関東二十四輩由緒地のうちー上宮寺、報恩寺、明法坊、親鸞聖人田植え歌など
さる御門徒さんが軸を持ってきてくださった。
表装の一部が破れているものの、版木で刷った紙は傷んでいない。
見ると山伏弁円(のち明法坊)、大部の平太郎、その弟といわれる平次郎関係のものが軸仕立てになっている。
江戸後期(か明治にかけて)のものだろう。
10組推進員、8組で『御伝鈔』(本願寺聖人伝絵)を取り上げており、関東時代を終えたところだったので、
このような資料に出会えるとは…驚いている。
一枚一枚は、
「明法坊自歌
怨と なりし 弓箭も 今は ひきかへて
西へ入さの 山の端の 月」
明法(右) 聖人(左、弟子二人) 常陸國上宮寺(印)」
上宮寺HP
「南無不可思議光如来 釈親鸞(右) 釈明法(左)
上宮寺之印(印)
「五劫思惟ノ苗シロニチヤウサイ永劫ノシロヲシテ
一念帰命ノタ子(ネ)ヲオロシ自リキ雑行ノ草ヲトリ
帰命盡十方無㝵光如来 愚禿親鸞 (花押)
念々相続ノ水ヲ流シ往生ノ秋ニナリヌレハコノミトルコソ
ウレシケレ 建保六年五月十三日 大部平太郎
授与之」
→お田植え歌の広がりPDF
「歸命盡十方無㝵光如来
平次郎 妻身代 御名号 常陸國 報佛寺」
「明法坊 印(不明)」
「熊野権現
祖師聖人
平太良惟房
覚如上人真筆」
→京都大泉寺で描かれた平太郎
「真宗開闢満足御真影
佛法弘通の本懐こゝに
成就し
衆生利益の宿念忽に
満足す
[聖人座像]
常陸國稲田禅坊」
軸。本紙部107㎝×31㎝。