〕は本願寺第8代留守職で、宗祖親鸞聖人の教えを当時の民衆に広く伝えられ、今日の教団の基礎を築かれた方です。
上人は、現在真宗門徒が日常的にお勤めしている「正信偈・和讃」による勤行形式を定められ、また、御門徒に多数の「御文」をお書きになり、親鸞聖人の教えをわかりやすく説かれました。
 この交声曲「蓮如」(作詞 土岐善麿、作曲 清水 脩)は、
1、Introduction 2、一念の信 3、げにやただ 4、かくては消えん 5、本尊は 6、ものをいえ 7、げにわれやさき 8、みあとしのべば 9、念仏の合唱
の9章からなる作品で、1948(昭和23)年に東京、京都、大阪で相次いで演奏され、京都では、5月3日に本山御影堂において、朝比奈隆指揮、関西交響楽団、独唱中山悌一、砂原美智子、岩崎成章により演奏されました。
 また、翌1949(昭和24)年、蓮如上人四百五十回御遠忌期間中の4月23日には、京都松竹座において、御遠忌を記念して「日本宗教音楽演奏会」が開催され、交声曲「蓮如」は新作交声曲「平和」とともに演奏されました。当時の『真宗』誌によると、近代音楽に真正面から取り組んだ仏教音楽の荘厳さと迫力が、満員の聴衆に多くの感銘を与えたと伝えています。

交声曲『蓮如』作詞 土岐善麿、作曲 清水 脩、指揮 蒔田尚昊
○木場澄江 ※ソプラノ ○市川和彦 ※テノール ○北川博夫 ※バリトン
○東京混声合唱団 ○キングレコード御遠忌記念オーケストラ

1 Introducdon
2 一念の信
一念の信を得て 今 安養にいたる 穢身ながく絶ち 法柑すみやかに証す
十方の衆生のため 仏はまさに正覚をとりたまえり 一向専念無量寿佛 一向専念無量寿佛 われは他力の行者なり 信楽歓喜限りなし
3 げにやただ
げにやただ たのむまことの かしこさに いまやすらぎの 心えて この身このまゝ 大慈悲の 浄きみ国に いたるとき おしてる光 あまねくも み法のすがた まのあたり
4 かくては消えん
かくては消えん 法の灯 ふたたびたかく いまぞかかげよ 仏のみ名を 称うるばかりと 母のさとしを 幼なごころに いそしみたまえる  みいのち尊と をみなはまして 罪も深きに 雪つむあたり よしや吉崎 うちしく法の 法のむしろに 集いて 救けたまえや 摂めたまえと いたわりたまえる 朝宵かしこ
5 本尊は
本尊は掛け破れ 聖教は読み破れ 人間は 唯 電光朝露 稲光の影 朝の露のみ 夢まぼろしの 夢幻の間の はかなき一夜の 楽しみぞかし いくとせ いかに苦しくとも つばさたゆまぬ 鷺の森 松の緑のいろそいて 越えゆく奥は山科や 六十路 七十路 道遠し
6 ものをいえ
ものをいえ ものをいえ ものをいうこそ うれしけれ
ものをいえ ものをいえ ものをいうこそ うれしけれ
信も不信も ものをいえ いざおのづから いざこころのそこも ひらくべし ものをいわぬぞ おそろしき ただものをいえ ものをいえ ものをいえ ものをいえ さとしもつきず 

月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむや うき世をさながらに 安養浄土 今ここに 五つの不思議 無碍光の 功徳をあおぐ あらたさよ
7 げにわれやさき
げに げにわれやさき ひとやさき 今日ともしらず 明日ともしらず あしたには紅顔の 花のよそほい かがやけど 夕べには 白骨の くちゆぐ野辺の 露しずく 夜半のけむりの あともなし
8 みあとしのべば
み跡しのべば 春の花 無常の風に 散りみだれ み文ひらけば 秋の月 真如のかげの さやけしや かの本願の名号は 清浄の業と説かれたり 他力とは 阿弥陀一仏 帰命とは 信楽本願 行住坐臥に 念仏を 申さるべきばかりなり 南無阿弥陀 南無阿弥陀
9 念仏の合唱
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 

〈用語読み〉

例えば仏はブツ、ホトケといずれで歌われているのか? 読みを記す。
2 安養 あんにょう、穢身 えしん、法相 ほうしょう、仏 ほとけ、正覚 しょうがく 信楽 しんぎょう 歓喜 かんぎ 
3 心 こころ
4 救け たすけ 攝め おさめ 朝宵 あさよい
5 聖教 しょうぎょう 稻光 いなずま 間 あいだ 一夜 ひとよ
6 安養浄土 あんようじょうど 無碍光 むげこう 功徳 くどく
7 信楽 しんぎょう


土岐善麿
私が大谷大学大学院に入学したのは1969年4月。まもなく親しくなった友に連れられて、講義を終えた梅津次郎先生についていき、先生のおごりで大学近くの喫茶店に度々行った。その梅津先生と一緒に歩いておられた土岐善麿氏を見たことがある。大谷では国史に属したが、大学では国文を学んだ関係で、土岐善麿の名は聞き知っており、伝説の人物のように思っていた。その実物に出会えるとは…。京都のすごさ、立ちすくんでしまうような感覚も覚えた。この詩は、いわば土岐氏蓮如理解の集約なのだろう。しかし、この本の解説以外には、他の作詞家も含め、真宗と音楽関係者として語られていないのではないか。
真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉』を、今一度見直す必要があるのではないだろうか。
ついでに、三条の古本屋で新村出にあったことがある。名は知っていても顔は知らない。古本屋のおばさんが新村出だと教えてくれた。

以下、カンタータ蓮如関係の人物を調べ紹介する。清水脩は、一時期グリークラブにいたときから「月光とピエロ」(『真宗の音楽』にも採られている)、「恩徳讃」などで身近な方だった。この作品の指揮者・蒔田尚昊は名を読むことも出来ない。いい機会なので、関係者のプロフィールを以下に記す。

 

作詞・土岐善麿(1885~1980)
明治18年東京都真宗大谷派等光寺に生まれる。早稲田大学卒業、文学博士、紫綬褒章受章する。《阿難》《ああこのよろこび》《降誕讃歌》カンタータ蓮如》など仏教音楽作品多数を発表する。特にカンタータ蓮如》は蓮如上人450回御遠忌記念演奏会に上演され今も最も記憶に残る大作として多くの人々の語り草として記憶に残っている。
出典・『真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉プロフイール)
○とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歌人国語学者東京府東京市浅草区浅草松清町(現在の東京都台東区西浅草一丁目)の真宗大谷派の寺院に生まれる。東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)を経て、早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘を受け、同級の若山牧水と共に作歌に励んだ。
卒業の後、読売新聞記者となった1910年(明治43年)に第一歌集『NAKIWARAI』を「哀果」の号で出版、この歌集はローマ字綴りの一首三行書きという異色のものであり、当時東京朝日新聞にいた石川啄木が批評を書いている。同年啄木も第一歌集『一握の砂』を出し、文芸評論家の楠山正雄が啄木と善麿を歌壇の新しいホープとして読売紙上で取り上げた。これをきっかけとして善麿は啄木と知り合うようになり、雑誌『樹木と果実』の創刊を計画するなど親交を深めたものの、1912年(明治45年)に啄木が死去。啄木の死後も善麿は遺族を助け、『啄木遺稿』『啄木全集』の編纂・刊行に尽力するなど、啄木を世に出すことに努めた。その後も読売に勤務しながらも歌作を続け、社会部長にあった1917年(大正6年)に東京遷都50年の記念博覧会協賛事業として東京~京都間のリレー競走「東海道駅伝」を企画し大成功を収めた。これが今日の「駅伝」の起こりとなっている。
翌1918年(大正7年)に朝日新聞に転じるが自由主義者として非難され、1940年(昭和15年)に退社し戦時下を隠遁生活で過ごしながら、田安宗武の研究に取り組む。
戦後再び歌作に励み、1946年(昭和21年)には新憲法施行記念国民歌『われらの日本』を作詞する(作曲・信時潔)。翌年には『田安宗武』によって学士院賞を受賞した。同年に窪田の後任として早稲田大学教授となり、上代文学を講じた他、杜甫の研究や長唄の新作を世に出すなど多彩な業績をあげた。新作能を多数物した作者としても名高い。紫綬褒章受章。
第一歌集でローマ字で書いた歌集を発表したことから、ローマ字運動やエスペラントの普及にも深く関わった。また国語審議会会長を歴任し、現代国語・国字の基礎の確立に尽くした。戦後の新字・新仮名導入にも大きな役割を果たしている。 出典・ウキペディア
明治43年出版の第一歌集『NAKIWARAI』は日常生活の哀感をローマ字三行書きで歌って歌壇の注目を集め、石川啄木に大きな影響を与えた。それを契機に交流を始め、雑誌「樹木と果実」の創刊を計画したが果たすことはできなかった。
 貧困と病によって倒された石川啄木の葬儀を生家の西浅草・等光寺で行い、遺骨も一時埋葬、遺族の擁護、全集発刊につとめるなど友情を尽くした土岐善麿は、その68年後の昭和55年4月15日、下目黒の自宅で心不全により死去した。94歳。啄木の26歳に比して、なんと長寿であったことか。自身の会葬御礼に記した歌がある。〈わがために一基の碑をも建つるなかれ 歌は集中にあり 人は地上にあり〉。
〈死後二年の啄木を、事につけては思う心。〉との解説がある歌〈石川はえらかつたな、と おちつけば、しみじみとして思ふなり、今も。〉。
土岐善麿はローマ字綴りの一首三行書きによって、石川啄木とともに歌壇の新しいホープとして注目され、啄木死後、遺稿歌集『悲しき玩具』発行に尽力した。「一念」とのみ刻された一メートルばかりの黒御影の細い石柱が立っている。香立てに「土岐」の文字があるばかり。浅草・東本願寺近くにある善麿の生家、等光寺裏墓地の門扉のすぐ先にあるその墓碑の清楚さに、達観した人柄が偲ばれて心が洗われた。本堂前に啄木の歌碑がある。〈浅草の夜のにぎわひに まぎれ入り まぎれ出て来しさびしき心 啄木〉。出典・文学者掃苔

 

作曲・清水脩(1911~1986) しみずおさむ
明治44年大阪四天王寺に生まれる。大阪外国語学校仏語部、東京音楽学校(現・東京芸大)卒業・全日本合唱連盟理事長、日本宗教音楽協会創立に参画する。日本プロ合唱団連合会委員長、日本合唱協会代表等要職歴任。紫綬褒章受章。作品としてオペラ《修善寺物語》《俊寛》、合唱曲《月光とピエ鱒ほか、舞台音楽、交響曲室内楽、歌曲、箏、雅楽器曲など多岐にわたる。仏教作品として交声曲《蓮如》《平和》《歎異抄》《阿糞齢など多数。
受賞曲としては、昭和14年第8回音楽コンクールで管弦楽曲《花に寄せたる舞踏組曲》第1位・同25年管弦楽曲《インド旋律による4楽章》文部大臣賞受賞など、その他多くの作品で受賞・出典・『真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉)

 

指揮者・蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年3月13日~ )
日本の作曲家。別名、冬木 透(ふゆき とおる)。満州国の首都新京出身。エリザベト短期大学作曲科卒業後、同短期大学宗教音楽専攻科修了。TBS(当時ラジオ東京)に入社して効果を担当しつつ、国立音楽大学作曲科に編入。合唱曲、特に児童合唱のための作・編曲が多い。また、宗教曲(キリスト教)も書いている。映画・テレビの音楽を担当する際は、冬木透の名前を使っている。この分野では、『ウルトラセブン』に始まるウルトラシリーズや、NHK連続テレビ小説鳩子の海』などが知られている。特に『帰ってきたウルトラマン』の防衛隊・MATのテーマで流れる男性コーラス「ワンダバ」は、その後のウルトラシリーズの防衛隊音楽に大きな影響を与えた。また、『ウルトラマンA』第51話「命を吸う音」では、バイオリン教室の先生役で出演している。クラシック音楽にも精通しており、その流用も多く行った。『ウルトラセブン』の最終回ではシューマンのピアノ協奏曲を流用したほか、フィンランドを舞台としたアニメ『牧場の少女カトリ』の劇伴使用曲は、そのほぼ全曲がフィンランドの作曲家シベリウスの作品からの編曲であった。

 

木場 澄江(こば すみえ、ソプラノ)
ソプラノ声楽家東京藝術大学音楽学部声楽科卒。二期会を経て、ウィーン国立音楽大学に留学。修学後は、演奏活動、多数CD録音の他、ミュンヘンでの「手工芸メッセ」では開幕に際し、ミュンヘン市長、クリスティアン・ウーデを始め、バイエルン州政治家他に日本歌曲を歌唱、また「札幌-ミュンヘン姉妹都市交流」の日本代表を務める。
フランスのファッション雑誌「Marie claire」(マリ・クレール)2002年3月号(ドイツ、スイス、オーストリア版)に「ドイツで活躍する女性音楽家」として取り上げられ、2006年には、ドイツ開催のサッカーワールドカップ写真展「参加国の人々」Faces - Peaceful Colours of Cultures“で日本人代表に選ばれ、2週間に渡りポツダム広場に大写真が掲げられた。クラシック以外にも、ワーナーミュージックのアニメ音楽CDの録音もある。


市川 和彦(テノール
三重県出身。東京藝術大学卒業。第23回日伊声楽コンコルソ入選・同26回入賞。藝大「メサイアテノールソロでデビュー。「メサイア「第九」をはじめモーツアルトベートーヴェンストラヴィンスキーブルックナー・オルフ・ドヴォルザークブリテンヴェルディ・グノー・サンサーンス他の宗教曲のソリストを数多く務める。オペラでは、藤原歌劇団「椿姫」「カルメン」「トスカ」「蝶々夫人」「ルチア」「イル・カンピエッロ」「イタリアのトルコ人」「ロメオとジュリエット」、日本オペラ協会よさこい節」「祝い歌が流れる夜に」「あだ」「ペトロ岐部」「死神」「那須與一」「修禅寺物語」「瀧廉太郎」「キジムナー時を翔ける」、新国立劇場「建・TAKERU」「蝶々夫人」「ナブッコ」「カルメン」「マノン・レスコー」「ドン・キショット」「魔笛」「トゥーランドット」「トスカ」「ドン・カルロ」「オテッロ」「黒船―夜明け」、四国二期会・栃木県民オペラ・国民文化祭(千葉・栃木・三重)・静岡県民オペラ・豊島区・尚美学園びわ湖ホールオーチャードホールサントリーホール・札幌室内歌劇場・新日本フィル・神奈川フィル・東響他にて「トゥーランドット」「椿姫」「魔笛」「カルメン」「シチリアの夕べの祈り」「スティッフェーリオ」「天国の歌姫」「岩長姫」「那須与一」「贄のうたげ」「ミナモ」「エフゲニー・オネーギン」「チャルダーシュの歌姫」「メリー・ウィドウ」「ひかりのゆりかご」「君と見る夢」他のオペラ、オペレッタに多数出演。慶応義塾大学・日本女子大学混声合唱団「コール・メロディオン」常任ヴォイストレーナー池上本門寺コーラスグループ「水」指揮者。玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科非常勤講師。 出典・ウキペディア

 

北川博夫バリトン
武蔵野音楽大学声楽科卒業、同専攻科修了。東京混声合唱団入団。1974年ウィーン国立音楽大学声楽科入学。発声、リート、オラトリオ、オペラ各クラスで3年間研鑚を積み、1977年、同大学最優秀首席で卒業。オーストリア政府より文部大臣賞と奨学金を受ける。在墺中、伝統あるORF(オーストリア放送合唱団)のオーディションに合格。定期演奏会ザルツブルグ音楽祭などの演奏会に正団員、ソリストとして活動。帰国後、リサイタル、オペラ、レコーディング(CM)、オラトリオ、第九などのソロ活動により好評を博す。
一方、多く合唱団の指導に当たり、国技館5000人の第九」では、音楽総監督故石丸寛のアシスタント・コンダクターを務める。他にプロ合唱団東京混声合唱団のソロ、東京カンマコーアのソロや指揮、早稲田大学グリークラブ定期演奏会の指揮など、アマチュア合唱団8団体の音楽監督、指揮者として活躍している。ウイーン国立音楽大学声楽科首席卒業。

出典・北川博夫指揮者35周年記念 KGC合唱団演奏会(能登のうみやまブシ 20170119)

 

ブログから

2017-01-24
真宗の音楽』 蓮如上人、千代女、暁烏敏、源三さん

清水脩作曲 蓮師道歌 蓮如上人御詠 ○東京混声合唱
(1)かたみには 六字の御名(みな)をとゞめおく なからん世(よ)には 誰ももちいよ
(2)真実の 信心ならではのちの世の  たからとおもう 物はあらじな
(3)ほとけには 花たてまつるこゝろあれや ついにめぐらん 春のゆうぐれ  
(4)つくづくと おもいくらして入(い)りあいの 鐘のひゞきに 弥陀ぞこいしき
(5)たかい山 深き海にも限りあり  弥陀の功徳を 何にたとえん
※(1)誰 原歌 たれももちゐよ (2)明応6年5月18日 83歳ご詠 (3)慈願寺正本 (4)文明3年7月16日 加州二俣坊にて御文(此歌は後醍醐天皇御子八歳の宮御歌なるを、それは君ぞこひしきとあり、これは弥陀ぞ恋しきとかへられ侍れば、可為御詠也。実悟) (3)以外は実悟集所収 ※『蓮如上人遺文』稲葉昌丸法藏館参照

 

清水脩氏が四天王寺真宗寺院生まれであることまでは知っていて、勉強会で話したりするのだが、寺号は知らないでいた。
この機に調べた。鑪山佛足寺(真宗大谷派大阪市天王寺区北河堀町)という。
四天王寺エリアにあって、仏教根源に関わる寺号のお寺である。山号の読みは金銅仏あるいは仏具、建物の金具を作る「たたら」、仏の初期の出現、仏足石歌を思わせる佛足寺である。

 

北川博夫氏の歌

十億の人に 作詞 暁烏 敏  作曲 立野 勇   歌  北川 博夫
 十億の人に 十億の母あれど わが母にまさる母  あらめもや

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暁烏敏のお寺・明達寺境内ある「十億の…」碑

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崇信学舎前の「十億の…」碑。金沢浅野川天神橋 学舎近く。

※♪アサヒスタイニー あ! 
のコマーシャルは北川さんが歌ったとの話がある。また、アの高さは、G(ゲー)H(ハー)A(アー)の「ア」。グリーの練習では音取りに音叉を用いるが、そのアと同じだとも聞いた。都市伝説ならぬ、音楽伝説かも知れない

暁鳥敏(1877~1954)
明治10年石川県真宗大谷派明達寺に生まれる。真宗大学(現大谷大)卒業。宗教家清澤満之に師事、「浩々洞」同人として精神主義運動に参加する。昭和26年大谷派宗務総長に就任。明治30年代日曜学校生徒のため讃仏歌を多く発表《讃仏の伽陀》として刊行。
著作に《暁烏敏》全集27巻『歎異抄講話』ほか、詩集、歌集が多数あり、讃仏歌に《十億の人に》《三帰》《前進》などがある。蔵書5万余を金沢大学へ暁鳥文庫として寄贈する。(『真宗の音楽 はるかなる願いの讃歌』〈蓮如上人五百回御遠忌記念〉より)

 

源三さん 作詞 深沢富子 作曲 渋谷沢兆 歌 北川博夫
(1) 父に別れた その日から まことの親を 昼も夜も 尋ね歩いて 十余年 はじめてきこえた 呼び声に 心はればれ 仰ぐ空 ようこそようこそ 源左さん
(2) 私がつくった 罪科(つみとが)に  私が苦しむ そのままを 背負ってくれる 牛(でん)は弥陀 仏のいのち 恵まれて 不思議な力 湧いてくる ようこそようこそ なむあみだ一
(3) 光に遇いて 導くも 土に生き抜く その姿 胸にあふれる 幸せを 人にもわかつ 無碍(むげ)のみち 山根の里に 咲き匂う ようこそようこ白蓮華

 

渋谷 沢兆(しぶや たくちょう、1930年(昭和5年)4月10日 - )
日本の作曲家。熊本県出身。文教大学講師。諸井三郎、清瀬保二に師事する。多くの歌曲、校歌を作曲する。また、コロムビアレコードで、学芸レコードの制作にも携わる。
弦楽四重奏「ピアノプレリュードアルバム」、ないしょのはなし、南の島の子守歌
北海盆歌の主題と変奏、川越市立名細中学校校歌、三島市立山田中学校校歌など。

 

恩徳讃

清水脩作曲「恩徳讃」については、次のブログ記事。

2019-09-05
『恩徳讃ものがたり』海谷則之氏著、 無常講式(後鳥羽天皇作) umiyamabusi.hatenadiary.com